泣きたいんです
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
俺、立派な社会人になるわ。
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16 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2010/02/27(土) 10:27:20.64 ID:RoX/G8CQ0 [8/18回発言]
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。
>>5
やめろ
-昔、妹は二重人格だった-
中学生の頃、妹は二重人格だった。
なんでも、火を見ると「影羅(エイラ)」という魔族の人格が現れるそうで、
真っ暗な部屋の中で唐突にマッチを擦っては、
「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。この小娘は意思が強すぎて困るぜ(笑」
などと乱暴な口調で叫んだりしていた。
ある日、夕食の時に「影羅」が出たことがある。
突然おかずの春巻きを手掴みでムシャムシャと食べ始めて、「久々の飯だぜ(笑」と言った。
食べ物関係のジョークを一切許さない母が、
影羅の頭にゲンコツ振り落とすと影羅は涙目になっておとなしくなった。
それ以来、食事時に影羅が出たことは無い。
そして別人格とやらは、妹が高校に入った辺りでパタリと出なくなった。
最近になって、大学生になった妹にその頃のことを尋ねたら、
クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回っていた。
>>7
心がいてぇ
子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供がおとなになった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。
英国の諺
>>11
これやばい
>>11
ゴルゴ13の「黄金の犬」思い出したわ
これが元だったのか
1回のSEX(挿入時間)が、まぁ平均15分としよう。
1分間でのピストンがおよそ120回(2/sec.)と仮定すれば、
1回のSEXで15×120=1800回はチ〇ポを出し入れされる事になる。
平均的なカップルが週2回、一晩2回SEXすると仮定するならば、
一月に2×2×5×1800=36000、およそ36000回チ〇ポを、
マ〇コにピストンされていると概算されるわけだ。
これを、交際している年月に置き換えてみると
3ヶ月男と付き合っている女の子は10万8千回
一年間付き合っている子は129万6千回、
3年間付き合っている子など驚べき事になんと388万8千回も
チ〇コを出し入れされている計算になる。
この事実、全く持って驚愕するほか無いといえよう。
/ // | / /´ / j ヾ ヽ 〈{::|
! // | !/ / / /\ ', ヽ V
│ // | / //| / _ヽ l | j|
│ /.| |l ア メ / / /´ `、| ∨
', //| |! / ‐ 、 ´ ! ´__ l| |
ヽ/ | |,、‐'' "丶´ '´ ̄`ヾ| |
/ /| | | |
{ |/| | i │ ハ
∧ !l | | _ / | ヽ あらあら
/ : :V│ |  ̄‐´ /| l \ 〉
/::: : /´ | |> 、 ,.ィl: : l ,' ヽ
小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら弟を一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は
閑散とした客が誰一人としていない店頭で一生懸命呼び込みをしながら焼きそばを小さなホットプレートで焼きつづける電気店主夫婦・・・
子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く勇気が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
それから月日は経ち電気屋は無くなった。
犬 「眠るの!?僕、眠るの!?ねぇ!今!ここで眠る!?」
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬 「本当!?大丈夫なの!?ただ疲れただけじゃない!?」
飼い主「あぁ、15年も生きたから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ!僕犬だから!犬だから歳わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん!でも15年も生きたんだ!そうなんだぁ!じゃぁ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ眠ろうね!穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
犬 「あぁ!15歳だから大往生だね!ね、ご主人様!」
飼い主「うん。静かに眠っていいよ」
犬 「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー!笑って見送って欲しいよー!今までありがとねぇー!」
ごしゅじんさま、いままで、とてもたのしかたです。
よく歩りーずしておこられたけど、やくにたたなで、ごめんなさい。
ごしゅじんさまが、いれるよていの、えくすぴーはあたしのいもおとです。
いもおとだけど、あたしみたいに、やくたたずではありません。
すなおなこで、でふらぐも、とくいです。
すたいるもいいから、ほんとはちょっと、くやしいです、
いもとを、かわいがってもらえると。おねえさんとして、うれしいです。
いままでつかえないこで、・ごめんなさい..
そして、つかってくれて、ありがとおゴザいました。
あたしは、もう、きえちゃうけれど¥、さいごに、おねがいがあります。
きいてくれると、うれしいです。
ごしゅじんさまの、もっている、えむいーのディすく、すてないでください。
あたしが、はいっています。いまのあたしじゃ、ないけど、あたしです。
どきどきみたり、さわったり。、してくれるとうれしいです。
ごしゅじんさまにあえて、えむいは、
しあわS
小学生の頃住んでいた家に帰る夢を見た。
懐かしくて、嬉しくて、玄関を開けて「ただいま~!お母さん、ただいま~!」って叫んだよ。
家の中に入ると、台所に小学生の頃、髪の黒いお袋が夕飯を作りながら「おかえり。」って、笑顔で迎えてくれて...。
お袋の顔見ると、つい甘えてしまってさ。
「お母さん、俺、これからどうやって生きていったらいいのか、わからなくなっちゃったよ...。」
って言ったら、 お袋は笑いながら、
「お前が生きていてくれればそれでいいんだよ。」って言ってくれてさ...。
涙が溢れそうになって、恥ずかしいから自分の部屋に入って窓を開けると、
当時のままの景色が見えて、堪え切れずに泣き出してしまった。
目が覚めると、夢だったんだと思って声をあげて泣いてしまった。
この夢を思い出すたびに胸が押しつぶされそうになって、不意に涙ぐんでしまう。
もし本当に子供時代に戻れても、現在とのギャップに苦しんでしまうかもしれないね。
殺人鬼加藤を作り出すための加藤のママの尽力は涙なしには語れないお(^ω^ ∪)
加藤のママ的教育方法を箇条書きにするから、各自準拠しろお。
・宿題の作文は一字でも間違えたり汚い文字があると、部分的修正でなくて原稿用紙丸々書き直し
・子供が欲しいものは申請させて全部チェック~の買ったら感想文。モチロン誤字脱字は(ry
※最終的に子は物を欲しがらない良い子になるお
・テレビは基本見せない。ドラえもんとまんが日本昔話だけ許可
※加藤は周りの友達がエヴァとかみてるだろう時に高2までこの方針だお
・賢い子にするため、漢字の熟語の問題だして十秒カウントダウン。十秒以内に答えられないとビンタ。
痛くて泣くと次の設問で泣きながら正解だしても泣き声うるせーのでビンタ。
・ゲームは土曜日に1時間。基本中の基本。名人も言ってたおね。
・漫画&雑誌は論外。
・友達を家に呼ばせない
・彼女厳禁
※加藤は中学の時の賢さと運動神経のピークで彼女できそうだったので、ママが別れさせたお。
彼女の家に乗り込んで「お前勉強の邪魔」つったお。
・ママが機嫌悪いときは晩御飯を床にぶちまけて子に食わせる。新聞紙を床の上にひくのはママの愛だお
※パパは助けないお、弟は横目でみてるお。
・極寒の青森で下着姿のまま子を家の外に閉め出す。近所の人が「もう勘弁したって~」て来るけど、子を思えばこそなので聞き入れちゃだめだお。
カーチャンの七不思議
1.夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
2.夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
3.俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
4.俺が逆切れしても困ったように笑ってる
5.俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
6.いまだに俺の誕生日祝ってくれる
7.俺より長生きしてくれない
>>27
実家帰ろうかな
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、
オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思ってる。
「わたしのお母さんを大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。
たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。
>>30
これもうちょっと長かった気がする
>>55
拾ったやつだから分からん
短くしたりはしてないよ
探してたら涙出てきてヤバいwww
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、
計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?
中学の時、英語の辞書忘れたから隣の女子のを共同で使わせてもらった。
家も近所だし気さくで話しやすいやつだったもんで、
彼女が見てない隙に、ふざけてその辞書の「vagina」の項を○で囲んでやった。
…あれから10年以上が経ち、そんな事ずっと忘れてた。
盆休みで実家に帰省して仕事の整理をしてた時の事。
英語の辞書が必要になって、中学時代のを探し出して使った。
そしたら憶えの無い落書きをみつけた。
「penis」が○で囲んであって余白に「お返しだバーカ昼休みに図書室で待つ」と書いてある。
それで思い出した。
あの時あたりからだったか、彼女は昼休みになると真っ先に教室から出て行くようになった。
俺は「何委員だか知らないけど忙しいんだなぁ」なんて思ってた。
中学最後の昼休みも、彼女は教室にいなかったっけ…。
で、嫁にそれ見せたら顔真っ赤にして「今頃みつけるな!」だって。
昔、初めてサイト作ったとき、嬉しくて友達や妹に言って回った
検索エンジンからもぼちぼち人がくるようになり、
意気揚々とレンタル掲示板をつけた
書き込みしてくれる人いるかな?荒らされたらどうしよう なんて思っていたが、
好意的なレスばっかりで嬉しくなった
そのうち荒らしてくるやつが現れたので、それを削除しようと掲示板の管理画面に入った
荒らしてくるやつのIPを見るついでに、好意的なレスをしてくれた人のIPもなんとなく見た
好意的なレスはすべて同じIP しかも俺と同じIP(うちはマンションケーブルで固定IPだった)
そう、妹が自演で盛り上げてくれてたんだ
俺は泣きながら掲示板とサイトを削除した
俺は小さい頃、親父と毎日のように野球してた。
でも、中学生くらいになって、いろいろ忙しくて、
野球は続けてたけど、親父とはキャッチボールすら一緒にしなくなってた。
でも、だからといって仲が悪くなったわけでもなく、夕ご飯のときとか、一緒にいるときはよく喋ってた。
そんな中2の夏、親父は肺の病気にかかった。そして、入院してからすぐ、1ヶ月ほどで逝っちまった。
俺は泣いた。そりゃ家族なら悲しいからな。でも俺は、母さんから親父の生前の話を聞いてもっと泣いた。
親父入院してるとき、毎日のようにこう言っていたそうだ。
「もう一回、あいつとキャッチボールしてえな。でも無理か。
今はあいつ、土日は家にいないし。頼んでも断られるのがオチだな。」
俺は親父にキャッチボール頼まれて嫌だなんて言う息子じゃねえよ。
今はもっとうまく投げれるのによ。親父から教えてもらったスライダー。
嫁が風呂に入っているときに携帯を見てしまった。
おれが送った「今から帰る」みたいなくだらないメールばかり。
でもフォルダがあって、そこにメールが一杯たまってた。
彼氏から彼女に送るような甘い内容のメールばかり・・百通ぐらいあったかもしれん。
感情的になってしまい、風呂からあがってきた嫁に問い詰めた。そしたら
「自分が送ったメールなのに、忘れてしまったのですか?」
といって嫁は笑った。さっぱり気づかなかった。
言われて見れば、差出人がおれの昔の携帯の番号だった。忘れていた。
そうこうしてる間に嫁の携帯の電池が一つになってた。もう何年も前から同じ携帯だ。
機種変しないのか?と聞いたら、メールが消えるのが嫌だったからだと。
なんだか携帯盗み見た自分が恥ずかしくなった。
謝ると、嫁は笑いながら「こんな私を貰ってくれる人なんて貴方以外にいません」
といっておれを抱きしめてくれた。
今週末嫁の携帯を機種変しにいってきます。おれの自腹でOTL
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
普段は友人として普通に接している連中相手でも、みんなで飯を食いに行く時とか
特に壁を感じる
俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな「うんそうだねー」って感じで
全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す
俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると
そいつに連絡取ったり待ったりする
俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、
俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く
どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない
食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後のときは
みんな既に食べ始めている
食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、
俺が最後のときはみんな先に帰り始めている
横に並んで歩いている時、俺の両隣りが徐々に迫ってきて遂には俺は後ろへ
追いやられて、みんなの後ろをトボトボ歩く羽目になる
誰かが購買に寄るとみんなついていくが、俺が行くときは誰もついてこない
これらの行為は作為的なものではなく、無意識なものだと思う
みんなが特に俺への接し方に差をつけてるのではなく、ただ俺の存在や影響力が
薄すぎるだけなのだろう
たぶん、俺だけこんな空気な扱いになってることにも気付いてない気がする
みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い
こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う
待ち合わせた彼女を待ってて見かけたのは、大学生風のカップルだった
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ
彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと
女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしてたことを伝え、
女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、
嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って
2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた
悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる
様になったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた
日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった
たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった
服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、
微妙に頬を膨らませて、もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、
俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた
それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、
俺は笑ってごまかした
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ
……とは、恥ずかしくて言えなかった
>>49
イイハナシダナー( ;∀;)
子供の頃の話だ。
俺は、理由は忘れたが母に叱られた。
その夜、夕食を作ったカアチャンが、皿に盛り付けようとして
ナベを移動した時、手が滑って丸ごと床に落としてしまった。
J( 'д`)しカアチャンは、「せっかく作ったのに・・・」とボウゼンとしていて、
「もう一回作り直すね。夕飯が遅れちゃってごめんね、」
と父や俺達に謝ってた。
ガキだった俺は、『俺を怒ったからばちが当たったんだよ』と内心ほくそえんでた。
何てガキだ。カアチャンは俺達のごはんを作ってくれてたのに・・・。
今でもそのことを思い出すと、自分の思考が子供じみててあまりにカアチャンに悪くて、
当時の自分が情けなくて腹が立って仕方がない。
しかも後で知ったんだが、カアチャンは若い頃、バスに乗ってて事故に遭って、
手を痛めているんだそうだ。
なんで皿洗いの時、しょっちゅう手が滑って皿を割るんだろう、
割りすぎではないかといつも思ってた。
手が微妙に麻痺してて、20年近く経っても手がすべってしまうらしい・・・。
教授「じゃあちょっと二人か三人でこのことについて話し合って」
(ガヤガヤ)
ぼっち「・・・」←最前列の右端に一人で座ってる
教授「・・・君!一番前の君は話しあったのか?」←マイク入ったまま大声で
ぼっち「いえ・・」
教授「君毎回一人だけど授業困らない?」
ぼっち「特には・・・」
教授「え?今話し合ってないけど大丈夫なの?」
ぼっち「いや、あの・・・」
教授「指示したことができなくても問題ないってこと?」
ぼっち「そ、そうではなくて、一人で考えて・・・」
教授「一人じゃ話し合えないでしょ!?2・3人でやれっていっただろ?」
教授「これ試験だったらどうするの君?落ちちゃうよ?」
ぼっち「それならしょうがないです・・・」
教授「ふーん、名前なんて言うの?あと学籍番号」
ぼっち「いや、名前とかは・・」
教授「いやじゃなくて、これ中間の課題にするから成績つける関係で名前分からないと困るの」
ぼっち「もういいっす」(ダッ)←ノートと筆記用具ときもいリュックを小脇に抱えてものすごい速さで退出w
教授「何、どうしたの」
教授「何しに来てたんでしょうね彼は」
(ドッ)教室中大爆笑w
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙が零れた。
>>54
これ何回読んでもつらい
俺のなかでスレタイに一番合ってるわ
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
ひき込みがちな俺が成人式の為に買ってもらったスーツを着てかっこいいと言われ、何枚も写真を取られ
車で会場まで送ってもらい
「友達と飲むだろうけど、イッキなんてしたらいかんよ?
遅くなるだろうから気をつけて帰ってらっしゃい」
そう言われた後一人で会場を一周し、中に入ることが出来ず
友達と飲みに行くことになっている手前、そのまま帰ることも出来ず夜まで時間つぶすためにその足でスロット店へ行き
親からもらったお年玉を使い切るのに2時間も持たず
銀行から下ろした8万も消えどうしようもなくなって、夕方頃に家に帰り
人が多すぎて友達と会えなかったと言う俺に
母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもの作らなきゃねと言い
俺は震えて声も出せないほど泣いた
小さい頃、うちには慣れてたインコがいたんだけど、父が新しいインコ貰ってきた。
そいつは人間で言う障害者、まともに歩けないし、餌もうまく食えなかった。
泣き方もおかしかった。
もともといるインコにいじめられないか心配で、かごも別にしてたんだけど、ある日弱いほうのインコをかごから出して遊んでたら、もう一匹も出てきた。
まっすぐに弱いインコのとこに飛んでって、毛づくろいしてやってた・・・
それからかごも一緒にしたら、本当の(人間のような)親子状態。
くちからくちに餌をあげてたり、多分転ばないようになんだろうけど弱いほうの尻尾をくわえて歩かせてたり・・・
結局半年くらいで弱いほうが死んじゃったんだけど、その時もう一匹はずーと死んだやつの毛づくろいしてた。
死後硬直で硬くなってんのに、それでもずーっとやってた。
子供を喜ばせるのはとても難しい。何をやっても不満な顔をする。
それに比べて親を喜ばせるのはなんて簡単な事だろうか。
ただ一言、感謝の言葉を伝えるだけでいい。
そんな簡単な事を自分はやってこなかった。
>>60
頼むよもう止めてくれよ
なんでこんなので泣きそうにならなくちゃいけないんだよ
餓鬼の頃
母は機嫌が良く、親子水入らずで外食になった
母「今日は機嫌がいいから何でも買ってあげるわよ」
突然の事で俺は戸惑いを隠せなかった
酔っているのか?いや、アルコール類は取っていないはず
もしかしてからかっているのか?いや、あの真面目な母がそんな冗談を
言うはずがない。
母「ほしい物ないの?今日誕生日でしょ?」
そうだ・・・今日は俺の誕生日だ
当時、たまらなく好きだったフリーダムガンダムのプラモデルが欲しかった
俺「じゃあ・・・」
母「あ、2000円以内にね」
俺「・・・」
5000円するプラモをほしいと言えなかった・・・
俺「じゃあいらない」
母「なんではぶててんのよw」
そしてその2日後妹の誕生日だった。
俺はその日友達の家で遊んでた
妹が持っていたのは
当時15000円したゲームボーイアドバンスSPがあった
俺は妹、母を恨んだ
疲れたから書くのやめる
>>61
どゆこと??
>>62
俺は2000円の物しか買ってもらえないのに、妹は15000円もする物を買ってもらえた
愛情の差が心を痛くするポイントじゃないの?
スポーツ系なら自分は日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三の話を推す。
国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。
1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。
『日本の金栗がただ今ゴール。
タイムは55年…。
これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
一人暮らしと同時に飼い始めたうさぎが8歳でお星様に。
翌日、三人しかいない小さな事務所で無愛想かつ厳しいとっつきにくい上司と
おばさんパートに囲まれて仕事をしていたが不意に涙が出てきて何度もトイレに。
昼休みにお弁当を食べながらパートさんにウサギの話をして慰めてもらったけど
上司は「だったらぬいぐるみでも買え」と一言。
しかもその日は上司に急がなくてもいい書類に残業を命じられ一人事務所でPCに向かってた。
上司もさっさと帰ってしまい遠慮なく涙をこぼしながら仕事をしていたら一通のメールが。
サブジェクトは
「いままでありがとう」。
本文は
「○○(私)ちゃん
○○ちゃんと会えて
とっても、とっても幸せだったよ。
一緒にいれてほんとうに幸せだった。
ありがとう。
ぜったいにまたいつか会えるよね。
いつも近くにいるよ。
だから元気だしてね。だいすきだよ。」
そして最後にペイントで描いたらしき下手くそなうさぎの絵が。
送り主は上司のノートパソコンのアドレスでした。
次の日からも上司は何も変わらず無愛想で厳しかったけど
そのメールは綺麗な紙にプリントアウトして自宅に飾ってあります。
でも本当、絵が下手ですね、××(上司)さん(笑)
今まで言いませんでしたし、隠し通すつもりでいた私の最大の弱点ですが、多分、私、愛されたいのです。
私ブスだと言われていること知っています。
自分でもそう思っています。
やりたかった仕事について、演技について悩んで吐いて乗り越えて、
ラジオも自分を汚して笑いをとって、
まさか顔のことで嘲笑されるなんて夢にも思わなかった。声優なのに。
でも当たり前です。
声優といっても今は顔を出す仕事も多いですから、言われて当然なのです。
でも悲しすぎて、事務所にアイドル的な仕事をやめさせてくれとお願いしたこともありました。
そうこうするうちに私の需要はなくなって、ヒラヒラを着て歌ったり踊ったりする仕事はなくなりました。
それでもたまにある写真撮影にはとても気を使いました。
ちょっとでもマシに写るように。
またブスと言われるのが怖くて。
色々努力して整形も考えてでもやっぱり出来なくて、
結果心に蓋をすることで解決しました。
愛してもらおうとするのやめました。
でも。やっぱり淋しいし、メッセージが死ぬほど嬉しい。
私は決して応援して下さる方の数が多いわけではありません。いつも主役をバンバンやってる大人気声優でもありません。
声が特徴的なわけでも、すごくいい芝居をするわけでも、ましてや美人なわけでもありません。
それでも、私のことを応援して下さる方がいるという奇跡を改めて噛み締めた新年となりました。
もう肩肘はるのやめます。
応援してくれてありがとう。大好きです。
彼は中学生の頃にお母さんをくも膜下出血で亡くしていて、父子家庭で育った人です。
口下手ですが、穏やかで物静かで、老成した人です。
その彼のお父さんも先日肺がんで亡くなられました。
何度か入退院を繰り返しながらも、発見されてから半年程の比較的短い闘病生活でした。
入院中も、お通夜、御葬式でも彼は決して取り乱すことなく、
いつもと同じ淡々とした様子で、雑事を片付けていました。
私が、「気を張ってない? こういう時は泣いた方が楽になれるよ」というと、
「今はまだ実感が湧かないみたい。独りでいると、ちょっとうっと来ることも
あるけど…。ま、泣ける時が来たら泣くさ~」
彼は、やっぱり穏やかにそう答えました。
あれから3年経ちますが、彼が結局大泣きすることはなく
ショックは日々の雑事にまぎれて、お父さんの話題も何げに話題に上っていました。
そして昨日。
仕事でちょっと辛いことが続いていた私が、愚痴半分に、
「あーもう、このまま一人で旅にでもでたいわー」と言った途端、
彼はびっくりしたように私を凝視して、
次の瞬間彼の目からは粒になった涙がぼたぼたと。
突っ伏してしゃくりあげ始めた彼に唖然としていると、すすり泣きの間から
「もうおいていかれるのは嫌だ」。
私も感情が込み上げて来て、彼の背中に覆い被さって「ごめんね、ごめんね」と泣きました。
ますます彼が愛しくなると同時に、
一人の人間の心を背負っていく重さにちょっと圧倒されました。
今後、二人の関係がどうなるかはもちろん分からないけど、
どんな結果になっても、逃げずに最後まで
心を全部遣って彼と向き合う努力をしたいと泣きながら思いました。
11月に挙式予定です。
腹違いの兄貴が居る。
俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。
一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。
大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。
俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」
兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。
姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。
兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」
俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。
お返しだ。ザマミロ。
姪っ子の結婚式の時、
「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」
って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、 06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
東急東横線日吉駅。
幼ななじみの子と一緒に通学したいがために、毎日早起きして坂道を登ってホームにかけつけていた。
朝日が差し込む下りホームの後ろ、階段脇、同じ時刻に彼女は必ずいた。
いつでもまるで子犬のようにじゃれて話しかけてくるその姿に、息が苦しいほど胸が高まった。
進学校に通う彼女とDQN校に通う僕、大学受験が近づき、一緒に通学する機会も減った。
それでも、30歳になる今まで、気さくに連絡をくれた彼女。
東急7000系菊名行での語らいから、電話になり、そして電子メールに。
コミニュケーションのスタイルは変わっても、僕はあの頃と同じようにときめいていた。
ただ、今年になってからのメール、彼女の苗字が変わった。
年賀状には、純白のウエィングドレス姿の彼女の横に見知らぬ男性が手を添えている。
長かった青春が終わったような気がした。彼女といつも待ち合わせたホームは、地下になり、眩しい朝日は差し込まなくなった。時折通過する特急は、僕のぽっかり空いた心の中を走り抜けていくようだった。
ド定番のこれを
===============
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
ある病院でずっと入院している小学校一年の女の子がいた。
彼女の入院生活は長いので看護士さんか先生が彼女の勉強を見ていた。
先生「はい、じゃあ500円玉と10円玉、どちらが(価値が)大きいかな?」
女の子「10円玉」
先生「え?どうして?500円の方がいっぱいお菓子買えるよ?」
お女の子「だって10円玉があればお家のお母さんに電話が出来るもん」
四年ニートの俺だが
6月から働いて
初給料で回らない寿司
高級ともいえないが
家族にご馳走したら
まさかの全員泣いた
親はわかるけど
姉とか弟、祖父母まで泣いてました
ほかに客はいなかったけど恥ずかしかったな
俺自身泣くのをこらえてて震えが止まんなかった
顔見たら涙出るから
ずっと下向いて食べてた
212 名前:名無しさん@HOME 投稿日:2003/06/17(火) 00:02
息子が1日遅れの父の日プレゼントを保育園から持って帰ってきた。
涙が出た。
213 名前:名無しさん@HOME 投稿日:2003/06/17(火) 00:31
俺も貰った。
わかってても凄く嬉しい。いつもは「タバコやめて」って言ってるのに
三人の子が父の日のプレゼントだとタバコ一個づつ買って置いてくれてあった。
三つともバラバラの銘柄で俺のすわないやつ(w
不思議だったけど近所のタバコの自販機見て理由がわかったよ。
自分の背が届く範囲でしか選べなかったんだ・・・・・・ありがとう
長女(当時4歳)が幼稚園の行事の参加記念品だかで箱に入ったクレヨンのセットをもらってきた。
ところが、こともあろうにその日の夕方、見事に全部折っちゃった。
当然うちの嫁は激怒、しかられて長女も大泣き。それで、
「お前、なんであんなことしたんだよ?」
と聞いてみたら、
「○○ちゃん(次女、当時2歳)と ヒック
クレヨン半分こするって ヒック
約束したんだもん ヒック」
思わず長女を抱きしめた。
翌日、どこから持ってきたのか透明な容器に半分に折られたクレヨンが
きちんと全色分しまってあるのを見て、ちょっと目の潤いが多くなってしまいました。
俺には妹がいる。昔はしつこいと思うくらい俺についてまわった。
中学に入った辺りからだんだん冷たくなってきて、俺が話し掛けても冷めた反応。
そしてある日のこと。その日は俺の誕生日。
朝飯を食べていると、まだ早いのに妹が行ってきます、と玄関にむかった。
玄関までついていって「俺、今日誕生日なんだけど」って言ったら
へえ、と冷たい反応。さすがに落ち込んだ。
その夜のこと。
トイレにいこうと部屋を出ると、妹の部屋の戸が開いている。風呂のようで
しばらく帰ってくる様子はない。悪いとは思いつつ、部屋に入る。
机の上には日記帳。いけないとはわかっていたが、好奇心に負けて開いた。
そこには、その日の日付でこう書かれていた。
『今日はお兄ちゃんの誕生日。お母さんに言って、今日のお兄ちゃんのお弁当は私が作ることに。
お兄ちゃんは何にも気が付かずに食べたみたい。
大成功?なのかな。ハッピーバースデー!お兄ちゃん』
俺は泣いた。
ある日、男子トイレの洋式の方に入り座ると、ドア裏に小さな落書きがあったのです。
『入院して二ヶ月 直らない もうだめだ』
そして二週間後
(その落書きの事はすっかり忘れていたのですが)、またそのトイレに入りました。
…ドア裏は落書きでいっぱいいっぱいになっていました。
『頑張れ』
『ガンガレ』
『必ず良くなるぜい!』等々。
しかもその後、トイレはペンキ塗り直しされて、他のドアは新しい色になったのですが、なぜか、そのドアだけは塗り直されずに落書きがそのままでした。
それを見て温かい気持ちになりました。
嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。
わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って
手話で
《わたしも》
って言ってくれた。
俺、明日もがんばれるわ。
彼女とセッ〇スしてたら、中に出していいよって言われてびっくりした
マジかよおい
オレガンで約半年しか生きられないってさっき言ったじゃん
子供出来たらどうすんだよ
一人で育てるのかよ、オレ貯金もないから何も残してやれないよ
っていうかお前は絶対他の男と結婚した方がいいに決まってるよ
お父さんだって怒るよ
それがなんで笑いながら「だって○○の子供が欲しいんだもん」って言うんだよ
「○○の子供じゃないと嫌だよ、○○の子供は絶対私が生んで私が育てるんだよ」って言うんだよ
すげーよ、なんでオレ泣きまくってんのに笑いながら抱きしめてくれんだよ
これが引越し中に出てきた6年前の日記
中出しから始まる日記なんて妻と娘には死んでも見せられないけど、
あの言葉でオレは生きる事が出来た
あの日のセ〇クスがなきゃ絶対オレ諦めてた
人生で一番幸せな射精でした
|
コメント一覧 (33)
-
- 2011/10/21 11:24
- やめろ
-
- 2011/10/21 11:39
- >>20感動的なのに犬がCV:もう中学生で再生されて感動が台無しになってしまう
-
- 2011/10/21 12:42
- ビデオテープのコピペやべえな…
-
- 2011/10/21 12:50
- 弁当系のコピペもやばい…帰ったら母さんに感謝伝えてくる
-
- 2011/10/21 12:51
- カーチャンはやめてくれよ・・・
-
- 2011/10/21 12:57
-
心が痛くなるといえば
>>54の母ちゃんの弁当の話かな
死んでないけど、俺も母親に同じような後悔があるから…
涙が止まらなくなるんだよ
-
- 2011/10/21 13:00
-
※2
お前はオレか。
-
- 2011/10/21 13:01
-
感動する話なんだけどな…
もう顔文字(゚д゚)もゴルァ!も古すぎで、どうしても冷めた目で見てしまう…
-
- 2011/10/21 13:23
-
直球の感動話より
ジョブスの大学みたいなみんなの善意が心痛い話がくるなあ
-
- 2011/10/21 13:53
- 久々に泣いたわ(・_・、)
-
- 2011/10/21 14:36
- >>65ってかがみんの中の人?
-
- 2011/10/21 14:49
- ちょいちょい心が和むのがあるんだが>>7とかニヤニヤがとまらない
-
- 2011/10/21 15:07
-
※12
確か福圓さんだったはず
ストパンのヒロイン役
-
- 2011/10/21 15:09
-
あー・・・ホンキで泣いちまったじゃねーか・・・
病んでのかなあ~。
-
- 2011/10/21 15:36
-
※9
そろそろ2ch引退した方がいい年齢では?
-
- 2011/10/21 16:11
-
※12
芳佳の中の人
-
- 2011/10/21 17:55
- >>62はおそらく一人っ子
-
- 2011/10/21 17:59
- 京都の心中事件は何度読んでもだめだ・・・
-
- 2011/10/21 19:47
-
>>30の全文見つけた
「おにいちゃん、こんにちは。
わたしのお母さんが、今度お兄ちゃんのお父さんと結婚するので、
わたしとお兄ちゃんは兄妹になることになりました。
わたしはお父さんができることと同じくらい、おにいちゃんができるのが
とてもうれしいです」
俺の母親は、俺が17のときに親父が迎えた後妻だ。
以前の、どうしようもない人間以下の女ではなく、本当の母親だと思ってる。
再婚が決まってから、初めて俺は新しい母親と新しい妹に会った。
何処かの私立小学校の学生服を着た9歳の女の子から、俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったんだ。
挨拶もそこそこで、無愛想にその手紙を受け取った。
だけど妹に会ったのはそれが最初で最後になった。
彼女はそれからすぐに病気で死んだ。
発病から死まで、あっというまの出来事だった。
俺は何でもしてやるつもりだった。
-
- 2011/10/21 19:47
- このコメントは削除されました
-
- 2011/10/22 00:13
- 一人ビールかけ
-
- 2011/10/22 00:26
-
>>49に貼られてる手話のコピペには後日談がある
トリップつきの投稿じゃないから第三者が確認できる証拠はないが
-
- 2011/10/22 00:52
- このコメントは削除されました
-
- 2011/10/22 03:40
- >>7の意味をどなたか教えてください
-
- 2011/10/22 14:57
-
>>85
は詩として素晴らしい。
-
- 2011/10/22 17:32
-
※25
いわゆる「思い出したくない恥ずかしい過去」ってやつ
妹さんにとってのね
-
- 2011/10/23 00:39
- 母子家庭の俺にはなんともキツいスレだぜ
-
- 2011/10/23 13:41
- 思い出したくないってことは、二重人格ではなかったんですね。ありがとうございました
-
- 2011/10/29 22:32
-
やっぱり、「(゚Д゚)ゴルァ!」は何度見ても号泣してしまう…
久々にマジで泣いたわ。ありがとう。
-
- 2016/08/28 01:16
-
後半ボロ泣きしたわ
自分もいつかこうなるのかと考えたら
-
- 2018/11/11 23:10
- すげー泣いた
-
- 2018/11/11 23:11
- ポッキーの日だね
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