不思議体験と言うか、なんとなくこの話を大勢の人に話したいなぁと思ってスレ立てた
俺の祖父はというと、多くの特許を取得したと言う町工場の社長だった。
俺が覚えている一番古い記憶(何歳か不明)では、
すでに隠居を始め工場に顔を出すことも少なくなっていた。
享年98の大往生から逆算すると、当時祖父は70ぐらいだろう。
70にしてはガタイはよく覇気はあり声もデカイ。
見た目40とかそこらのオジサンと言っても十分に通用したと思う。
だからこそ、俺が高校生の頃に大ボケ始めた頃はショックだった。
老人介護が問題視されたり、祖父母の介護を妻が請負疲労困憊する話をよく聞くと思うが、
本当に大変だった。
祖父が四十年かけて築き上げた豪華な庭は荒らしまわるは、
裏山から降りてきたタヌキを見て俺の名前で読んでお小遣いあげていたり、
コンビニやスーパーで「支払った!」と、勘違いして警察呼ばれたことも多々あった
正月でもないのに餅つき始めたり、他所の家の柴犬を拉致してきたり、
もう引っ越して居ない人の家に遊びに言って「○○!酒持ってきたぞ!」と
あろうことか長靴装備の土足で上がり込んだ時は、その家の畳の張替えまでさせられた。
ついでに家に役所の人が来て、さんざん祖母と母を咎めていた姿は今でも晴れない気持ちになる。
それに祖父は職人気質を持ち合わせていた。
その為、よく祖母や俺の母を怒鳴る&殴る蹴るしていた。
そこに止めに入るのが俺の唯一できる介護状態だった。(大学受験も控えていたし
俺が無事に大学に入る頃になると、俺も祖父との付き合いを始めた。
主に監視や、アレ取ってこれ取っての小間使いだが、それだけでも大変だった
さらに財布を管理していたので「お前!俺の金取ったダロォ!」と殴られた事もあった
ちなみにこの時すでに祖父は俺が誰だか分からなくなり口癖のように「お前は俺の会社で取ってやる!」と言っていた。
この頃、俺の叔父に当たるオジサンが工場どころか会社ごと潰したので
本当に居た堪れない思いだった。その叔父は未だに行方不明だ。
未払いの給料を求めて訪れた従業員達を見て、祖父は「なに遊びに来てんだ!仕事しろ!」と怒鳴って、
それに切れた若い従業員がブチギレて祖父に掴みかかった時は大変だった。
祖父はなぜ掴みかかられたのかわかっていない様子だったので、尚更。
祖父の体が動かなくなり始めた頃、家族に「これでおとなしくなる」とか言っていた。
改めて考え直すと酷い孫だ。
倒産した会社の後処理も長い付き合いの弁護士を交えて、順調に終わらせたので、
本当に落ち着いた日々に戻れると思っていたんだ。
ただ、実際は真逆だった。
祖父は体が動かなくなることに不満を抱き、常日頃から怒鳴る&物を殴るor投げるの危険人物になった。
役所紹介の介護ヘルパーさんの提案の元、車いすや家の中をバリアフリー仕様にリフォームしたのだが、
むしろそれが裏目に出て「俺は老いぼれじゃね!!」と、「こんなの俺の家じゃね!俺は出て行く!」と毎日の様に怒鳴り散らしていた。
持ってきた車いすはその日の内に仕事道具でバラバラにされた。
ちなみに、ちょっと関心できたのは、ちゃんとバラしたパーツをメモして再び簡単に組み立て直せるようにしていたことだった(まあ借りた車いすなのでお金を払ったが……
そんな祖父でも日本酒を与えればおとなしくなった。
ただ、祖父が長いこと呑んできた地元の日本酒は高いので、
家の財政状況が危機的状態なのも踏まえ、安酒に変えた。
この時「働いてきた人間にこんなもの飲ますのか!今までのもそうだったのか!」と物凄い勢いで怒られた
なんか悲しい結末になりそうな予感…
大学を卒業する三日前だったと思う。
祖母の顔半分が赤紫になるほど腫れ上がった顔を見て、本当に祖父を殺してやると思った。
ベットの上で寝たきり状態だった祖父だが、上半身のチカラだけでコッチへ体を向け、
取っ組み合いになった。割りと強かった。
日頃の足腰の悪さはどこいった?と疑いたくなるほど強く、このまま立ち上がってボコボコにされると思った
幸い立ち上がることもなく、仕事が終わって返って来た父親が間に入り、喧嘩は終わった。
祖父は「ソイツは誰だ!?イキナリ襲ってきたぞ!強盗じゃないのか!警察呼べ!」とひっきりなしに叫んでた。
祖母には何度も「ゴメンネ」言われて、同時に「許してあげて」とも言われ、もう本当に辛かった
ちなみに祖母はこの時の青痣がシミになって、今は顔にスカーフ巻いている。
祖母自身は「スカーフというお洒落をしれてハピハピ、ハピネス!」と、どこで覚えたみたいなセリフ言ている。
ただ殴られた当時は、正直結構美人で着物に合う「ザ・女将」みたいな人だったので可哀想にも思える。
実際本人もすごく木にしていた。大学の卒業はもちろんコレず、それを悔やんでいた
頑張って
俺は大学を出て勤め始めた頃から、祖父の本格的な弱体化が始まった。
それとも卒業間近で喧嘩したあの時に、すべての力を使い果たしたかのように、
大体その次の週ぐらいから、本当に見る見る内に筋肉も体の肉も、肌のハリや目の生気もなくなっていった。
怒鳴る物を投げるは継続していたが、昔ほど怖くもなく。
さらに言えば、物を投げるにしても1メートルも飛ばないのであたっても痛くない。
コッチが怯えなくなったからか、祖父は意味が無いと分かったようでブツブツ言うだけになった。
食もドンドン細くなってきて、歯もドンドン抜け、髪の毛も全体が真っ白になった。
定期に病院には行っていたが「これが老化です」と言われた。こんなに簡単に人は老化するのかと思った。
よくテレビや漫画小説である敵キャラが「不老」に憧れるのも無理はないと思った。
俺が入社して半年経った頃に初入院した。
一ヶ月の入院ということだが、祖父は「俺を殺すのか!!」と怒鳴っていた。
ただ病院内でも散々暴れ周り、同室のボケジジと怒鳴り合いして点滴を投げ、
「もっと設備と技術が備わった病院に……」と祖父は厄介払いされたが。
不思議と不満はなかった。俺らの苦労が認められたと思った。
入社して1年経った頃、祖父が苦しんでいるので病院に行くと電話が来た。
ガンを患っていた。嫌々だった為に、一年に一回程度しか全身診断できなかった結果だと思った
事実役所やヘルパーさんから我が家は散々とっちめられた。
「強引でも連れて行かなきゃ!」「病院ならプロが居るから!」「殴っても問題にならない!」
そんなこと言っていたと思う。
俺は祖父の横で「お前のせいでそう言われたんだぞ」と恨み辛みをぶつけた。
怒鳴っては居なかったが、それを聞いていたと思われる看護師さんに「あんまりキミはこない方がいい」と言われた。
割りと介護の疲れて犯す殺人があるのだと、またそういう人様の心のセラピーもあると紹介された。
もちろんセラピーには行かなかったが、祖父に会いに行くのはそれっきりにした。
手術は無事に終わったが、祖父は「俺の体に何をした!!」と怒鳴っていた。
手術する前に「それは大変だ。先生俺の中から悪いの取ってくれ」みたいなこと行っていた人が、
麻酔から覚めると同時にお腹に違和感を覚えて、そう言うのだから怖い。
この時、お腹の中に爆弾を入れられた。きっとあの怪しい奴のしわざだ、と言うようになった。
怪しい奴とは俺のことである。
ただ祖父はもっとガリガリに痩せていった。
手術は無事成功とのことで、この痩せは「老化」なのだと言う。
5分怒鳴ったら、その日は疲れきって一日中寝ている状態だ。
しょっちゅうイライラしていたので朝から寝込んでいることもあった。
その後の数年は入退院を繰り返す日々だった。
看護師さんを殴ったり、医者と怒鳴り合いを繰り広げ、転院を5回もするハメになった。
行き着いた先の病院は警備員が警棒持って立ち、疲れきった表情の男性看護師さん、
病室の叫び声が廊下に響いている。
医者や看護師さんが力づくで患者を抑えこむ、普通の病院だった。
最初こそ、そんな光景に多々ドン引きしたが、ここの先生や看護師さんは本当に人が良かった。
ちなみに看護師さん曰く「精神病棟……よりは……」と多々話を聞いた。
そこでも祖父は速攻BL入りしてしまう可哀想な人だったが、祖母も母も俺も「ここがあの人の最後になるだろうな」と思った。
そして、とうとうその日が近づいて来た。
その日、祖父はおとなしかった。
祖母は寝ているだけだと思ったが、部屋の中が妙に鉄臭く祖父の元へ行ったらしい。
すると祖父は鼻血と吐血していたらしい。
俺はその叫び声を聞いて飛び起き祖母の元へ向かうと、祖母が一所懸命祖父の名前を呼んでいた。
俺はすぐに119番し、祖父のその後を見守った。
胃と食道の内部の表面が何らかが原因して裂けたとの事だった。
唇を切るが胃と食道で起きたと思ってほしい。
日頃から怒鳴っていたんが災いした……というのも無きにしも非ず、とも言われた
そこから零れ出た血液が気管に詰まっていたそうだ。
幸い肺をキッチリ塞いでいなかったのは幸いだったらしい。
祖父はこの日を境に、家に一切帰ってこれない。同時に余命も僅かでしょうと告げられた。
食道静脈瘤破裂かな
医者として医学的に考えて余命を告知するには早かったそうだが、
先生の長年の経験から言って……との話だった。
この状態になってしまうと、体にどんな異常が起きてもおかしくないらしい。
また突然死に至るのも普通だとも、やんわりと伝えられた。
だが、祖父は俺らの期待を裏切り無事に長生きを継続させてきた。
さすがの先生も「あの時のセリフ恥ずかしすぎる」と言うほど、祖父は元気に怒鳴っていた。
ボケは治らなかったし、うっかりして傷口を開いてしまったりする、早速の大迷惑を披露する祖父。
長年付き合ってきたからか、それとも疲れすぎてなのか、または家に祖父が居ないからか。
祖母も母親も俺も「この調子じゃ後五年は生けそうだ。100歳超えるんじゃね?」と思っていた。
ちょうど俺の仕事が立て込んでいた時に、血相を変えた祖母の声で急いで病院に行くと、
いつもの奇声が聞こえる病室ではなく、物静かな病室へと案内された。
なんで物静かな病室なのか。理由は簡単で、
この病室に居る人間は、本当の意味でいつ死んでもおかしくない人たちなのだ。
「この病室に祖父がいるのか、ふーんっ。とうとう終わりか……」などと思っていたが、
他の患者さんが付き添いの人に手を握られていたり、黙って見守られていたりする光景を、3度ほど見て、
祖父がいるところに近づくにつれ、緊張していった。
祖父のおうこの頃には見慣れてた人工呼吸器を装着した姿は、今までの比較にならないほど小さかった。
本当に「あ、この人、もうすぐ死ぬのだな」と子供でも分かるだろうッて言うほど弱々していた。
早朝から大人しかったそうで、警戒はしていたそうだ。
昼過ぎにハッキリと祖父が意識を失っているのが分かったらしい。
病室に居る「ウチのな、父親はな、立派な軍人でな」の三拍子が口癖の婆さんが、異変を看護師に伝えたそうだ。
そんなのはどうでもいいと、小さくなった祖父を見つめていた。
何を考えていたんだろう。正直、何かを考えていたのか思い出せない。
早く死ねと思ったような気もするし、昔の祖父との思い出を思い返していたとも思う。
……な感じでシンミリとしていた時、祖母の手を祖父が力強く握り返した。
しゃべることもせず、体の動きもそこだけだったが、しっかりと祖母の手を握っていた。
ちょっと張り詰めた空気が和らいだのはよく覚えている。
それから一ヶ月後。
祖父は相変わらず寝たきりだった。
祖母は毎日祖父の病室へ通っていた。
あの特別な病室は長くて半年と言う話を聞いたと教えられた。
これは「半年以内に(沈黙)」とのことで、この話はこの病室に来る患者の親族全員に話すことらしい。
要するに「終活やっとけや!家で揉めるなよ!心の準備しておけ!」ってことらしい。
ポストに入れられる「お葬式のご案内!」とか言うチラシも冗談で眺めることはなくなっていた。
そんなある日、家に電話がかかってきた。
それも深夜だ。母親は「父からか……」と電話を取った光景をよく覚えている。
母「はいもしもし、○○です。あ、先生……どうしたんですか?」
アイコンタクトで『向こうの様子がおかしい』と伝えてくる母
俺は仕事終わりのビールをゆっくり飲んで溜まっていたドラマを見ていたが、
ちょっとカッコ付けて背広を着たと思う。飲んでいるので運転もできないのに。
母「はい?え!?は、はい……?え!?父さん!?ええ!?お父さん!?」
ただ母親の様子が面白いぐらいおかしかった。
ものすごく電話しながら混乱していて、何故かコッチをチラチラ見て、本当に我を忘れている様子だった
ごめん、10時なので少しお出かけしてくる。
祖母のお使いに付きそうだけだからすぐに帰ってこれると思う。
駄文長文でスマヌ……。目が滑って理解できないことをあったら教えてくれ。
話終わったらレス返しします。
いいところで!
待ってるぞ
いてら
続きよろしく!
すまない。お使いから帰ってきたらご飯食べに行こうとなって、
家をすぐに出て、その次に親戚の家に行き酒を飲んでしまい帰れなかった(車ゆえ
今年明けて1、2日以来の休みだし家を優先した次第。お許しを
そして今は、若干二日酔い気味なのでなおやばい……
>>46
お帰り~~
俺は不安に思ったので電話を変わろうとするが、
母親はコッチを見て顔をふるふると横に小さく振った。
それにしっかりと受話器を握っていた。
何度も「お父さんなの!?」と言っていたのが、その時は不思議でならなかった。
一体電話相手は誰だと言うのか。
それに祖父はまだ死んでいる訳でもないのに幽霊のように驚いていて……、と言う具合に。
母は「そう!?いいの!?いいの!?あちょっと!?電話切るよ!?」と大声で言った時、
母の受話器の向こうから「うるさい!はしゃぐんじゃねぇ!」と言う怒鳴り声が漏れてきた。
紛れもなく祖父の声だった。
ただ、そこで一旦電話は切れた。
母がコッチを見て言った第一声「お父さんが電話かけてきた」
呆然とし訳もわからないと言った顔で。
母はそんな気抜けた顔のまま「明日、病院いこうね。会社には電話しておいて」と言った。
母は無理にとはとのことだったが、無理でもともお願いする感じであった。
そのまま母は考え毎するかのようにトイレへ向かっていった。
俺は疑問が晴れないことにモヤモヤしていると、ちょうど病院からかけ直しがきた。
医者「もしもし?祖父さんが電話切っちゃいまして……
また重ねてすみません。祖父さんが大声を出したので咽てしまって……」
その謝辞のあと、適当な挨拶から電話は始まった。
俺はまだ「いつものボケの影響か?迷惑かけたんだな」と思っていた。
俺は事の経緯を聞くと。
医者は「ああ、お孫さんには伝わってませんでしたか」と言った。
医者「祖父さんがですね……、なんと言えば良いのか。
とにかく、『意識が戻りまして。』
それどころか『ハッキリしているんです。』
それで家に電話しろと言い始めまして。
失礼ですが、最初はボケから混乱しているだけかと思っていました。
ですが、やけにちゃんと喋るもので、お電話を。
体の具合の方は、今まで通り油断ならないのですが、
意識だけはしっかりしていると言えるのではないでしょうか。
今できるのは問診と簡単な確認ぐらいですが、そうだと私は思います……
今は横になって静かにしているようお伝えしたのですが、
何も言わず横になり天井を見つめおとなしくしています。
どうやら私たちの言葉もすぐに理解できるようで……。
何を言っているか分からないかもしれませんが、私も詳しくは分かっていません。
経験上で言える事はあるのですが、それとはどうも違う様子で。
とにかく、本人の希望で『明日は来てほしい』とのことです。
今すぐにではなくていいそうです。」
俺も母親と同じポカーンと頭の中が真っ白になったと思う。
何度も理解できるまで医者に尋ねたが、
要約すると「具合は悪いままだが、意識の方がハッキリとなった、ボケが治った?(医者も疑問)」と言うことだった。
この何年間も大ボケだった祖父の、あの大ボケが治った?
にわかには信じがたい話だった。ただ何度も同じことを俺は尋ねていたと思う。
祖父は、自分の誕生日・仕事(昔の仕事内容)・今の自分の状況状態・家の住所電話番号、他
これらをハッキリと答えられたとの事だった。
翌日、どうしても朝出て提出しなくては行けない書類を会社に届けてから病院へ向かった。
上司の方は祖父の具合がよくないことを深く理解してくれている人なのと、
大人の事情になるが、この時あまり社員は出勤しないほうが会社に得になる状態だった。
だからか、この日は提出と事情説明にかかった時間分だけ働いたこととして、以降早上がりとなった。
病院に着きいつものように、あの病室へ向った。
祖父がいる場所には仕事先から直接来たという父と母、
そして涙目で「うんうん」と嬉しそうに頷いている祖母がいた。
祖母が頷く先には、いつもの様に仰向け状態で寝ていた祖父の姿はなく、
ベットの背中部分をしっかりと上げ、どっしりとイスに腰掛けているかのように座る祖父がいた。
人工呼吸器でもサイズが一回り小さくなったマスクをした祖父がいる。
祖父「お、○○!よく来たな!」
俺の姿を見るなり祖父は元気よく俺の名前を呼んだ。
実際には声も小さく若干かすれ気味だったが、それでも覇気があった。
左手を上げたったようだが、祖父の胸下までしか手は上がらなかった。
祖父はそれを見ると「すまねっ、全然体動かねーんだ」とニコニコして言った。
俺はしっかりと祖父に近づけないまま、遠目に見ていると、
祖父は近寄ってこないことに気がついたのか、一瞬ハッとした表情を浮かべ、
祖父「そうだよな。なんと言えばいいか。とにかく長い事迷惑かけたな……ありがとう」
祖父は神妙な顔を浮かべた後、体を前に倒したら。
そしたら「おお、おおおおっ」とか言いながら祖父はそのまま前倒れしそうになり、祖母が支えた。
祖父は「お前に支えられるほど体が軽くなっちまったなぁ」と、
祖母は「ええそうですね。まったくうらやましい」と。
それを聞いて母と父は小さく笑っていた。
体の具合は元気ではないのは分かるが、頭の方は元気じゃないか。
俺は最初なんの冗談かと思った。
大袈裟かもしれないが、コレはテレビのドッキリ番組で、どこかにカメラが隠されている。
今目の前にいる祖父は、祖父のそっくりさんで俺らをビックリさせようとしている、とまで考えた。
冷静になって考えればそんな不謹慎な企画があるわけがない。
祖父は「まあ、○○。こっち来て座れや。もうすぐ先生来るそうだから、それまで話をしよう」
俺は言われるがまま、祖父の横の椅子へ座った。
今までは祖父の横に座ることさえ面倒に思えていたが、この時は喜んで座りに行くような、
本当に小さいころ祖父母に喜んで合うかのような感覚だった。
祖父は普通に父母と会話するし、祖母とも会話している。
体が如何に動かないか、思うように体が動かなさすぎて悲しくなる、
どうやって俺はこの体と付き合ってきたんだ、こんな体と付き合ってきたお前らには迷惑をかけたことだろう
今までの酒癖やタバコが今になって体に影響出たのか?おう□□(父)酒タバコやめろよ、
そういやお前は酒タバコをあまりしない質だったっけか、アハハハハ
途中咳き込んだりしていて、休み休みに喋っていたが、祖父はとにかく喋っていた。
ある程度頃合いを見計らっていたのか、祖父の担当医が現れた。
昨日電話をかけてきた先生だ。
祖父は移動できないので「祖父さんは待っていてくださいね」と言う。
祖父は「こんな体じゃ何処にも行けねーわw」と笑う。先生が若干素で笑った。
案内されたのは診断室だった。
そこには祖父のレントゲン写真や様態をまとめたノートなど、
先生自ら「大袈裟に張りました」と言うほどディスプレイに表示されていた。
昨日の朝の様子に関しては「平常」と書いてある。
これは『いつも通りの様子=寝たきりで反応なし』とのことだ。
次に昼間の様子。祖母が見舞いに来ていたがやはり「異常はない」。
とにかく昨日一日中、血圧や心拍数や体温も、すべて今まで通りとのことだった。
医者「つまり、何が切っ掛けでああなったか分からないです」
先生が言うには昨晩、夜遅くのこと。
祖父からナースコールがあった。そして看護師が見に行くと、
ナースコールを握り、そして目を開けていた祖父がいたそうだ。
看護師としては、この部屋の患者がナースコールを押すのは滅多にないことだったので非常に驚いたらしい(二年ぶり?)
看護師は決まり文句「祖父さんどうしたのですか?」と聞くと、
祖父はかすれ声で「ここは何処ですか?」と聞き返したそうだ。
看護師さんは「病院ですよー」と聞くと、祖父は「どこの病院で、俺はどうしたんだ?」と聞いてきたらしい。
看護師さんは病院名を言った所、祖父は「何県だ」。
そして何県か答えると「近畿地方であっているか」と答えたらしい。
県名は伏せるが(こんな特徴的病院がそこしかない為)、まさに正解。
違和感を覚えながらも看護師はとにかく担当医の先生を呼び、
先生はボケ老人と同じように接していて気がついたそうだ。
「この人ボケがない。どうしたんだ?」と。
祖父は次第に声を出せるようになってきたらしく、それに連れ喋るようになっていき、
そこで祖父の頼みから家に電話をかけたそうだ。
ただ深夜なので今すぐに来なくていいと言うのに、母がグダった為、祖父は怒鳴ったらしい。
先生もまさか怒鳴り声をあげられるほど元気だとは思わなかったらしく「非常に驚いた」と言っていた。
さらにあろうことか、子機の電話を切る方法まで理解していて尚更驚いたらしい。
医者「こんな話をして非常に驚かれることでしょうが……
とにかく意識の方は、先ほどの様子も見て、健全者と同じか少し低い程度でしょう。」
そこで父はあろうことか、
父「こういうことはあるのですか?所謂、なになにの瀬戸際で……」
母がバンッと父の脇腹を殴ったが、誰も父も特に気にすることはなく
医者「まあ私として……なくにしてあらず、でしょうか。
実際、目が開いた。小さな声で名前を呼んだ。手を握り返してくれた。何かを喋っていた、など
瀬戸際での出来事は実際聞きます。
悲しい話、医者たちの間でも、実際でも、大抵は勘違いとのことですが。
ただ事故から驚異的回復を見せたなど、聞きますしありますからね。
それに祖父さんに今起こっていることは、流石に勘違いでは済まないことでしょう」
父も母も俺も「はあ……?」と驚嘆の声を漏らす中
祖母「あの人は往生際が悪いですからね……」
といった瞬間、思わず俺らは笑ってしまった。そういう話じゃないでしょ、と。
先生も必死に笑いを堪えている様子だった。
その後は、祖父のその後について予定を話した。
意識の方はともかく、体は相変わらずなのであの病室に留まることになった。
ただあの病室ではなるべく声を小さく喋ってもらいたい、他の患者がアレなのでと。
先生との話を終えて祖父の元へ戻ると、祖父は新聞を呼んでいた。
テーブルの上に広げて読んで、貸出用の老眼鏡をつけ、読んでいた。
失礼な話「誰だコイツ」と思った。
今までのボケ老人と寝たきりの祖父の姿を覚えているだけに、尚更。
祖父は俺らの姿を見ると嬉しそうにニコニコしていた。
その後、祖父が第一に「会社の方なんだが……アレか。俺がボケている訳じゃないよな?」と聞いてきた。
その言葉のニュアンスを読み取るのは難しかったが、父と祖母は。
父「覚えているのなら、その通りです」
祖母「あのバカ息子がね……」
たったコレだけの言葉ですべてを察したのか、祖父は目線を上げ遠くを眺めた。
一度だけ見た祖父が祖母と喧嘩した後、
何かを思いつめるようにタバコを吹かしていた姿と同じだった。
その時、祖父が「思いがごちゃ混ぜな時は遠くを見るのがいい。広く見るのがいい」と教えてくれた。
もしも窓際だったら外を広く眺めていたことだろう。
妙な沈黙な後、祖父が重い口を開いた。
祖父「そうか、潰したか。あのバカが。何をした」
淡々としかしゃべれない様子の祖父は、若干目を赤くして、震えていた。
祖父の会社が潰れた一番の原因は、悪い儲け話だった。
詐欺だとも言える。
祖父がまだ意識がハッキリしていた頃、叔父が工場の跡取りとなった。
俺も「○○坊主」とよく可愛がってもらった。
ただ、祖父ボケた頃、俺が大学受験を念頭に置き始めた頃。
叔父の元から会計さんが去った話を聞いた。
聞けば意見の食い違いとの事だった。
「アナタの工場を世界に通用するようにしませんか?
発展途上国に工場を作り、この工場の技術を世界に……」と、聞くに怪しい話。
コレをおかしいだの、お金の流れがおかしいだの言い出したので、
会計さん(ベテラン)をクビにしたそうだ。
ちなみに叔父とその営業社員とだけで半年練っていた計画らしい。
そう叔父は豪語していたが、それに対して我が家は激怒していた。
そこから叔父との縁が露骨に薄くなった。
しばらくして発展途上国に工場を建てられた。
そこに視察に行ったりなどもして、お見上げを持って挨拶にも来た。
「どうだ、これでオヤジも喜ぶだろう」とか言っていた。
そのくせオヤジには全く会おうとしなかったが、
会社を経営することがオヤジの介護だとか言っているような奴にそんなのは期待していない。
話は逸れたが、工場が建った後が大間違いと言うか、バカ過ぎた。
周りが反対していた通りのこととなった。
その儲け話を持ち込んだ営業が、その英語も途上国の言葉も堪能ということで、
先任工場長にしたのだ。叔父は。バカだ。
結果、工場は半年も経たない間に潰れた。
原因は事件だ。
日本から輸入した機材の大半が、自称運び屋(引っ越し屋?)に盗まれたのだ。
ここで痛手も負いながらも、元を取れると思い更に無理して投資。
次にその国の法律に触れる違法行為をその工場で行っていた。
(詳しくはわからない。違法売買の現場になったとかだった筈)
さらに従業員同士のいざこざで殺人事件まで起こった。
その責任がすべて日本の叔父の元へ。
先任工場長であるその人は、責任を感じてさっさと辞めていった。
慰謝料など、その他諸々叔父から受け取った後に。ちなみに、その後は行方知れずです。
それで経営困難になり海外の工場は潰れた。
そもそも聞けば評判の悪かったそうだ。主に従業員の質が悪いと。
ここまで言えばオチは簡単である。
実際には、そこまで酷い賠償責任じゃなかったのである。
殺人事件に関しては起こっていなかった。ただ腕を切る怪我は多々あったそうだが。
これらは長年付き合ってきた弁護士さんの調査により判明した。
そしてその弁護士さんは叔父へ一言「騙されていましたね。」
バカな叔父はここで自覚したそうだ。
手口は簡単で、まず叔父を孤立させた。
営業と叔父の2人がことを運んでいる状態にし事を進めさせる。
工場を建てさせ、その工場で問題を起こし、工場を潰す。
機材はオマケで盗む。潰れた工場はその後安く買い取る。
その後、工場はそれなりの資金で立てた工場であるし、ちゃんとしたところに転売する。
賠償請求だって言葉がわからないバカである叔父な上に、
まともな会計が居ないから、ポンポン出してしまう。
当時叔父の味方をしていた弁護士だって向こうが雇った弁護士。
そもそもその雇った弁護士が本当に弁護士かどうかもわからない。
会社は負債を抱えているし、行政は100%助けてくれるほど甘くはない。
従業員への未払いの給料。工場に残った多額の借金。
せめて自己破産してから叔父が消えればよかったが、そうはならなかった。
自己破産に関しては長い付き合いの弁護士さんが居なければ本当に危なかった。
もうその頃には自己破産もせず叔父は数百万持って雲隠れしてたし、
我が家に多額の借金が振りかかる寸前だった。(一応連帯保証人であったし
弁護士さんは上手くやってくれた。
それに祖父が築き上げてきた功績(特許や人望)、
また一応技術者の端くれである父のご縁などで、
特許や工場、それに従業員の腕すら買ってくれる所が現れたのだ。
また被害届も弁護士さんのおかげで出せた。(本当は叔父が出さなくてはならないが。
その後、大分借金も小さくなったが、やはり払いきれる、そもそも払おうと思えない借金が残った。
危うく俺は大学いけなくなるところだった。
当時、俺はバカにもカッコ付けて「構わない」とかほざいていたが、そこは祖母と母が許さなかった。
弁護士さんが解決策を教えてくれたのもあり、俺は大学にはいけたが。
母親が責任者(娘であり跡取りの資格がある)になり「借金を継いだ」。
そして母親は父親と離婚し、自己破産したのだ。(クリーンな工場が買い取る条件でもあったし
ちなみに俺の親権は父親にある。
こうなると母親は実家に住めない話になるのだが、『祖父の介護』を理由に家に残れた。
実際、父親は夜遅くまで働いている人だし、介護できるような人ではない。
国がそれを認めてくれるかどうかだったが、役所はすんなり認めてくれた。
おそらく弁護士さんの手腕もあったのだろうと思う。
……この話、大分グレーな話だよな。話していいのかな。
ちゃんと書類も審査も全部通ったし、裁判所の許可も降りたことだけど、やっぱりグレーだよな。
ちなみに自己破産すると借金できないからな。
カードなんかもちろん。小さな借金すらしたら駄目。
最近は俺の同僚にも自己破産したやつがいたけど、簡単に自己破産するものじゃないぞ。
借金帳消し扱いになるまでに相当苦労もするし、そんな特殊な効果あるなら、それなりの代償を伴う。
テレビでも言われている事だが。
自己破産推奨スレではないと、言いたい。
祖父はこの話をどこまで理解できたかわからないが、
黙って話している相手を随時見ながら聞いてくれた。
あのボケ老人が理解できるのか?と思っていたが、恐ろしいことに理解していた。
やめてった従業員(祖父が覚えている限り)の面々のその後も聞いてきたし、
「まて、コレはこういうことなのか?」とわからない所は聞き返してきた。
そこでようやく俺は、印象深い話だったと言うこともあり、
本当にボケ老人ではなく「祖父」に戻ったのだと理解した。
と言うか、ここまで質疑応答できる祖父が、あのボケ老人な訳がない。
なんだかんだ、
「祖父がいたから家に残れたということ感謝している」に、母親が言うと。
祖父は「そんなことで感謝される筋合いも、感謝されたくもねぇ。
むしろ俺が感謝するべきだ。お前には本当に辛い苦労をかけた。本当にありがとうな」
そういうと母親の手を取った。この時も「ろくに動かねぇ」と嘆いていた。
母親は声だして泣いていた。
祖父も自己破産の重さは理解しているし、それを一番感じているのは他でもない母親だ、と俺らへ言った。
ただこの中で一番申し訳ないのは俺(祖父)だとも言っていた。
祖父は「今この場に叔父が現れたら殺す」とつぶやいていた。
祖父は母親を無言で励ました後、母親が泣き止むまで以降沈黙していた。
何を考えていたかわからないが、色々と深く考えていたと思う。
ドラマやなあ
すごい祖父だね。騙したやつ捕まればいいのにね。
祖父が死ぬ三ヶ月前にまともになった話(後)
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元スレ 祖父が死ぬ三ヶ月前にまともになった話
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1452727753/
コメント一覧 (9)
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- 2016/01/15 21:26
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後編飛べなかったから自分で探して読んできた
久々に号泣した
ボケて死んじゃったじいちゃんに会いたい
まだ生きてるばあちゃんや母ちゃんや父ちゃんにも会いたくなったなぁ
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- 2016/01/15 22:07
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認知症の人と毎日関わっていると、
何がどうなったら人間こんな状態になってしまうんだ・この人も普通に健康に過ごしていただろうに、と考えてしまう。
認知症は残酷だけれど、死の恐怖を紛らわす為の病気だとも言われているから、なるほどなとも思う。
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- 2016/01/15 23:53
- なげぇんだよカス
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- 2016/01/16 04:39
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昔は呆ける前に死んでたからなー
呆けたらもう、その人でありえないだろうね
なんかもうボケ老人と介護する側、お互い誰がなんだかわかんない状態だろ!?
本人も介護する人もなんか、壮絶に辛いだけだわ
せめて、じっと横になって息だけしててなんて思っちゃいそうだよ
だから暴力的ボケ老人には、薬で強制的に沈静化するしかないだろうに・・・
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- 2016/01/16 10:15
- なんか凄く読みにくい文章に感じるのは自分だけ?
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- 2016/01/16 22:51
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※6
長いし時々てにをは間違えてたりするしな。
でも魅せる文章だと思うよ。
よくある釣りくさいラノベ文章じゃないし、もの書く才能はあるかも
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- 2016/01/17 01:34
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上半身しか動かせないご老体にボコボコにされるとか
どれだけ弱いねん
長ゼリフとか入るとお察し案件だわ物覚えイイっすねw
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- 2016/01/17 05:19
- 小学校以下の国語力しかないんだなここに書き込んでるやつら
なんて考えを持ってたがこんな奇跡的な話もあるんだな
この爺さんは最後まともになってよかったな
認知症は残酷だ 自分だけじゃなくて周囲も不幸になる