女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【2】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【3】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【4】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【5】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【6】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【7】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【8】
ガシャン
女「…おお」
リン「…中々のものだな」
私達を待ち構えていたのは、想像以上に寂しい景色だった。
お客さんも、スタッフも、可愛い着ぐるみも、音楽もない。
ただ、忘れ去られたアトラクションたちが錆びに身を犯され、立っている。
女「動くかな」
リン「動いたとしても乗りたくは無いな」
女「確かに」
リン「お前、ここに来たことは…ある、んだよな。勿論」
女「うん!最後に来たのは、事件のおきる2ヶ月前だよ」
そうそう。親戚の男の子が遊びに来たんで、一緒に行ったんだ。
あのやんちゃ坊主、可愛かったなあ。
今、…どうしてるのかな
リン「おい?」
女「あ。…何でもない。ええと、何処行く?」
リン「そうだな。…とりあえず、マップの順路に従いながら覗いて行くか」
コツ コツ
女「…あっちー」
リン「暑いな」
9月とはいえ、昼の日差しはまだまだ強烈だ。
しかし。
女「あ、メリーゴーラウンドだー!」タッ
リン「おい」
女「見てみて、リン!あっちには空中ブランコもあるんだよー」キャイキャイ
リン「…」
遊べる物じゃないとわかっていても、心は浮き立つのだ。
リン「人がいた痕跡を探せ。遊ぶんじゃなくて」
女「分かってるってばー」
白馬に跨り笑い声をあげる私を、心底鬱陶しそうな目で見るリン。
女「リンはさー」
リン「何だ」
女「遊園地、嫌いなの?」
リン「嫌いとか、好きとか。…そういう特別な感情は、ない」
女「来たこと、あるよね?」
リン「ああ。でも別に、普通だ」
相変わらずリンは乾ききっている。
メリーゴーラウンドや小さなジェットコースターなど、子供向けのアトラクションが並ぶエリアを30分程度で見終わった。
女「…何も無かったね」
リン「ああ」
女「じゃあ、次はこっちのエリア行ってみない?お化け屋敷とか、ミラーハウスとか、ハウス系のやつが多いよ」
リン「屋内、か。誰かいる可能性はあるな」
移動する最中にも、リンは周りへの警戒を怠らない。
一方私は、倒れたポップコーンのワゴンを覗いてみたり、噴水の溜まった水を蹴り上げてみたりと、自由だ。
リン「…ここか?」
女「うん。うわ、本当懐かしい」
カラフルな小屋が立ち並ぶエリア。お化け屋敷なんか、人気すぎて2時間待ちだったこともあるのだ。
リン「とりあえず手前の小屋から順に入っていく。着いて来い」
女「はあい」
リンがまず、“ドッキリハウス”とかかれた小屋に足を踏み入れる。
リン「なんだここ。お化け屋敷か?」
女「ううん。壁とか床に仕掛けがしてあって、音が聞こえたりするんだ。迷路だよ」
リン「ふうん」
女「私ね、ここに入るといつもビビるからあんまり好きじゃなかった」
リン「へえ?」
女「ここの壁とか、ふと手をつくと音が鳴ってさー」ポン
リン「…」
ピンク色のうち壁に、そっと手を触れた瞬間。リンの体が、少し揺れて、…そして
リン「わっ」
女「きゃあああああああああああああああああああ!!?」ビクッ
リン「うるさ」
女「なな、何、何するの!」
驚いてふりむくと、眼を細めたリンが口元に手を当てていた。
女「リ、リン?」
リン「本当に肝が小さいんだな」
もしかして、今、イタズラされたんだろうか。
女「…な、」
あのリンが?
リン「ほら、行くぞ」
しかし彼の目の和やかさは、数秒で消えた。またいつものリンに戻り、すたすたと先を急ぐ。
女(いや、…意外だった)
動悸は冷めないまま、ハウスを出る。 外の眩しい日差しを浴びた瞬間、私の驚きは怒りに変換された。
女「…」
目の前にいるリンを見る。
油断、…している。体重を片足に乗せ、マップに見入っている。
女「…」ソロ
ゆっくり一歩踏み出して、お返しをしてやろうと、口を開け
「…きゃははっ」
女「…え」
リン「ん」
リンが髪を揺らしながら振り向いた。明らかに背中を押そうとしていた私を見て、眉根を寄せる。
リン「何だ」
一歩前に出ながら、訝しげに聞くリン。
女「い、いや。今何か聞こえなかった?」
リン「いや?」
女「きゃはは、って。笑い声みたいなの」
リン「大丈夫か?」
女「ほ、ほんとに聞こえたんだよ!」
リン「…」
私が必死で指差す方向に目をやり、また私の顔へ視線を戻す。
女「…信じてないでしょ」
リン「ああ」
女「うー、本当、なんだけど。いや、でも…」
リン「…あっちか?」
女「うん。お化け屋敷のほう」
リンの表情が、若干強張った。
女「…」
リン「仕掛けの音じゃないか」
女「でも、あのお化け屋敷にあんな笑い声の仕掛け、なかったはずだよ」
そうだ。 屋敷で惨殺されたお嬢様の霊が出る、というテーマのお化け屋敷で。
メインはお嬢様のすすり泣き、恨みつらみという暗い仕上がりなのだ。
女「絶対おかしいよ。見に行こう」
リン「…」
女「生存者かもしれないよ」
リン「空耳、…だろ?」
女「私、耳はいいほうなんだよ!ほら、とにかく行こう」グイ
リン「待て!引っ張るなよっ」
女「…あれ、まさか、リン」
私は彼の袖を放し、口に手を持っていった。にんまりとした笑いが抑えられない。
女「まさかぁ」
リン「…は?」
女「お化け屋敷、ニガテなの?」クス
私がにやにや笑いながら言った、その瞬間。
リン「…っ」
リンの雪を思わせる白く冷たい頬に、朱が散った。
女(え、え?)
リン「何言ってる。…そんなわけ、ないだろ!」
ほんのり赤く染まった顔で、私を睨みつける。
女(恥ずかしがってる?)
リン「誰があんな、…子供だましのアトラクションを」

女「怖くないの?」
リン「だから当たり前だろ!あんな人為的なもの、何も怖くないっ」
女「…そ、そう」
リンは大きく肩で息をした。 怒ってるのか、恥ずかしがっているのか。
とにかく私が彼のプライドに細工をしてしまったのは事実のようだ。
リン「行く。行けばいいんだろ」
普段より少し大きい声で宣言したリンは、私の手を引っ張りお化け屋敷に向かった。
女「ちょ、ちょっ」
つんのめるようにして歩くと、唇を噛み、顔を薄紅にしたリンの、綺麗な横顔が見えた。
足切りの屋敷。
おどろおどろしい血文字で書かれた看板が、少し傾いで、一層雰囲気を掻きたてる。
女「えーと、リンさん?」
リン「…」
リンは依然、ぶすっとしたままだ。
女(あちゃー、怒らせちゃったかな)
どうせ“お前は何を言っているんだ”みたいなクールなまなざしを向けられると思っていたのに。
失言だ。しまった。
女「…ごめん、ね?」
下手に出て、できるだけ申し訳なさそうな声で謝る。
リン「はあ?」
そっけない返事が、つぶてのように飛んできた。
女「い、いや。怒ってる?」
リン「怒ってない。別に」
女「で、でもさ」
リン「いいから、入るぞっ。置いていくからな」
リンは荒々しくアトラクションの扉を開けた。
軋んだ音がする。前は演出の音響でSEが流れたが、この音は本物だ。
女「待って、リンっ」
彼に続いて屋敷に入ると、ひんやりした冷気が体を包み込んだ。
女「うわ、さむ」
リン「…ああ」
リンが懐中電灯をつけた。真っ暗だった辺りに、申し分程度の丸い明かりが浮かぶ。
女「あれ、明かりつけるの」
リン「当たり前だ。俺たちはお化け屋敷の客じゃないんだぞ」
女「あ、…そうでした」
私も倣って明かりをつける。二つ分の明かりが、妙に赤い屋敷の中を照らした。
リン「どこら辺から聞こえたんだ」
女「ええと、…その、分かんない。ただぼんやりとお化け屋敷付近としか」
リン「使えない」
女「すみ…ません」ガン
リンの言葉には、やっぱりいつもより棘がある。いや、刃といっても過言ではない。
リン「誰かいるなら、呼びかければいいだろ」
女「そうだね」
リン「誰かいるのか?」
女「すみませーん、誰かいませんかー」
しーん。
リン「…」
女「…」
結構大きな声を出した。聴こえないはずが無い。
リン「面倒な」
リンは小さく舌打ちをした。どうやら、この薄暗い屋敷を探索しなければいけないらしい。
リン「お前、入ったことあるか」
女「うん」
リン「じゃあ、前行け」
どん、と強めに背中を押される。よろめいてしまった。
女「え、ええ?」
リン「お前、さっきは散々俺をからかったろ。自分は大丈夫という自信があるからだよな?」
女「えと、それは」
リン「生憎俺はこのアトラクションは初体験だ。案内するのはお前しか居ない」
女「え、ええ…」
リン「ほら、行け」
また軽く、リンが私の肩を押した。
女(くそ…)
渋々ではあるが、私は屋敷の中を先導しはじめた。
順路に沿ってしか行けないので、まずは玄関を上がってリビングを模した部屋に入る。
リン「…どういう屋敷なんだ」
リンが呆れて呟いた。
女「えっと、この屋敷は町でも有名な資産家の家なんだけど」
リン「ああ」
女「そこにある日、強盗が入っちゃうの。家で唯一留守番していたお嬢さんが、なんと両足を切り取られた無残な姿で見つかって」
リン「…」
女「お嬢さんの親は、娘の死んだ屋敷を手放し、解体しようとしたの。けれど、解体作業中に事故が頻発。ついにこのまま残ってしまう」
リン「はあ」
女「屋敷からは毎晩毎晩、お嬢さんのすすり泣く声と“足…私の足…”という声が聞こえるんだそうな」
リン「ふうん」
女「…未だ見つからない犯人を、幽霊となったお嬢さんが探しているのかも…」
リン「なるほど」
女「どう?」
リン「くだらない」
女「ひどい!これ、県外からでもお客さんが来るくらい有名なアトラクションだったのに」
リンは溜息混じりにリビングを見渡した。
中綿の散ったソファ、足の折れたテーブル、割れた絵画…。
壁にはおびただしい量の血がついている。
リン「悪趣味だな」
女「そりゃそうでしょ。お化け屋敷なんだもん」
リン「ここには誰もいない。次だ」
犯人が犯行に使ったであろうナイフが流し台にあり、
お嬢さんのすすり泣きが最初に聞こえ始める(はず)…のキッチンを無事抜ける。
リンは「何で凶器が残っているのに犯人の手がかりすらつかめない。それに、こんな小さなナイフじゃ足は切れない」
とかなり現実的な解説をしてくれた。
女「次はお風呂場だよ」
狭い廊下を進む。ここでは後ろから大きな物音がして、焦った客がお風呂場に逃げ込むという仕様になっているのだ。
リン「…」
浴槽には、カーテンが張ってある。黒い影が見える。
リン「…なんだ、これは」
女「ああ、ここに近づくといきなりカーテンが開くの。中にはお嬢さんの足が入ってて、悲鳴がいきなり流れる」
リン「心底くだらない」
女「…開けてみる?」
リン「はあ?」
リンが一瞬目を剥いた。
女「いや、この中になにかあるかも」
リン「不要だ。いい、やめろ」
女「物は試しじゃない」
私は白い、血糊のついたカーテンに手をかけた。 リンがおいっ、と私の肩に手をかけようとする。
しかし、遅かった。
シャッ、と小気味良い音を立て、カーテンは開いて。

ハローハロー
女「…あれ?」
リン「は?」
なにも、ない。
リン「…」
リンの湿った、ねめつけの視線が絡みつく。
女「あ、れ?おかしいな。ここにね、靴下はいたままの足が」
リン「…」
女「本当だってば!すごく怖かったから、今でも覚えてるんだもん」
リン「確かか」
女「うん!それに、少し動いてる演出あったんだ。だから据付のタイプだと思う」
怖さも忘れ、がっつり浴槽を覗き込む私の後ろから、リンが顔を近づける。
リン「…本当だ。機材のコードがむき出しになってる」
女「どういうことだろ」
リン「足はどこか別の場所にあるようだな」
女「え、ちょ」
一気に背筋が寒くなった。
リン「…」
女「…」
リン「あのな、オカルトなことを考えるのは構わないが。おそらく修理でもしたんだと思うぞ」
女「ああ、なあんだ。そっか」
私は胸をなでおろした。 廃墟の遊園地内で、足が勝手に動き出す…。なんて、考えたたくもな
「きゃはは…。あはは…」
え。
多分、今までの人生の中で一番早く振り向いた。
私の髪が散り、リンの顔を容赦なく叩く。
リン「うわっ」
リンが飛びのき、私を睨んだ。
リン「おい!何だ、いきなりっ」
女「い、今。…聞こえたでしょ!?」
リン「はあ?何も聞こえない」
女「きゃはは、あははって!子どもみたいな声が!え、嘘!?聞こえたでしょ!?」
私はリンにとびつき、肩を揺さぶった。 このむっつりイタズラ好きが、また私をからかっているのだ。きっとそうだ。
リン「やめ、やめろっ」
女「ねえ、もうそういうのいいから!怖がらせないでよお!」ガクガク
リン「…お前こそっ!適当なことを言ってるんじゃないのか!」
女「き、聞こえたもん!ね、リンもだよね!?」
ここでリンの顔が、病的な青白さに変わっているのに気づいた。
え、ちょっと。
まさか、本当に
リン「…聞こえない。本当だ。お前だけに聞こえてるんだ」
女「…」
リン「…」
リンが猫のように立ち上がった。腰の警棒を抜き、逆の手で私の腕を強く掴む。
リン「…クリアじゃないのか」
女「ク、クリアって、…笑うの?」
リン「…」
沈黙が痛い。 私の聞いた声は、確かに笑っていたのだ。嬉しそうに、愉快そうに。
リン「出よう」
女「賛成」
リンは早足で屋敷内を歩き始めた。
もうどこにも目をくれず、転ばない程度の速さで、すたすたすたすた、と。
女「……」
私はパニックにならないよう必死に口で呼吸をしながら、腕を引くリンの速さについていった。
リン「出口は、どこだ」
女「じゅ、順路を行けば出れる!最後の、お嬢さんの部屋を出てすぐ!」
リンがワスレナグサをあしらった、可愛いお嬢さんの部屋のドアを蹴破った。
洋風のドアは壁に当たり、大きく反動して、
女「…っ、リン!」
私が部屋に入った直後、大きな音を立てて閉まった。
リン「急げ。早く出る」
女「わ、分かってるよ!」
最後の部屋。これが一番の恐怖だ。
部屋の中央には、天蓋つきのベッドがある。ここに、お嬢さんの死体が横たわっているのだ。
つくりものの死体には足が無く、美しい顔をしたお嬢さんが虚空を見つめて横たわっている。
それだけでもう、磨り減った心には十分な恐怖だ。
しかし、難関は、ここではなく
リン「…っ、こっちか!」
女「うん、出口!」
出口に手をかけた瞬間、なのだ。
ぼとり
後ろでやけに重たい音が響いた。
女「…」
リン「…」
リンの手が、ノブを掴んだまま止まる。
ああ、そうだ。これが難関。血まみれの化粧をほどこしたスタッフが、帰ろうとする客を後ろから
リン「…開かない」
そう。開かないのだ。わざと、そうしてある。
スタッフが最大限の恐怖をあたえるまで、ドアは開かない仕組みで。
女「……」
でも、今はそんなスタッフも、機材も、ないわけで。
じゃあ、後ろの、音は。
開かないドアは。
しがみついたリンの背中が、大きく大きく深呼吸を繰り返す。
女「リ…」
声が、かすれる。恥も何も無く、私はみっともなくリンの背中に抱きついた。
リン「…音が、したか」
さっきの音は、彼にも聞こえたようだ。
女「…」
私は頷いた。声は喉に張り付き、出せない。
リン「…」
リンがノブを回す手を止め、体をよじる。
後ろを、見ようと。
リン「…」
女「リン、…や」
もう遅い。
振り返った先にあったものは、
二本の、血まみれの足。
そして。
「きゃぁああはははははっ!!!」
体の透けた、煙のような生物。
子ども。
子どもだ。
女「きゃああああああああああああああああああああああ!!!?」
悲鳴が弾けた瞬間、リンが私を脇に抱えた。
そんな力がどこにあるのか。腰を掴み、ものすごい速さで出口に体当たりした。
バン!!
ドアの抵抗がなくなり、私達は外に投げ出される。
女「ひゃ、っ…!?」
頭から落下しそうになった私を、リンがすばやく受け止めてくれた。
そのまま何秒か、リンの上で固まる。
リンは夏の日のイヌのように、何度も早く呼吸を繰り返していた。
女「な、な、に。今の」
リン「…」
リンは答えない。私をおしのけ、バネのように立ち上がった。
手にした警棒を最大限に伸ばし、仁王立ちで屋敷の中を睨みつける。
私は、…立てなかった。腰が抜けている。
リン「…見たか」
女「み、た」
リン「足があった」
女「…子どもも」
リン「…」
女「…」
流れる沈黙。
リンの顎に汗が集まり、ぽた、と地面に染みを作った。
リン「ここから離れた方がいい」
リンが静かに言った。私は壊れたおもちゃのようにガクガクと何度も頷いた。
リン「立てるか。ほら」
差し伸べられたリンの手を取ろうと、力を振り絞って起き上がる。
「ひゅーひゅー」
その視界のはじに、なにかが。
リン「…」
「お姉ちゃんたち、らぶらぶー」
女「ひ、…」
白い霞のような少年が、街灯の上で足をぶらぶらさせていた。
女「リ、リィイイイイン!!!」
またしても私はリンに抱きつく。細い腰に手を回し、顔をうずめた。
リン「…」
一方、リンは瞳孔さえ開いているものの、鋼の理性を取り戻したようで。
リン「…誰だ、お前」
霞む少年を睨みつけ、言った。
「あはは」
「らぶらぶ。ひゅー」
リン「…クリアか?」
「さあどうでしょう。そのお姉ちゃんとチューしてくれたら教えてあげる」
リン「殺すぞ」
重い一言だった。 およそ子どもにかけているとは思えない、ドスの効いた声。
「あはは、こわーい」
少年は街灯の上に立つと、くすくす笑った。
リン「降りて来い!屋敷で不愉快な演出してたのもお前だな」
リンが吠える。しかし少年は愉快そうに笑うだけだった。
「怒ってる怒ってるぅ」
女「…ち、ちょっと」
ようやく回復した私も、リンの加勢をすることにした。
女「あなた、…誰なの?ねえ、降りてきてよ」
「んふふ」
少年は首を傾けてこちらを見た。 …愛らしい少年だった。
年は、10歳前後か。ぼんやりと透けて、白い。
正確には、露出した肌の部分が白い。 身に着けているセーラータイプのシャツなどには、滲んだ青色が確認できる。
「降りてきてよぅ」
少年はウェーブのかかった髪を揺らしながら、歌うように言った。
私をまねして、からかってる。
女「ちょ…」
「知りたかったら、捕まえてごらんよ」
ふわ、とバレエダンサーのような見事な一回転をすると
「きゃははっ」
少年は煙のように消えた。
女「…」
リン「…」
しばし、呆然。
女「…今の、何」
リン「分からん」
女「見たこと、ある?」
リン「無い。クリアにしても異常すぎる。ほぼ人間の形をしているし、発声も滑らかだし、意識もある」
リン「第一。…質感だ。クリアだと流動性のある液体質な体をしているが、あいつは違う。煙のようだ」
女「ま、まさかさ、幽霊…なんじゃ」
リン「…」
リンはさっきまで少年のいた街灯を睨み、喉を振るわせた。
リン「…俺はそういう、非科学的なものは信じない」
女「でも、…でもあれ」
リン「とにかく、捕まえるぞ。あいつが何者であれ、一発食らわせないと気がすまない」
女「え!?」
主旨がズレている気がする。
リン「ほら、グズグズするな!行くぞ」
リンは腰を捻って私を振り払い、駆け出した。
女「ちょ、待ってよお!」
まだ少し震える足をいなして、私も彼の揺れる後ろ髪を追いかけた。
…ああ。
特筆すべきだろうか。この半日を。
私達は、あの忌々しい少年(?)を探して、日が沈むまで遊園地を駆け回った。
しかし。
リン「…」
女「…」
夕暮れ時。オレンジ色の日が山の間に沈もうとしている、今。
リン「…疲れた」
女「ね…」
私達は、満身創痍でベンチに伸びている。
リン「くそ、…あいつ。一体何処に」
女「分かんないよ…」
あの少年は、二度と私達の前に姿を現さなかった。
全エリアを駆け回った私達が、今彼を見つけたとしても、…また逃げられるだけだろう。
女「足が痛い…」
リン「だから言っただろ。…そんな歩きづらそうな靴」
女「機能的なほうだってば」
リン「…」
ぐったり。このオノマトペが今世界で一番似合うのは、きっと私達だ。
女「もう、…どうする?リン」
リン「これ以上の活動は危険だ」
リンは額に腕を乗せ、溜息混じりに言った。
女「車まで帰る?」
リン「そうしよう。今のところクリアは確認できていないが、夜に出るかもしれない」
女「…そだね」
よっこらせ、と立ち上がる。
リンは彼らしくなく背を少し丸め、遊園地の階段を下りていった。
女「…明日、どうする?」
リン「探す」
女「だよねえ…」
ゾンビのようなスピードで駐車場に入り、車の座席へと体を投げ出す。
女「あー…」
このまま、永遠に眠れそうな気がした。
リン「…計画を練ろう。このままじゃジリ貧だ」
女「はー、い」
明日の寝坊は、多分確実。
月が昇り、私達は昼と同じようにカップ麺で夕食を済ませた。

お風呂に入りたかったが、生憎こんな所にシャワーなど無く。
女性としての威厳を全て奪われたような気分で、私は駐車場で伸びをした。
リン「はい」
リンが蒸しタオルを投げて寄越す。
リン「これで我慢しろ。風呂は、今日は無理」
女「はーい…」
抵抗する気力も無く、車を挟んで見えないように体を拭いた。
リンがくれた無香の消臭剤だけ、体に降りかける。
女「…ええと、大丈夫?」
リン「なにが」
女「におい」
リン「どうでもいい」
女「あ、そう…」
トイレの水道で髪をがしゃがしゃ洗ってきたリンは、不思議と何の匂いもしなかった。
男の子特有の、あの、汗の匂いもない。
女「…ねむ」
リン「だな」
計画をたてよう、と提案したリンだが、彼の目の下にはクマが浮き出ていた。
女「…もうさ、休まない?」
リン「…そうだな」
その言葉を待っていたというように、リンは座席に身を投げ出した。
リン「…寝る。おやすみ」
毛布にすっぽりと覆われ、私に背を向ける。
女「おやすみ、リン」
私も毛布を抱え、目を閉じた。
眠りは、一瞬で私の体を飲み込んだ。
目の前が、暗くなる。
「ふふ」
「やっぱりなー」
声が聞こえる。
いたずらっこのような、可愛らしい声が。
「ねえねえ、おねえちゃーん。おーきて」
頬に何かが触れた。 棒のようなもの。 私の頬を、つんつん突付く。
女「…ん、ぅ」
「おーきーてーってば」
女「…!?」ガバッ
「おはよお」
目の前に、あの煙の少年がいた。
女「ひ、…」
「おっと、ちょっと待って。しーだよ。しー」
悲鳴をあげようとした私の口を、温度の無い手が覆う。
「…あの人寝てるから。起こさないでよね」
女「ー、…っ」
「そんなに怖がらないで。ね、大丈夫。なーんにもしなよ」
少年はふわふわした髪を揺らし、にこりと笑った。
女「…な、んで。…ここに?」
「えへへ。…しー。ね、外に出てくれない?」
女「…嫌だ」
「えー。…じゃあ、イタズラするよ」
零れそうな大きな目が、きゅっと細められた。
女「…」
嫌な予感がする。
「いいのかなー?」
女「だ、…駄目。分かった、だから落ち着いて」
「うん。じゃあ、僕の言うこと聞いてくれるよね?」
女「…」コクコク
「静かに車から出て」
女「…」
身長にドアを開け、なるべく静かに閉めた。
悲しいかな、リンは死人のように身を堅くし、泥のような眠りを貪っている。
女(気づけよぅ…)
「はい、よくできました」
少年は嬉しそうに私の腕に絡み付いてきた。
女「…あなた、本当に…。何なの?」
「ふふ」
少年が一歩先へ踏み出し、手招きする。
「ついておいで。一緒に来れたら、教えてあげる」
女「…」
向かう先は、遊園地。
どうしよう。…リンを置いて、一人で?
女「…駄目。危ないよ。知ってるでしょ、透明なアレが出るの」
「お姉ちゃんなら、大丈夫でしょう?」
女「!」
くすくす、くすくす。イタズラっぽい目で笑う少年。
「ほら、置いていっちゃうよ」
女「…」
武器なら、いつでもポケットに忍ばせている。言いつけどおり。
女「…分かった」
私は少年に手をひかれるまま、夜の遊園地へと足を向けた。
「ええと、改めてこんばんは」
少年は遊園地のオブジェの前で、ぺこりと礼をした。
「僕の名前はコマリ。お姉ちゃんは?」
女「…女」
コマリ「ふうん。あの怖い顔したお兄ちゃんは?」
女「彼はリン。一緒に旅をしてるの」
コマリ「へええ」
コマリ、という少年の目がまたきらりと輝いた。
コマリ「かれし?」
女「断じて違います」
コマリ「えー、でもさあ。抱き合ったり一緒に寝たりしてたじゃん。そういうの、コイビトっていうんだよ」
女「…違うの。あれは不可抗力というか、しかたなく」
コマリ「なんだ。つまんないのー」
女(…とんだおませさんだな)
コマリ「ね、女たちって、人間だよね?生きてるの?」
女「そ、そうだよ。当たり前じゃん」
コマリ「…ふうーん。そうなんだー。やっぱりか」
コマリはふわふわと宙を漂い、私を観察した。
コマリ「あの病気に、かからなかったんだね」
女「…うん」
コマリ「そっかー。ラッキーだね」
女「そうかな」
私の髪をなでたり、足を触ったり、無邪気ながらに接してくるコマリ。
彼は、一体。
女「ねえ、コマリ。…あなたは、人間?」
コマリ「えー」
コマリはくすくすと笑った。
コマリ「人間。そうだね、前はそうだったよ」
女「今は、…違うの?」
コマリ「うん。だって僕、死んだもん」
女「…」
じゃあ、じゃあ。やっぱり彼は。
コマリ「僕、…ユウレイってやつなのかも」
女「そ、…う」
コマリ「怖い?」
女「ううん」
コマリの笑みは、太陽に似ていた。最初は戦いたものの、今ではただの子どもに見える。
コマリ「…じゃあ、女。僕の話、聞いてくれない?」
女「話?」
コマリ「うん。ずっとずっと、誰かに言いたかったけど言えなかったことがあるんだ」
女「…いいよ」
コマリ「ほんと?やったあ」
コマリは私の手を取ると、ベンチに座らせた。
コマリ「ええとね、長くなるけどいい?」
女「うん」
コマリ「…えーとね、僕、ママと一緒にここにいたんだ」
コマリの目が伏せられた。そのまま、無邪気さを孕んだ声で語りだす。
コマリの、記憶。
彼にまだ、実体があったころの話だ。
僕ね、あの日ママとここにいたんだ。
ママは、ここのせきにんしゃ、だったんだよ。
だからあの日も、避難するより早くここの「せきゅりてぃー」を、…ええと
…うーん。難しいから、よく分かんない。けど、とにかくお仕事でここにいたの。
え?そうだよ。僕も一緒にいた。
遊園地のてんけん?が終わったら、お爺ちゃん家に避難することになってたの。
お昼なのに、お客さんいなくてね。
社長さんと、ママと、僕と、あと従業員の人が2人くらいしかいなかった。
僕はスタッフルーム、っていうところで、お菓子を食べながらママのお仕事が終わるの待ってたんだ。
あ、鍵、かかってた?
…そっか。
うーん、分かんない。鍵、どこかな?
まあ、いいから聞いて。
それでね
ママが皆とお仕事して、お昼の1時くらいには終わったみたいで。
「コマリー、お待たせ。行こう」
ってママが言ったの。
社長さんが来てね、僕の頭なでて、
「また会おうな、コマリ。落ち着いたら、また皆で焼肉食べに行こう」
って言ってくれた。
社長さんね、うふふ。ママのこと、好きなんだよ。
パパとママがりこんしたときも、ママのこと慰めてくれたの。
僕ね、前のパパ嫌いだったよ。すぐ怒るもん。けど、社長さんがパパだったら、…嬉しいかも。
ええと、それでね。
社長さんと一緒に、駐車場まで行ったの。
車に乗ったんだけど、そこでママが「あ!」って言った。
社長さんとごにょごにょ話してね、それで、僕に
「コマリ、ちょっと忘れ物をしたの。社長さんととりに行くから、待ってて」
僕、うんって返事した。
ママは社長さんと走って、遊園地に戻っていった。
でね、夕方になっても戻ってこなかったの。
僕、ずっと寝てた。
起きたら、辺りが真っ赤になってて。あ、夕方だって思った。
けど、ママも社長さんもいない。
あれー?って思った。
ここにいてって言われたけど、気になったから、車から出たの。
遊園地の中に行くと、しーんとしてた。
ママは多分、スタッフルームにいるんじゃないかって思って、そこまで行ったの。
でもね、鍵、かかってた。
不安だった。
ママー、しゃちょうさーん、どこなのー、って。声を出しながら歩いた。
そしたらね、その、噴水のところ、分かる?
うん、この目の前の。
そこにね、青いふにゃふにゃがいたんだ。
トウメイ?うん、透明だったよ。変な奴だった。
でももっと変なのは、そのトウメイの傍に社長さんの着ていたジャンパーが落ちてたことなんだ。
ジャンパーだけじゃないよ。全部。ズボンも、シャツも、パンツも落ちてた。
いたた。なんで急にぎゅってするの?
…なんでもない? そう?
でも、女の体、ふわふわして温かいし、このまましててもいいよ。
僕、ちょっとびっくりした。
ふわふわは、浮かびながらこっちに来たの。
なんだろう、これ。動物かなあ、って思って。
触ろうと手を伸ばしたの。
そしたら、
「だめ!」
って、いきなり手をつかまれた。
ママだった。
「コマリ、おいで!」
って、ママは僕を抱っこして走った。 頭から血が出てた。
ねえ、ママ、どうしちゃったの?社長さんは?ほかのひとは?
ママ、何も答えなかった。
走って、走って、駐車場まできて、車に乗り込んだ。
青いふわふわが、増えてた。3匹になって、こっちに向かってきてた。
「なんで、どうして」
ママ、泣いてたんだ。
「…なんでなのよ…」
泣かないで、って言った。それで、頭撫でてあげた。
「コマリ、…ごめんね、もう社長さんと焼肉、行けなくなっちゃった」
ママ、目が溶けてなくなりそうなくらい泣いてた。
ねえ、ママ。あれなに?
「…」
こっちに来てるよ
「コマリ。あれに触っちゃ、絶対に駄目。分かった?」
うん。
「大丈夫。ママが守ってあげるから。いい、シートベルトして。行くわよ」
しゃちょうさんたちは?
「…後から、来るのよ」
そっか
で、僕、シートベルトした。そのとき、ママの手に青いお水が着いてるのに気づいたんだ。
拭いてあげようと思って、手を伸ばした。
そしたら
「あ、…あ」
急にね、ちゃぷちゃぷ音がしてきたんだ。
バケツにお水を入れて、かき回したみたいな音。
ママ?
ママのほうを見ようとしたら、
ぱーん、って大きな音がした。
ママの顔、なかった。
冷たい水が、僕の体中にかかった。
ママがぐらって体を倒して、半開きのドアから外に倒れた。
ママ!って叫んだけど、何も言わなかった。
駐車場の上に、ママ、倒れて動かないの。
ママ、ママ、って揺さぶったけど、なんか、変なんだ。
体がね、ぶにょぶにょになっていって。青くなっていって。
それで、…あの青いふわふわしたのになった。
触っちゃ駄目、って、ママが言っていたやつだよ。
僕、ひって叫んでドアを閉めた。
ふわふわ、4匹に増えて、車を取り囲んでた。
怖くて、怖くて、悲しくて、僕、車の中でぼろぼろ泣いた。
夜になっても、泣いた。
ふわふわがいつの間にかどこか行っても、泣いた。
それで、いつの間にか目を閉じてた。
うん。
寝たのかな。
ううん。
死んでた。
目を開けると、僕、ここに立ってたんだ。
体が煙みたいになってた。 そう、ユウレイみたいに。
そこから、ずーっとここにいるんだ。
ずーっと、一人で。
うん。
一人で。
女「…」
コマリ「おしまい」
コマリは言うと、私のお腹にほお擦りをした。
女「…」
言葉が出ない。
コマリは、ここで死んだ。コマリのお母さんも、知人も。
5年もの間、彼はここで、煙の体を繰っていたのだ。
コマリ「ねえ、これどうしよう」
コマリが月明かりに手を透かす。
コマリ「僕、どうなるんだろうね。このままずっと、ここにいるのかな」
女「…」
コマリ「何でか知らないけど、遊園地の駐車場から外にも行けないんだ。寂しかった」
女「…そうなの」
コマリ「…お母さんに会いたい」
女「…」
言葉が、出ない。
自縛霊、の類なのだろうか。
女「ねえ、コマリ」
コマリ「んー?」
女「これから、…どうしたい?」
コマリ「えー?」
コマリ「でも僕、絶対死んじゃってるんだよね」
女「…」
コマリ「だから、ここにいるのは悪いことだよね?テレビで言ってた。ユウレイはジョウブツしなきゃって」
女「…うん」
コマリ「ジョウブツしたら、ママに会える気がするんだ」
女「…」
コマリ「だからね、…もうここからバイバイしたい。もう、ここにいたくない」
コマリの髪をなでる。体と母を失った孤独な、少年の髪を。
女「…ね、コマリ」
コマリ「んー?」
女「私が、手伝ってあげるよ」
コマリ「ジョウブツ?」
女「うん。何か手助けできるかもしれない」
コマリ「本当?」
「待て」
後ろから、機嫌の悪そうな低い声が響いた。
コマリが体を震わせ、振り返る。
女「…リン」
リン「お前な、勝手に行動するな」
ずかずかと大股で歩み寄り、私の腕を掴む。
リン「ガキ。勝手なこと抜かすなよ。俺たちにも予定があるんだ」
コマリ「…」
女「リン!…いいじゃない、可哀相だよ」
リン「甘い。こいつを助けてなにか俺たちにメリットがあるか?」
女「メリットって、そんな」
コマリ「…」
コマリが私の足にしがみつく。昼の強気さはどこへやら、リンを見上げる目は潤んでいる。
リン「…しかも聞いてたろ。ここには最低4匹のクリアがいる」
女「けど」
リン「危険だ」
女「私がなんとかする。だから、協力してあげようよ」
リン「あのなあ」
女「リン!だってこんな、子どもなんだよ?大人気ないよ」
リン「…そうじゃなくて!俺は危険なことに脚を突っ込みたくないんだよ」
女「じゃあ、…リンは車にいれば?私がやるから」
リン「お前もいい加減にしろよ。却下だ」
女「何で!」
リン「俺たちが探しているのは生きている人間だ。幽霊にかまってる暇は無い」
女「つめ、…た!だから、私一人でやるってば」
リン「無理だ。死ぬだけだ」
女「じゃあ、リンもついてきてくれればいいじゃない!」
リン「嫌」
ぎゃあぎゃあと水掛け論を繰り返す私達に、コマリがたじろぐ。
私は何が何でも、彼を助けたいと思った。
女「…とにかく私、彼に協力するから」
リン「却下。いいから来い。もうここを出よう」
女「リン、よくそんな血も涙も無いこと言えるね」
リン「お前こそよくそんな感情論で動けるな」
コマリ「…あ、あの」
火花を散らす私達に、申し訳なさそうにコマリが声をかけた。
コマリ「…リン。あのね、お礼ならするよ」
リン「は?」
コマリがふわりと浮き上がり、リンの耳元に口を寄せる。
リン「…」
何事か、耳打ちした。
リン「…!」
リンの目が見開かれる。
コマリ「…どう?」
リン「本当か」
コマリ「…」コクン
リン「分かった。付き合う。…ただし、今夜だけだ」
女「え」
ど、どういうことだ。
女「コマリ、何を言ったの?」
リン「言うな。ただ、メリットが見つかった」
女「え…?」
リン「行くぞ」
さっきの態度は一体なんだったのか。リンは先頭を切って歩き始めた。
女「ちょ、何なの?本当に」
リン「無駄口はいいからさっさと済ませよう。いいか、今夜だけなんだからな」
女「はあ…?」
すたすた歩くリンの後ろに、コマリが着いて行く。
呆然としていた私も、置いていかれることに気づいて急いで追った。
女「…で、どうするの」
リン「こいつの体を捜す」
女「体、…」
リン「ああ。どこにあるか、分かるか?」
コマリ「駐車場」
ん?…たしかに駐車場に車はあったけど、この小さい少年の姿など、どこにもなかった。

リンが少し考え込む。
リン「…確かか?」
コマリ「…」
コマリの目が泳ぎ、手がふらふらとさ迷った。
女「コマリ、覚えてない?」
コマリ「うん、ごめん。…よく、分からないんだ」
リン「自分の体なのにか」
女「リン」
コマリ「…ごめんね。あのね、ママが死んじゃった所まではよく覚えてるの。けど、…」
女「いいんだよ、気にしないで」
コマリ「…」
リン「といっても、だ。俺たち昼間にあらかた探し回ったしな」
女「確かに」
リン「…アトラクションの中で、見るのが不可能だったって言えば…。観覧車くらいか」
女「そうだね。あの個室を全部見て回るってのは、…」
リン「その鍵のかかってるスタッフルームっていうのは、どうだ」
女「違うよ。だってコマリがお母さんを探してる時にかぎはかかってたんでしょ」
思考が煮詰まる。
リン「…ん」
懐中電灯でマップを照らし、考え込んでいたリンがふと顔を上げた。
リン「…この、小さな敷地は何だ?」
女「え?」
リン「ほら、この、入り口とは魔逆のほうの」
本当だ。駐車場と対になった、何も書いていない四角のエリアがある。
女「…多分、従業員以外立ち入り禁止の区域だった気がする」
リン「そこには行ってないよな?」
女「!そうだよ、確かに」
リン「行こう」
コマリ「うんっ」
広大な遊園地の敷地を横切り、塀のたった最終地点までたどり着く。
白い壁には、「職員用」と書かれたドアがあった。
リン「なるほど。こんな所が」
女「コマリ、覚えてる?」
コマリ「えと、…入り口!ママがいつも通ってた」
女「ああ、職員用の出入り口なんだ…」
リン「…ちっ。やっぱり、鍵が」
女「あー…」
リン「蹴破ってみる」
女「あ、危ないよ?」
リン「問題ない。一発だけ」ブン
ガンッ
リン「…いける。軋んだぞ」
女「マジか!」
コマリ「がんばれ、リン!」
リン「うるさい」ブン
ガン、ガン、とリンの強靭な足から繰り出された蹴りが、壁全体を揺らす。
数回の打撃の後、リンは一番力を込めた蹴りをお見舞いした。
…ガン!!
女「…開いた!」
リン「はあ。…いてぇ」
女「すごいじゃん、リン!ナイスナイス」ユサユサ
リン「…」
げっそりしたリンが、うざそうに私の手を払った。
リン「…暗いな」
中は部屋になっている。暗いが、長机とイスが何脚か目視で確認できた。
女「スタッフルーム?」
リン「いくつかあるうちの一つだな。休憩専用かもしれない」
女「コマリ、おいで」
コマリ「うん」
リンの懐中電灯の光を頼りに、中へ入る。
靴の下でぱきぱきと何かを踏み割るような音が聞こえた。
リン「…これだけか?」
コマリ「ええと、…どうだったかな」
中に目ぼしいものはなかった。流し台、ロッカーと、それからさっきのイスと机のみだ。
リン「職員の更衣室、か」
女「こんな所には、…いないよね?」
一応ロッカーを全て開けて確認したが、勿論全てが空だった。
リン「待て。…もう一つ扉がある」
女「あ、本当だ」
入ってきたほうとは逆の扉。リンが身長に近づき、ノブを回す。
…キィ。
リン「開いてる」
女「…本当?」
リン「俺が先に中を確認するから、合図したら来い」
リンの半身がドアの隙間に消える。
私とコマリは、手を繋いだまま息をつめた。
リン「…おい、駐車場だ」
女「え!」
確かに。隙間から流れ込んできたのは、秋夜の涼しげな風だ。
リン「職員用のか…。なるほど、マップに記載していないわけだ」
大きくドアを開きながら、リンが呟いた。
階段を下りた先に、小さな駐車場入り口が見えた。
女「…ここね」
リン「ああ」
リンが先に行き、金網でできた入り口の扉を開ける。と
リン「…いや。おい、お前ら来るな。…奴らだ」
女「え、…」
心臓がどくん、と脈打った。
リン「…4体もいやがる。…こんな所に集まってたのか」
女「リン。…どうするの」
リン「静かに。…車が3台確認できる。おい、どれがお前の車だ?」
コマリ「…ええと、…小さいやつ」
リン「…。一つは外車、二つは黒と赤の軽自動車。どっちだ」
コマリ「…」
考え込むコマリに、リンはイラついたような視線を送る。
コマリ「…ごめんなさい。分からない…」
リン「…はぁ」
女「リン。…そんな、仕方ないじゃない」
リン「もういい。あいつらがいなくなるまで待つ。それで探せばいいしな」
リンは乱暴に階段に腰を下ろした。コマリは申し訳なさそうに顔を伏せる。
女「リン、トウメイはどこにいるの」
リン「見なくて良い。気づかれたら厄介だ。…駐車場をあてもなくフラついてる」
女「そっか…」
朝が来たら、消えるだろうか。
もし、消えなかったら…?
コマリ「…」モゾ
コマリが身をよじり、私の腕を掴んだ。
女「大丈夫だよ、コマリ。なんとかなるって」
くしゃくしゃと頭を撫でてあげると、コマリは小さく頷いた。
リン「…」
リンはそんな様子を、感情のこもらない目で見つめていた。
何分経っただろうか。
ただぼんやりと、3人階段の最上部に腰掛ける。
欠伸が出た。
リン「…」
そしてリンに睨まれた。
女「…仮眠とっちゃだめ?」
リン「ふざけるな。俺が一番ねむいし疲れてる」
コマリ「二人とも、ごめんね」
女「ううん、いいんだよ」
リン「大体お前が昼間に俺たちをからかわなければ、事は円滑に進んだんだ」
コマリ「…だって。遊んで欲しくて」
リン「くだらない。あれはただ俺たちを馬鹿にしてただけだろ」
女「あー、と。ちょっと、リン。相手は子どもだよ」
リン「知るか。分別の効かない年齢という訳でもないだろ」
女「もう、やめてってば」
コマリ「…」
コマリが薄く桃色に染まった膝を抱えた。
コマリ「…お母さんに、早く会いたい」
リン「…」
リンが首をたれ、忌々しげに溜息をついた。
リン「…ガキが。辛いのは自分ひとりだと思ってる」
女「リン」
リン「俺は。…いや、俺らだって状況は同じだったんだぞ」
女「コマリはまだ、子どもだもん。私達とは全然違うよ」
リン「…」
言ってから、気づいた。5年前、リンは11歳だ。コマリと、そんなに変わらない。
リン「…俺だって親と離れた」
コマリ「…」
リン「女だってそうだろ。…なあ」
女「もう、やめよう」
コマリ「…ぐすっ」
コマリがついに、自分の膝に顔をうずめてしまった。
子どもの空っぽだった心を、“親”というワードが切なくつついたのだ。
女「…コマリ。泣かないで」
リン「泣くな。泣いたってお前の母親は来てはくれない」
女「リンっ」
リン「事実だろ。誰も助けてはくれないんだ。…誰もな」
女「いい加減にして。殴るよ」
ぎゅっと拳を固めると、リンは意外そうに目を瞬かせた。
リン「へえ」
女「…コマリをわざと刺激しないで」
リン「…」
リンは暫く、私の腕にしがみついてすすり泣き始めたコマリを見ていた。
やがて、私の顔に視線を戻す。
リン「会って半日のガキに、よくそこまで感情移入できるな」
女「…」
リン「俺は、…どうとも思わない。残念ながら」
女「リン、…。あなた本当、可哀相だよね。もういい」
私はついにリンに背を向けた。おなかの中に熱い怒りが溜まっていくようだった。
女「コマリ、泣かないで。リンは冷めた人間だからああいうことが言えるんだよ」
コマリの頭をなでながら、優しく言う。
ひっく、ひっくとしゃっくり上げる彼が、可哀相でならなかった。
女(よく感情移入できるな、じゃないわよ)
生きてる人間以外には冷めた態度なんて、どうかしている。
自分の境遇が厳しかったのは、分かる。リンもリンなりに、想像を絶する辛さもあったろう。
…何も聞かせてはくれないけれど。
でも、だからこそ、他人には優しくすべきなんだ。
女「…」ポフポフ
コマリは涙を流し続けた。
リン「…」
リンは秋風に髪をなびかせながら、だんまりを決め込んでいる。
と。
リン「おい」
肩越しに声をかけられた。
女「…」
無視する。
リン「おいって」
リンの手が肩に触れた。
女「何。触んないで冷血人間」
リン「…様子がおかしい」
女「え?」
リン「クリアの動きがおかしい。…集まっている」
女「本当に」
コマリを抱いたまま振り向くと、リンはすでに立ち上がっていた。
リン「…まずいな」
女「リン。…どうなってるの」
リン「こっちに来る」
月が高い。夜明けまでは長い。
私は唾を飲み下した。
リン「…多分そのガキの泣き声を聞きつけたな」
コマリ「…っ」
女「そん、な」
リン「もうバレてる。確実だ」
コマリ「ごめんな、…さい」
リン「謝られても遅いし、何の解決にもならない」
リンがポケットから黒い手袋を取り出し、両手にはめた。
リン「迎え撃つ。お前らは邪魔だから後ろの部屋に入っておけ」
女「…でも」
リン「ぐずぐずするな」
女「4体だよ?リン一人じゃ」
リン「いいから。…さっさとしろ」
唇を引き結んだ。警棒を伸ばして立つリンの背中を、見つめる。
リン「…」
しっしっと、犬でも追い払うように後ろ手を払うリン。
女「私がやる」
背中に声をかけた。
リン「いい」
女「…私だって戦えるよ」
リン「この間だって俺に助けられてた」
女「確かに、トウメイに武器を振るうのは抵抗があるよ。人間だったものだもん。でも」
リン「記憶を読めば助けてやれる、っていうことか?」
はん、とリンが冷たく笑った。
リン「何の正義感なんだ、それ?誰が頼んだ?もうアレは人じゃない。処分するだけだ」
女「でも、何かを伝えたくてさ迷ってるんだよ」
リン「それはお前の主観だ。資料でも読んだだろ。あいつらは、仲間を増やしたいんだ」
リン「お前のお人よしに付き合う義理はない。下がれ」
女「…っ」
胸が痛かった。
リンは、トウメイを障害物としか考えてなくて。
それに、私の事は…
女「信用してないんだね」
リン「…」
女「…ねえ、会って数日だけど、信用してって言うのは、駄目なことかな」
ぴしゃ、と水音がした。
リンはトウメイから目を離さない。
女「…コマリ、部屋に入ってて」
コマリ「でも」
女「大丈夫だから」
リン「ふざけるな、お前も」
バタン
リン「…馬鹿。何がしたいんだ」
女「私もやるって、言ってるの」
リン「いい加減にしろよ。あのな、信用するとかしないとか、そういう問題ですらない」
リン「俺が処理するのが一番現実的で安全だからだ。わざわざお前を危険にさらす意味は無い」
女「でも、私お荷物は嫌だもん」
リンのほうへ近づき、同じ位置に立つ。
リン「最後の警告だ。下がれ」
女「うるさい。リンの馬鹿。友達を助けるのは当たり前でしょ」
リンの口が、開いた。
リン「ともだ、ち?」
女「ん」
トウメイが、金網からにじみ出るようにこちらへ向かってきている。
私は警棒を抜いた。
使わなくても、握っていると安心する。
リン「…」
リンの表情が、ぽかんとしたまま固まっている。
女「何か変なこと、言った?」
リン「…俺とお前は友達なのか?」
女「うん」
リン「いつから」
女「会った時から」
ぴしゃ、 ばしゃ。
トウメイが軟体を伸ばし、階段を登ってくる。
リン「…」
リン「お前さ」
女「うん」
リン「…」
リン「…一緒に、…してくれるのか」
女「うん」
リン「俺のせいでケガするかもしれないぞ。守ってやれないかもしれないぞ」
女「大丈夫。そんなことより、私が何もしないでリンが傷つくほうが嫌だ」
リン「…」
女「私、変かなあ。会って3日のリンに、ここまでするって」
リン「変だ」
ぱしゃ、ぴしゃ。
女「そっか、変か」
女「…でも、リンだって。私を守ってくれたし、危険から遠ざけようとしてくれてるじゃない。会って3日なのに」
彼は、優しいのだ。
リン「…」
青い液状の体が、私達へと手を伸ばす。
リン「…左の1体」
女「え?」
リン「左の1体だけなら、やらせてやる」
女「分かった」
リンが堅く警棒を握り締めた。
リン「3,2,1で突っ込む。いいか」
女「オッケー」
リンの唇が一瞬、戦慄いた。
リン「…3,2」
いち。
リンと私は、同時に地面を蹴った。
リンが目一杯広げた警棒で、右の2体をなぎ倒す。
倒せてはいない。横に傾いだだけだ。
リン「…気をつけろ!固い!」
叫んだが、関係はないのだ。
私に、トウメイの固さや大きさや、速さなんて。
女「…」
ただ、手をふれてやるだけでいい。
細長い形をしたトウメイに向き合い、私はそっと手を伸ばした。
人差し指が青いトウメイの体に触れ、
…言いつけを破ることにはなるが、私は傍にいた大き目のトウメイにも手を触れた。
目の前に、青が広がった。
彼女のことは、出会ったときから好きだった。
まあ、率直に言うとタイプだったのだ。
家計を支えるためにアルバイトを転々とし、ついにここにたどり着いた、彼女。
「実は、5歳になる息子がいまして」
面接の時、はにかむようにして言った。
既婚、か。
それに子持ち。
少しばかり残念だった。
一児の母とは思えないほどの美しさが、彼女にはあった。
それだけじゃない。
彼女の優しさ、仕事に対する熱心さ、子どもへの愛情、
全てを知るたびに、私の心は揺れ動いた。
しかし、揺れるだけだった。彼女には彼女の幸せがある。それで十分だった。
彼女の夫が、彼女と子どもに暴力を振るっていると知ったのは
…いつだったか。
恐らく、彼女を雇ってから半年が経とうとしていたとき。
走ってきたコマリくんを抱きとめたときに、ちらりと見えた彼女の背中。
醜い痣があった。
「ぶつけたんです」
彼女は息子を抱いたまま、ぎこちなく笑った。
「イイジマ社長、ハタノさんのことなんですが」
夏限定の短期で雇っていた女子大生が、言った。
「私ぃ、見ちゃったんですよ。ハタノさんの旦那さん」
詳しく聞くつもりはなかったが、嫌な予感がした。
「…駐車場で、何か揉め事してたんです。車の前で」
「それで、…旦那さん、ハタノさんの頬を二発」
息が止まった。
「…殴ったんですよね。ハタノさん、黙って車に乗り込んで、旦那さんと一緒に帰っちゃいましたけど」
「私、びっくりしすぎて動けなくて。前々から、ハタノさんの体に痣があるの、見てたんですけど」
DVか。
小さな独り言を拾い上げ、女子大生は大きく頷いた。
心根の優しい子だった。化粧は濃すぎるが。
色々な話を聞いて分かった。
彼女はまだ未成年の頃に、5つ年上の男と結婚した。
男は最初こそ真面目に家庭を守っていたが、ある日その仮面がはがれた。
会社でミスをした。
上司に怒られた。
自分は落ち込んで帰ってきているのに、妻は気が利かず、飯は俺の気分好みでない。
殴った。
気持ちよかったのだろうか。
抵抗しない妻を、難癖つけては何度も何度も。
お前、パート先の大学生と親しくしているんだってな。
変えろ。
おい、帰りが遅い。
変えろ。
妻は自分の所有物だという考えが、腐った頭に繁殖していった。
ある日、一度たりとも休まなかった彼女が、3日間の暇を申し出てきた。
「風邪をひいてしまって」
そういう彼女の声は、全くかすれていなかった。
言うべきかどうか、迷った。
自分が彼女の救いになろうなんて、おこがましい。
けど、
けど、俺がやれるのに、やらないのは酷く傲慢な気がした。
下心でも何でも、どうとでも言え。
俺は彼女を救ってやりたい。
電話口で女子大生から聞いた話や、社員の噂を全て伝えた。
彼女は沈黙の後
「…イイジマ、さん」
声がかすれた。
風邪ではない。
「助けて、ください…」
分かった。なんとかしよう。俺を含め、皆が君の味方だ。
俺は大きく、頷いた。
…
青が、切り替わる。
…
あ、しまった。
コマリを車に乗せてから、気づいた。
「イイジマさん、事務室の鍵閉めましたっけ」
「あ」
社長の大きな体が一瞬、のけぞる。
「うわあ、忘れてた。ごめん、ハタノさん」
「いえ、急いでかけて来ましょう。マリちゃんたちももう、外に出るだろうし」
「俺も行くよ」
「すみません」
ガチャ。
「よし、これでいい」
「ええと、他にかけ忘れ、ありませんよね?」
「ないない。大丈夫だよ」
「じゃあ、戻りましょうか」
「ああ」
イイジマさんと二人で、暗い廊下を歩く。
「…あのさ」
イイジマさんは、私に話しかけるとき、いつも「あのさ」ではじめる。
「なんですか?」
「…ハタノさんは、離島のお父さんの家に避難するんだったよね」
「そうです」
「いや、本当。参ったよね、このパンデミック」
「まだ実感ないですよね…。私も、ニュースで言われるまで関係ないことだと思ってました」
「折角社員たちとの食事会も企画してたのになあ」
「残念ですね」
「…また治まって、ここに戻ってこれたら。そのときは」
「ええ、飲み明かしましょう」
「…えーと、ハタノさん」
「はい?」
「その、…。前メールで、コマリくんと一緒に行こうって言ってた…」
「ああ、あの焼肉屋さんですか」
「うん。それも、また落ち着いたら行こう」
「はい」
眼鏡の奥で、私の恩人の目が細められた。
恩人、だ。
彼は私を、あの人から救ってくれた。
最近、マリちゃんに言われた。
「ハタノさんってぇ、社長の気持ちに気づいてるんですかぁ?」
気づいてる。
でも、距離を測りかねている。
彼は、成功した部類の企業家であり、私は、バツが一つ付いた子持ちの女。
彼の人生に、私が近づくことで暗い影がさしたらどうしよう。
「ハタノさん」
「はい?」
「その、また会える日を楽しみにしています」
「私もです」
「…コマリくんも、お元気で」
「ええ」
「…」
「ハタノさん」
「はい」
「あの、結婚しませんか?」
うん?
見上げると、私より30センチも背が高い大男がだらだらと汗をかいていた。
「今、何と」
「いえ、結婚しませんかと」
「…今ですか」
「い、いえ。ここにまた戻って来たらです」
「…何でこのタイミングで言うのですか」
「あ、いえ、その」
「…すみません。あの、映画で。…こういうシーンがあったんですよね」
「はあ」
「戻ってきたら、結婚しよう、っていう」
「よくありますね」
「…あこがれてまして」
「…ぶっ」
笑った。
彼の真剣なまなざしと、もうお馬鹿としか言いようの無い臭すぎるタイミング。
「イ、イイジマさん…。あはは…」
「お、おかしいですか」
「はい、おかしいです」
「……す、すみません。空気を読まず」
ああ、彼は私の希望だ。
いつだって救ってくれる。笑わせてくれる。
暗い底にいる私に、リスクを犯すのも構わず網を投げかけてくれるのだ。
どうとでも言え。
周りにどういわれたって、構わない。
私の添い遂げる人は、あの人ではなかった。 この人だ。
「イイジマさん」
「…はい」
もう振られただろうと目の下に隈まで作り始めた彼に、向き直る。
「しましょう」
「え」
「でも、今のプロポーズは聞かなかったことにします」
「え、え」
「またここで会いましょう」
「社員の食事会も、焼肉屋さんも、行きましょう」
「私達が落ち着いて、それからこの国も落ち着いたら」
「…また、プロポーズしてください。しかるべき手順を踏んで」
「ハ、ハタノさん」
そうだ。私たちまだ、付き合ってすらいないというのに。
順序を飛ばしすぎなのだ、この人は。
「もしまたプロポーズしてくれたら、そのときは喜んでお受けします」
「…こんな私でよければ」
イイジマさんが、ぽかんと口を開けた。
「あ、…ありがとう、ございます!」
彼の歓喜の叫びに被せるように、女性の悲鳴が響き渡った。
…。
アイちゃんの頭が破裂した。
イイジマさんの頭が破裂した。
かつて私に結婚を申し込んだ男の残骸が、私を殴りつけた。
眩暈がする。
「ママ?」
ああ、コマリ。
「なに、これ?」
それ、…触っちゃ、だめ。
「コマ、…リ」
「ママ、大丈夫?」
コマリ、大丈夫じゃないよ。
「泣かないで」
泣きたくないよ。
けど、勝手に涙が出るんだよ。
どうして。
どうしてよ。
やっと幸せになれると思ったのに。
私と、コマリと、…彼とで。
何でなのよ。
誰がこんなひどいことを、するの。
コマリ。
せめて、この子だけは。
この子だけは、守らないと。
頭が痛い。
どこかで水音がする。
だんだん大きくなっていく。
違う。
あたまのなかで、おとがする。
「コマリ」
女「…っ!!」ズシャッ
思わず膝をついた。
コマリのお母さんと、それからここの社長。
二人の記憶を受け入れた私の体が、小さく痙攣した。
変な感じだ。 自分が、自分じゃ、ないみたいで。
手足と頭が、妙に痺れて。
リン「…女っ!!」
すぐ横で、破裂音がした。
リンの振るった警棒が、的確に2体の頭部を砕いた。
女「…リン、離れて。破裂するよ」
「ああ、あ」
「ぶじ、で、いて」
イイジマさんと思われるトウメイが、揺らぐ。
女「…大丈夫。またすぐ会える」
パン。
「…コマ、リ」
間髪入れず揺れ始める、コマリの母親のトウメイ。
女「…コマリくんのこと、私が引き受けます。安心して、…さよなら」
「…ママ?」
上から、声がした。
コマリが、セーラーシャツの裾を握り締め、立っている。
「コマ…」
コマリ「…ママ!!」
コマリが、トウメイに駆け寄った。
コマリ「ママ、ママ!!」
掠れる腕を伸ばし、膨張しはじめた液体に抱きつく。
「…あ」
コマリ「ごめんね、ママ。助けて、あげられなくて」
「ううん」
コマリ「…ママ」
コマリ「僕もすぐ、行くからね」
私は静かに立ち上がった。
リンが、そばにいた。
リン「…」
黙って、私の肩を支えた。
「…あのね、ママね」
「イイジマさんの、奥さんになろうと思うんだ」
コマリ「うん」
「いいかな?」
コマリ「うん!」
「…ありがと。コマリ。三人で、」
しあわせになろうね。
パン。
青い水が、コマリの体をすり抜け、散った。
コマリ「…」
女「コマリ」
リン「…」
先に動いたのは、リンだった。
水を手のひらで救い、座り込んだコマリに歩み寄る。
リン「お前の母さん、立派だったな」
コマリ「え、…?」
リン「イイジマさん、だっけ?あの人もいい奴だ。安心しろ、未来は安泰だぞ」
そういいながら、コマリの脇に手を入れ、抱き上げる。
リン「行こう」
女「…うん」
だんだんと色が抜け始めたコマリを、しっかりした腕に抱きしめ。
リンは駐車場に入った。
リン「お前、どこにいるかな」
歌うように、あやすように、リンは車を覗き込んでいく。
コマリ「…」
コマリはもう、喋らなかった。
リン「女」
女「…何」
リン「来てみろ」
手前にあった軽自動車の前で、リンは立ち止まった。
リン「…見つけた」
顎で、助手席を示す。
私は、深呼吸をしてから、ガラスを覗きこんだ。
コマリは、そこにいた。
狭い車の助手席に、膝を抱えて眠る少年。
呼吸は、していない。
リン「開けてくれないか」
頷いて、ドアを開ける。
コマリの体はびくともしなかった。
女「…生きてる、みたい」
リン「…首を見てみろ」
コマリの白いうなじに、薔薇のような痣があった。
女「これ。…」
リン「どういう仕組みかは知らない。けど、…こいつの死体はこのままの形で、残ってる」
そんなことが。
コマリの体からは、お日様のような匂いがした。
たった一部分の腐敗もない、生前そのままの姿。
リン「おい、聞こえるか」
リンが腕の中のコマリを軽く揺さぶった。
リン「お前、いたぞ。こんな所で、一人でずっといたんだな」
コマリ「…うん」
リン「寂しかったな」
コマリ「…うん」
リン「もう、休め」
コマリ「…」
コマリの瞬きが、緩慢になっていく。
コマリ「…リン」
リン「何だ」
コマリ「彼は。…海に行くって、言ってたよ」
リン「ああ」
コマリ「…あのね。…僕だけじゃ、ないんだ」
リン「そうか」
コマリ「ユウレイにね、…なってる、人。僕、知ってる。…黙ってて、ごめん」
リン「構わない」
女「…」
コマリ「女」
女「なに」
コマリ「…ありがと。リンも」
リン「俺はついでか」
コマリは、柔らかく笑った。 目を閉じた。
二度と再開することのない、最後の瞬きを、終えた。
さらり、と
シーツのこすれあうような、綺麗な音がした。
女「あ、…」
リン「…」
全てを終えて眠りについた、煙のコマリが
そして、助手席で眠るコマリが
まるで魔法のように、消えた。
リン「…」
女「…」
空が白み始めている。
朝が来た。
私達の間に、コマリのあの、お日様のような匂いが漂っていた。
女「…」
私は、しばらくその場にたたずんでいた。
ただ、コマリの消えた助手席を見ていた。
リン「おい」
リンが肩を叩く。
女「…ん?」
リン「これ」
リンが、どこで摘んできたのか黄色い花を私に差し出してきた。
女「…コマリに?」
リン「ああ」
可愛らしい花弁を風揺らす花を、2本。
私とリンの手が助手席に置いた。
さようなら、コマリ。
私とリンは、日が昇りきるまで、リンの消えたあとを見つめていた。
そして
車に戻って少しだけ仮眠を取り、私達は遊園地をあとにした。
リンの消えたあとじゃない…コマリだ…
とにかく遊園地編終了です。お付き合いどうも。
乙
結末がどうなるのか楽しみ
お疲れさま
アニメ化決定
期待
「ハローハロー。続きはまだですか?どうぞ」
1000いきそうだなあ
>>254
折れずにやってくれ
俺は本当に応援している
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【2】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【3】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【4】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【5】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【6】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【7】
女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」【8】
元スレ 女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1441511235/
コメント一覧 (3)
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- 2015/11/14 21:05
- 神
-
- 2015/12/19 18:31
- 女のウザさは健在
冷徹なキャラならそれで貫き通せよドクズが
冷徹だけど実は…!?みたいなのが一番力抜けるわ
作者は苦しみ抜いて死ね