【画像】戦前日本の建物を紹介する ◆1 【北海道・東北地方】
【画像】戦前日本の建物を紹介する ◆2 【 東京 】
【画像】戦前日本の建物を紹介する ◆3 【関東地方 ※東京除く】
【画像】戦前日本の建物を紹介する ◆4 【中部地方】
【画像】戦前日本の建物を紹介する ◆5 【近畿・中国・四国・九州・沖縄地方】
明治から終戦までに中部地方から関西地方に建てられた現存する建物をいくつか紹介していくよ
大阪図書館(中ノ島図書館):大阪府
1904年完成の石造一部レンガ造
設計は野口孫市、日高胖らによる
住友家からの寄付を受けて建築されたネオバロック様式の図書館
正面に4本のコリント式の柱があり、その先に正面入口がある
正面入口は長らく閉鎖されていたが、2015年の改修で再び利用される事となった
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大阪府庁:大阪府
1926年完成の鉄筋コンクリート造
設計は平林金吾
外観はモダニズム的で、正面部分以外はシンプルな造り
対して内部は非常に豪華で、室内の至る所に素晴らしい装飾が見られる
1948年の阪神教育事件では在日朝鮮人や日本共産党によって建物が占拠され、調度品や備品が破壊されるなどの被害を受けた
また、1989年には建替え計画が発表されるなど、取壊しの危機にも見舞われている
結局取壊し計画は財政難で凍結され、現在は平日の日中であれば見学可能
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大阪市中央公会堂(中ノ島公会堂);大阪府
1918年完成のレンガ造
設計は岡田信一郎
岩本栄之助によって100万円(現在の25億円相当)の寄付を受けて建てられた
ネオルネサンス様式の美しい外観は現在も中ノ島のシンボルである
多くの講演や会合が行われ、ヘレン・ケラーやガガーリンなどの歴史的人物の講演も行われた
また、特別室には松岡壽によって日本神話の天地開闢が壁や天井一面に描かれている
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大阪公会堂かっこいいな
南海ビルディング:大阪府
1932年完成の鉄筋コンクリート造
設計は久野節建築事務所による
大阪難波にターミナルデパートとして建築された
ターミナルデパートは駅とデパートを一つにした建物である
これは日本が発祥であり、世界初のターミナルデパートは阪急ビルディングであった
外観はコリント式の柱が並ぶルネサンス様式
完成当初は柱と柱の間に装飾のメダリオンが存在したが、戦後の改修によって失われた
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因みに、高島屋が完成当時の1932年からビルの主テナントとして入っている
よく間違われるが、高島屋の本店は東京ではなく大阪である
綿業会館:大阪府
1931年完成の鉄筋コンクリート造
設計は渡辺節
繊維業界の発展を目的とする日本綿業倶楽部の会館として建築された
非財閥で、尚且つ公的なものでないにもかかわらず館内の装飾はどれも見事
現在は月に一度、完全予約制で見学会が開かれている
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松坂屋大阪店(高島屋東別館):大阪府
1938年完成の鉄筋コンクリート造
設計は鈴木禎次
松坂屋は1611年創業のいとう呉服店を前身とした百貨店
建物は1階部分にアーケードを設け、内部もエレベータ周りや階段部分に大理石が使用されている
現在は高島屋東別館として利用されている
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旧大日本帝国陸軍第四師団司令部:大阪府
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計は第四師団経理部
大阪城敷地内に建つ陸軍司令部
1931年に大阪城天守が再建される事を受けて建築された
大阪城の再建に関しては一般から大量の募金が殺到したため、その一部を司令部の建築費用とした
建物はロマネスク様式の洋風建築で欧州の古城を模しており、大阪城とは対照的
戦後は大阪府警本部や大阪市立博物館として利用されていた
現在は老朽化のため修復工事中
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鯛よし百番:大阪府
二階建ての木造建築
1918年頃に完成したとされるが詳細は不明、設計者も不明
大阪飛田新地の最深部に位置する妓楼
飛田新地は大正時代に築かれ、日本最大の遊郭と呼ばれた
その中でも百番は飛田新地最大の妓楼である御園楼と肩を並べる存在であったという
内装は摩訶不思議で、日本各地の名所をオマージュしたものが数多くある
建物は現在、通常の飲食店として利用されているが待合室の天女の壁絵が剥がれるなど劣化が見られる
しかし改修などは行われておらず、状態について不安視する声もある
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浜寺公園駅:大阪府
1907年完成の木造建築
設計は辰野金吾
浜寺公園駅は辰野が初めて手がけた駅舎建築である
梁や柱を表に出すことで装飾として用いるハーフティンバー様式が用いられている
1897年に初代駅舎が「浜寺駅」の名称で開業、1907年に駅名が「浜寺公園駅」に改められ、現在の駅舎が建てられた
駅の高架化のため2016年でその役目を終え、現在は建物の保存活用方法を検討中である
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大阪商船神戸支店(商船三井ビルディング):兵庫県
1922年完成の鉄筋コンクリート造
設計は渡辺節
大正時代の大型ビルとして現存する唯一の建物
神戸の旧居留地、海岸通りに面して建つ
内外装とも欧米スタイルで統一されており、高い天井や長い廊下を持つ
また、貨物用の完全手動式エレベーターが現在でも一台だけ当時のまま残っている
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大正期の大型ビルとしては大阪の大丸本店も現存していたが、老朽化のため2015年から建替え工事中が開始された
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住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店):大阪府
1930年完成の鉄筋コンクリート造
設計は住友合資会社工作部による
住友財閥の総本店として建築された
当初は7階建ての予定であったが、関東大震災の影響を受けて5階建てとなった
外観は入口部分に巨大なコリント式の柱を設けており、重厚さを漂わせる
内部も素晴らしい装飾で溢れているが、現役の銀行という事もあって写真撮影は不可
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日本銀行大阪支店(日本銀行大阪支店博物館):大阪府
1903年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
日本銀行の大阪支店として建築された
建物はネオルネサンス様式で左右対称の構造を持ち、中央にドーム屋根を設けている
館内も見事で、2階の貴賓室は必見
館内は写真撮影不可であるが、事前予約により無料で見学可能である
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京都府庁旧本館:京都府
1904年完成のレンガ造
設計は松室重光
重要文化財に指定されている明治時代の3庁舎建築(北海道、三重、京都)の1つ
建物はルネサンス様式で、同じ様式の兵庫県庁と比べると権威的な印象
兵庫県庁は空襲被害のため内装が全て失われてしまったのに対し、京都府庁は内外装共に完璧な形で残されている
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京都市役所:京都府
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は武田五一、中野進一らによる
県庁所在地において、戦前の市役所が残っているのは4つの市(静岡、名古屋、鹿児島、京都)のみであり、その中で最古の市役所が京都市役所である
建物は中央に時計塔が立ち、各所に東洋風の装飾が見られる
2017年から耐震補強工事が行われる予定
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任天堂旧社屋:京都府
1933年完成の鉄筋コンクリート造
設計は増岡熊三
山内房治郎が設立した任天堂骨牌を前身とする合名会社山内任天堂の社屋
社屋は3つの建物から成り、全て外壁はタイル張りとなっている
建物に関しては情報が少なく、内部見学も不可であるため詳細は不明
現在も任天堂の活動拠点として使用されている
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矢尾政(東華菜館):京都府
1926年完成の鉄筋コンクリート造
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ
フランス料理の店舗として建築されたバロック様式の建物
かつては鴨川に面して屋根付きのテラスが設けられていたが現在は失われている
矢尾政のオーナー浅井安次郎が1945年に中国人の友人に建物を譲り、中華料理店となった
館内には創業時からの手動式エレベーターが設置されており、2階個室の調度品もヴォーリズが設計したものがそのまま使用されている
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建物の紹介とは関係ないがメニューの春巻きが美味しい
引用:東華菜館
京都帝国大学 本館(京都大学 百周年時計台記念館):京都府
1923年完成の鉄筋コンクリート造
設計は武田五一
京都帝国大学は1897年に設置された国立大学
国内では東大と並ぶ難関大学として知られる
教育に関しては「研究、教授、学修の自由を重んじるドイツ式」を採用している
前面に建物の正面部分が大きく張り出しており、時計塔自体は控え目に見える
しかし背面に回ると30mの高さを持つ堂々とした時計塔を存分に眺める事ができる
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旧武徳殿:京都府
1899年完成の木造建築
設計は松室重光
武徳殿は戦前の日本において武道の振興、教育を目的として設立された大日本武徳会の道場
全国各地に支部道場が設けられているが、京都府の武徳殿が本部道場とされた
道場内には通常あるはずの神棚が存在せず、代わりに正面に天皇のための御席が設けられている
戦後はアメリカ軍に接収され、酒場として使われた
1951年に接収解除となり、1996年に重要文化財に指定された
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因みに、大日本武徳会は終戦後、民間人に戦闘術を広める組織であるとしてGHQによって解散させられた
また、武道そのものも禁止され、特に剣道は日本人の戦闘精神の中心的な役割があったとみなされ日本の占領が解かれるまで禁止され続けた
建物は1980年に取壊しが計画されたが、全日本剣道連盟の京都市への要請により保存が決定した
大日本帝国陸軍第十六師団司令部(聖母女学院):京都府
1907年完成のレンガ造
設計は陸軍省
第十六師団は日露戦争に際して本土駐留のために新設された師団
司令部は2階建で、軍の施設らしく内外とも派手な装飾は無い
終戦後はカトリック系の女学院である聖母女学院が本館として利用している
建物は大半が完成当時のまま保存されているが、中央のペディメント部分にあった菊の紋章が失われている
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大日本帝国海軍機関学校大講堂(海軍記念館):京都府
1933年完成の鉄筋コンクリート造
設計者は不明
海軍機関学校はエンジンなどの機関部を取り扱う士官を養成するために設立された
建物の外装はシンプルであるが、内部は各所に装飾が施されている
終戦後にアメリカ軍に接収され、ダンスホールとして使われた
現在は海上自衛隊が保有し、海軍記念館として日露戦争勝利の記念品等を展示している
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日本銀行京都支店(京都文化博物館 別館):京都府
1906年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
左右対称の構造を持つ本格的洋風建築
外観は辰野式の意匠が見られ、特に正面入口部分の装飾が見事
内部も営業室が吹き抜けとなっており、天井部分や壁面の装飾が非常に美しい
現在は京都文化博物館の別館として利用されている
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京都郵便電信局(中京郵便局):京都府
1902年完成のレンガ造
設計は吉井茂則、三橋四郎らによる
京都市内の三条通りに建つネオルネサンス建築
同じ三条通りに建つ日本銀行京都支店と比べると装飾はやや控え目
1974年に取壊しが決定されるも、住民達の強い反対により保存が決定
現在は内部が改装され、外観のみ保存されている
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長楽館:京都府
1909年完成のレンガ造
設計はジェームズ・ガーディナー
タバコの製造で財を成した村井吉兵衛の別邸として建てられた
円山公園内に建てられており、豊かな自然に囲まれている
非常に贅沢な造りとなっており、各部屋毎に異なった装飾が施されている
現在はレストラン兼ホテルとして利用されている
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南座:京都府
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計は安立糺
幕府公認の劇場として1620年代から続くとされる日本最古の劇場
かつては周辺に北座や西座なども存在したが、現在は南座のみが残る
内外装とも桃山風の意匠が見られ、入口部分の照明や漆喰細工、劇場内の装飾も見事である
耐震工事のため現在は休館中
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帝国立京都博物館(国立京都博物館):京都府
1895年完成のレンガ造
設計は片山東熊
1889年、東京に帝国博物館が設置される事が決定され、京都と奈良にも博物館設置が決まった
設計を担当した片山は東宮御所の設計も担当した宮廷建築家である
宮廷建築家の設計だけあって造りは非常に見事で、正門を含めた眺めは特に美しい
先の濃尾地震の教訓から建物は平屋建てとされた
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兵庫県庁(兵庫県公館):兵庫県
1902年完成の鉄筋コンクリート造
設計は山口半六
完成当時は国内最大級の規模を誇った庁舎建築
同じルネサンス様式の京都府庁と比べると優雅さが際立つ
1945年の神戸大空襲でアメリカ軍の無差別爆撃により外壁を残して全てが炎に焼かれ、美しい室内装飾や高級な調度品も失われた
終戦後に修復工事が行われたが、阪神教育事件で在日朝鮮人や日本共産党に建物が占拠され、壁や調度品が破壊される被害を受けた
現在は2度目の修復工事が行われ、県政資料館として利用されている
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御影町公会堂:兵庫県
1933年完成の鉄筋コンクリート造
設計は清水栄二
80年以上前の建築物とは思えないほど近代的な外観を有した建物
神戸大空襲を耐え抜き、築60年を経過しながら阪神淡路大震災でもほぼ無傷であった
映画「火垂の墓」でも空襲で焼け野原となった町の中に佇む公会堂の姿が描かれている
2016年4月より耐震工事が行われ、2017年4月に再開館した
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旧居留地38番館:兵庫県
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ
アメリカに本社を置くシティバンクの神戸支店として建設された
1階にシティバンク、2階にドイツの染料薬品店、3階にフランスの産業ガス会社が入っていた
外観は正面入口に4本のイオニア式の柱を設けたルネサンス様式
近年まで倉庫として使われていたが、現在は店舗として利用されている
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因みに、ヴォーリズは英語教師として来日したアメリカ人
京都で建築設計事務所を設立し、日本国内で数多くの西洋建築を手がけた
1941年に日本に帰化、華族の一柳末徳子爵の令嬢の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗った
この米来留(めれる)の字は「米」国より「来」りて「留」まるという洒落である
また終戦直後にマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから「天皇を守ったアメリカ人」とも言われる
関西学院大学 図書館(関西学院大学 時計台):兵庫県
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ
関西学院大学は1932年に大学令によって設置された私立大学
1889年にアメリカ人宣教師によって設立された関西学院が前身
西宮上ヶ原キャンパスの建築群は全てスパニッシュ・ミッションスタイルで統一されている
時計台は甲山を背にして建てられており、中央に時計塔が立つ
館内はエントランスや2階の展示室などに当時の意匠がほぼそのまま残されている
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神戸税関:兵庫県
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は大蔵省営繕課による
1868年に江戸幕府が開設した兵庫運上所が1873年に改称されて神戸税関となった
現存する庁舎は2代目で、正面入口にあたる東門の時計塔が特徴
完成当時は「帝国の大玄関」と言われた日本最大の税関庁舎であった
阪神淡路大震災では被害を受けながらも解体に至るまでの致命的損害はなく、1998年に崩れた外壁の補修を行い、ほぼ完璧に復元された
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日本郵船神戸支店(神戸郵船ビル):兵庫県
1918年完成の鉄筋コンクリート造
設計は曽禰達蔵、中條精一郎らによる
日本郵船は日本の三大海運会社の1つ
完成当初は巨大なドーム屋根が存在したが、神戸大空襲で焼失した
1994年に耐震工事を行い、翌年の阪神淡路大震災ではほとんど被害を受けなかった
現在はテナントビルとなっており、紳士服店などが入っている
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甲子園ホテル(武庫川学院甲子園会館):兵庫県
1930年完成の鉄筋コンクリート造
設計は遠藤新
関西屈指のリゾートホテルとして建設された
最盛期には皇族や海外の要人なども多く宿泊し「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」とも言われた超一流ホテル
終戦後はアメリカ軍に12年もの長きに渡って接収された
その後「由緒ある建物を保存、管理したい」という武庫川学院が建物を譲り受け、武庫川女子大学上甲子園キャンパスの学舎として使用されている
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因みに、設計者の遠藤新は2代目帝国ホテルの設計者であるフランク・ロイド・ライトの弟子であり、ホテル各所の独特な意匠はライトの影響を強く受けている
しかし、その中に打出の小槌など「和」の要素を取り入れる遠藤自身の日本人ならではのデザインも見られる
白鶴美術館:兵庫県
1934年完成の鉄筋コンクリート造
設計は鷲尾九郎
白鶴酒造の創業家である白嘉納家7代目当主の嘉納治兵衛が自身の収集した美術品を展示するために建てられた
事務棟と本館、2棟を繋ぐ渡り廊下から成り、全て鉄筋コンクリート造の和風建築である
内部の装飾も見事で、渡り廊下の電灯や2階展示室の天井絵など随所に鶴をモチーフにした装飾が見られる
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滋賀県庁:滋賀県
1939年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一
口の字型の庁舎建築
中央の二段構造の塔屋が特徴で、その下のコリント式のオーダーが重厚感を漂わせる
4階には貴賓室があり、現在は会議室として使用されている
かつてはこの部屋から美しい琵琶湖を眺める事ができたが、現在はビルなどで遮られてしまっている
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豊郷町尋常高等小学校(豊郷町立豊郷小学校 旧校舎):滋賀県
1937年完成の鉄筋コンクリート造
設計はヴォーリズ建築事務所
完成当初は「東洋一の小学校」と言われ、スチーム暖房など最新の設備が導入された
モダニズム的な外観であるが、内部は各所に凝った装飾が施されている
階段の手すりには童話の兎と亀をモチーフにしたブロンズ像が設置されおり、階を登るごとに物語が進むようデザインされている
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因みに、建物については取り壊し騒動があり、1999年に町長が老朽化を理由に校舎の取り壊しを発表
これに対して町民から反対運動が起こり、地方裁判所も工事中止の仮処分を承認した
しかし、町長はこれらを無視して解体工事を強行、町民は校舎に立て篭もって徹底抗戦の構えを見せた
この中で抗議者の一人を工事業者が地面に叩きつける事件が発生
これにより町長は工事中止を発表、また暴行事件に関して作業員と町長は書類送検された
この町長の取り壊しに対する不自然なまでの強硬姿勢は工事業者との癒着が原因ではないかとも言われる
現に2008年の耐震診断では一部への軽微な補修のみで十分であるとの結果が出されている
琵琶湖ホテル(びわ湖大津館):滋賀県
1934年完成の鉄筋コンクリート造
設計は岡田信一郎
「湖国の迎賓館」と呼ばれた旧国営ホテル
ホテルの大食堂から琵琶湖を眺めつつ食事ができ、国内外からの評判も上々であったという
終戦後はアメリカ軍に接収されてアメリカ人専用ホテルとなり、12年もの間日本人の立入りが禁止された
現在は大津市に移築され、多目的文化施設として使用されている
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奈良県立戦捷記念図書館(大和郡山市民会館):奈良県
1908年完成の木造建築
設計は橋本卯兵衛
当時の奈良県はローマなど世界の歴史都市に肩を並べるべく風致を徹底していた
そのため洋風建築は古都の景観に相応しくないとして、多くの建物が和風で建てられた
この建物もその一つであり、日露戦争の勝利を祝して建築された
1970年に大和郡山城跡の敷地内に移築され、現在は文化ホールとして利用されている
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第六八銀行奈良支店(南都銀行本店);奈良県
1926年完成の鉄筋コンクリート造
設計は長野宇平治
第六八銀行は1879年に設立され、その後県内3つの銀行と合併して1934年に南都銀行が発足した
支店として建築されたが、当初より本店として利用する事も想定されていた
正面のイオニア式の柱には富の象徴である家畜の羊がデザインされている
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奈良ホテル:奈良県
1909年完成の木造建築
設計は辰野金吾
奈良市の荒池に面して建つ旧国営ホテル
当時の県条例により外観は和風だが、内装はドイツ風の意匠が混在する和洋折衷
かつて喫茶室であった棟が駐車場拡張のために移築されてしまったが、それ以外は創業当初の面影をよく残している
終戦後はアメリカ軍に接収されたが1952年に接収解除となり、営業を再開した
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因みに、テラス等の手すりが不自然に朱色に塗装されているが、これは戦後の接収時のものである
ホテルの内外装はもともと木の美しさを活かす白木仕上げで統一されていたが、米軍にこれが理解されず、アジア的で不潔だとして建物全体をペンキで塗り潰すようホテル側に命令があった
ホテルの支配人がホテルの歴史を米軍指揮官に必死で説明し、直接手が触れる手すりだけを朱塗りとすることでホテルの主要部分を守ったというエピソードがある
また、ホテル内の調度品は略奪を防ぐために接収前に運び出されており、現在もアインシュタインがホテル宿泊時に弾いたピアノなどが現存している
奈良監獄(奈良少年刑務所):奈良県
1908年完成のレンガ造
設計は山下啓次郎
完全な形で現存する明治五大監獄の唯一の建物
表門、庁舎共に見事なロマネスク様式
老朽化のため2016年度末で閉鎖
改修工事の後、ホテルとして再利用される予定である
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奈良駅(奈良市総合観光案内所):奈良県
1934年完成の鉄筋コンクリート造
設計は柴田四郎、増田誠一らによる
奈良駅は和風の色合いが強い奈良の建築物の中でも比較的洋風の色合いが強い建物であった
仏教的な屋根が乗る帝冠様式という特殊な外観であり、神社仏閣の多い奈良を強く意識したものである
2004年に線路の高架化に伴い、駅舎の一部を撤去して18mの移築を行った
現在は観光案内所として駅舎の主要部分が現存しているが、かつて存在した和風の巨大なシャンデリアなどは取り外されており、代わりに駅舎内部に鳥居を模したオブジェが立てられている
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帝国立奈良博物館(国立奈良博物館):奈良県
1894年完成のレンガ造
設計は片山東熊
1892年より旧興福寺の境内にて建設工事が開始
見事なルネサンス様式で、非常に完成度の高い作品である
しかし県民から「醜悪な西洋建築で古都の景観を破壊した」と大批判が起こる
これは一時的なもので収まらず、最終的には奈良公園周辺の公的建築物は和風の外観で建てることが県議会で決定されるまでに至った
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>>102
確かにこの時代なら批判が凄そうだ
>>104
むしろこの時代は皆が西洋化になびいた時代ですよ
奈良は歴史都市としての地位獲得のため特に景観には気を遣っていたそうです
現在の奈良県では県庁、県議会堂、県公会堂、県警本部など和風の外観で建てられた建物は戦後にほとんど解体されている
批判の的となった洋風建築が残され、県の方針として建てられた和風建築の多くが失われたのは皮肉な話である
因みに、同じ古都である京都府は景観に規制等を設けていなかったため、奈良県とは対照的に多くの洋風建築が建てられた
奈良物産陳列所(奈良仏教美術資料研究センター):奈良県
1902年完成の木造建築
設計は関野貞
奈良県の物産品の展示売り場として1902年に建てられた
春日大社の参道に建てられており、県の条例で外観は和風
仏教建築要素が大量に盛り込まれているが、二階の窓にはイスラム風の意匠も見られる
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和歌山県庁:和歌山県
1938年完成の鉄筋コンクリート造
設計は増田八郎
地上4階、一部地下1階の庁舎建築
モダニズム的な外観を持ち、中央部の装飾により垂直性が強調されている
内部は改修された箇所が多いが、所々にかつての装飾が残されている
また、正庁のプロセニアムアーチには鳳凰の装飾が残されている
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倉敷町役場(倉敷館):岡山県
1916年完成の木造建築
設計者は不明
倉敷の伝統的建造物群保存地区の中心に位置する
地域のランドマーク的な存在であり、西洋館であるにもかかわらず日本の景観に見事に溶け込んでいる
現在は観光案内所として利用されている
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大原美術館:岡山県
1930年完成の鉄筋コンクリート造
設計者は薬師寺主計
倉敷美観地区の一角を成す洋風建築
実業家の大原孫三郎が自身のコレクションである西洋、中国、中東などの美術品を展示するために建てられた
戦前の日本国内では美術館というものはまだ一般的ではなく、一地方都市に過ぎなかった倉敷にこのような美術館が開館した事は非常に画期的であった
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第一合同銀行倉敷支店(中国銀行 倉敷本町出張所):岡山県
1922年完成の鉄筋コンクリート造
設計者は薬師寺主計
倉敷美観地区に建つ銀行建築
外観はドリス式の柱とステンドグラスが特徴
現役の銀行であるため内部撮影等は不可
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日本銀行岡山支店(ルネスホール):岡山県
1922年完成の鉄筋コンクリート、一部レンガ造
設計は長野宇平治
ギリシャ風の意匠を持つ見事な銀行建築
玄関部分の4本のコリント式の柱が目を引く
内部は吹き抜けとなっており、各所に装飾が施されている
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旧遷喬尋常小学校:岡山県
1907年完成の木造建築
設計は江川三郎八
独特な外観を有する校舎
中央部分に職員室と講堂があり、そこから教室棟が左右に広がる
建材に高級なものを選んで使用しており、工費は18000円(現在の約3億6千万円)にもなった
現在は文化施設の一部となり、一般に公開されている
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大日本帝国海軍呉鎮守府(海上自衛隊呉総監部 第一庁舎):広島県
1907年完成のレンガ造
設計は桜井小太郎
海軍条例によって全国5箇所に設置された鎮守府のひとつ
建物は地下1階、地上2階建てで、中央にはドーム屋根が乗る
ドームはアメリカ軍の空襲で焼け落ちたが、1999年に復元された
終戦後はイギリス軍に接収され、返還後は海上自衛隊が使用している
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大日本帝国海軍兵学校 生徒館(海上自衛隊幹部候補生学校):広島県
1893年完成のレンガ造
設計はイギリス人のジョン・ダイアック
大日本帝国海軍の士官養成学校
建物裏手の中庭に面した廊下の連続アーチが特に美しく、見所である
建物内の階段手すりや照明に碇のマークが刻まれている
終戦後はアメリカ、イギリス軍に接収され、返還後は海上自衛隊が使用している
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こういうのいいよな
がんばってくれ
前回の良かったからまた楽しませてもらうわ
大日本帝国海軍兵学校 大講堂(海上自衛隊幹部候補生学校 大講堂):広島県
1917年完成のレンガ造
設計は海軍経理部による
生徒館に向かって右側に建てられている講堂
外壁はレンガの壁に花崗岩を貼り付けており、正面に3箇所と建物裏手に皇族専用の出入り口がある
内部は吹き抜けとなっており、正面に演壇と玉座が設けられている
終戦後はアメリカ軍によって11年間接収された
現在は海上自衛隊が所有し、幹部候補生の入学式、修業式にのみ使用される
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大日本帝国海軍兵学校 教育参考館(海上自衛隊幹部候補生学校 教育参考館):広島県
1936年完成の鉄筋コンクリート造
設計は山下寿郎
「自己修養と学術研鑽の資とする」ことを目的として設立された
かつては海軍の資料4万点が保存されていたが、占領軍による略奪を防ぐために大部分が海軍の手で事前に処分された
外観は4本の巨大な列柱が目を引くが、全体的な装飾はシンプルである
内部は正面から一直線に階段が伸び、その先に東郷平八郎の遺髪が収められている
外観の撮影は自由であるが、内部の撮影は不可
https://i.imgur.com/haWvERV.jpg
東郷平八郎の遺髪が納められている扉へと続く階段
ブロンズの扉には東郷が残した数々の偉業の場面が描かれている
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鳥取県立図書館(わらべ館):鳥取県
1930年完成の鉄筋コンクリート造
設計は置塩章
角部分にそびえる塔屋が特徴
戦災や1952年の鳥取大火を耐え抜いた貴重な建物である
老朽化が進み、一時は取壊しも議論されたが市民からの強い要望により保存が決定
現在は外観のみを保存し、童謡や唱歌、おもちゃをテーマとした博物館となっている
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仁風閣:鳥取県
1907年完成の木造建築
設計は片山東熊
旧鳥取藩主の池田仲博侯爵の別邸として鳥取城跡に建てられた
フレンチルネサンス様式の洋館で、背面には日本庭園が広がる
館内の螺旋階段には支柱が無く、脇板をその代わりにするという非常に珍しいものである
現在は展示施設として一般公開されている
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>>79
聖ヨゼフの螺旋階段みてえだな
旧大社駅:島根県
1924年完成の木造建築
設計は曽田甚蔵
当時は出雲大社に参拝する利用客が非常に多く、団体臨時列車や東京から大社駅までの直通列車が運行していた
内部はシャンデリアなど洋風のものを配置しているがデザインは和風の色合いが強く、独特の雰囲気を漂わせている
1990年に大社線が廃止され、駅も廃駅となった
駅舎は廃線から改装等を行っておらず、当時のままの空気を味わうことができる
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興雲閣:島根県
1903年完成の木造建築
設計者は不明
松江城の敷地内に迎賓館として建てられた
玄関ポーチの洋風の装飾と和風の色合いの強い玄関の内装は「これぞ擬洋風建築」といった雰囲気
現在は改修工事が行われ、年中無休で一般に公開されている
また、設計者が不明であるため松江市が情報提供を呼びかけている
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山口県庁(山口県政資料館):山口県
1916年完成のレンガ造
設計は武田五一
廃藩置県が行われた事により、それまでの山口藩庁に代わって西洋建築の県庁舎が建てられた
外壁はレンガ造りの壁をモルタルで仕上げている
正庁は漆喰の白と鮮やかなミントグリーンで彩られ、非常に美しい
1984年に資料館として一般に公開された
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白い建物多いんだな
山口県議会議事堂(山口県議会資料館):山口県
1916年完成のレンガ造
設計は武田五一
外壁は県庁と同じくレンガ造のモルタル仕上げ
内部の議場は2階に傍聴席が設けられている
内装は県庁舎に比べると全体的にシンプルな印象
県庁と同じく資料館として一般に公開されている
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三井銀行 下関支店(山口銀行別館):山口県
1920年完成の鉄筋コンクリート、一部レンガ造
設計は長野宇平治
外壁に山口県産の花崗岩が貼り付けられ、各所に装飾が施されている
また、窓の上部に富の象徴である家畜の牛がデザインされている
内部もよく整備されており、現在は無料で一般公開されている
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秋田商会ビル(下関市観光情報センター):山口県
1915年完成の鉄筋コンクリート造
設計は新富直吉
秋田商会の商社ビルとして建築された
2階からは創業者の秋田寅之助の住居であり、純和風である
3階には螺旋階段があり、それを上る事で屋上に出られる
屋上には日本庭園が広がり、庭園内には茶室も建てられている
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赤間関郵便局 電話課(下関南部町郵便局):山口県
1900年完成のレンガ造
設計は三橋四郎
コの字型の構造を持つ建物
現役の郵便局舎としては国内最古である
各所に古典主義の意匠を取り入れているが、デザインは簡素
現在は建物内にカフェが入っており、中庭も利用できる
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旧殿居郵便局舎:山口県
1923年完成の木造建築
設計者は不明
平屋建ての棟に2階建ての八角塔が付属する建物
殿居郵便局は1902年に開局したが、2代目局長の河田は以前から洋風建築に強い関心を持っていた
そこで、地元の大工棟梁と共に東京へ洋風建築の見学に出かけ、帰村後に同棟梁に建築を依頼して完成した
現在は隣接地に新局舎が完成したため使用されていないが、新局舎で声をかければ見学可能
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大日本帝国陸軍第十一師団司令部(乃木館):香川県
1898年完成の木造建築
設計者は不明
コの字型の構造を持つ擬洋風建築
外壁は漆喰仕上げで、正面のペディメントには陸軍の紋章である五芒星が見られる
終戦後は陸上自衛隊が所有し、展示施設として利用されている
因みに、乃木館の名称は第十一師団初代師団長であった乃木希典に由来する
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旧善通寺偕行社:香川県
1903年完成の木造建築
設計は木村宗八
偕行社は戦前に陸軍の社交場として設立された組織
平屋建ての擬洋風建築で、各所に陸軍の紋章である五芒星の意匠が見られる
終戦後はアメリカ軍に接収され、1947年に善通寺町に払い下げられた
現在は一般に公開されており、隣接地に「偕行社かふぇ」がオープンしている
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金刀比羅宮 宝物殿:香川県
1905年完成の石造
設計は久留正道
金刀比羅宮に伝わる宝物の収蔵、展示のために建てられた
外観は窓やバルコニーなどに洋風の要素が見られるが、全て和風の意匠で統一されている
1996年に登録有形文化財に指定された
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愛媛県庁:愛媛県
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計は木子七郎
左右対称の構造を持ち、中央にはドーム屋根が乗る
重厚で堂々とした外観だが、内部の各部屋の装飾などは繊細で優雅さを漂わせる
正庁は特に見所で、神聖な部屋である正庁に相応しい装飾が散りばめられている
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>>24
目の前に路面電車が走っていて、それと合わせてみるとなお雰囲気があっていいよね。
道後温泉 本館:愛媛県
1894年 - 1924年完成の木造建築
設計者は坂本又八郎
道後温泉街の中心部に建つ共同浴場
街のシンボルであり、重要文化財にも指定されている
建物は「神の湯本館」「又新殿 霊の湯」「玄関棟」「南棟」から成る
又新殿には国内唯一の皇族専用浴室があり、最高級御影石の庵治石を使用した浴槽がある
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因みに、建物の建設は当初町民から反対運動が起こっていた
1890年に初代町長となった伊佐庭如矢は老朽化した道後温泉の立替えを提唱
自らは一切給料を受け取らず、それを道後温泉新館の建築費用にまわした
しかし、建設費は13万円(現在の26億円相当)と、町の財政が傾きかねない大金であった
これに町民は激怒「税金の無駄使いだ」と抗議し、伊佐庭自身も身の危険を感じるほどであった
それでも伊佐庭は「100年たっても真似できない物を造ってこそ意味がある、人が集まれば町が潤い、暮らしも良くなる」として決定を貫いた
完成した建物はその見事な佇まいから話題となり、さらに鉄道の引き込みもあって、全国から観光客が殺到
伊佐庭の計画は大成功を収めた
坊ちゃんと油屋ゆかりの温泉か
萬翠荘:愛媛県
1922年完成の鉄筋コンクリート造
設計は木子七郎
旧松山藩主の久松定謨伯爵の別邸として建てられた
当時は社交場として各界の名士が集い、皇族の宿泊にも利用された
終戦後はアメリカ軍が接収
現在は民間企業が運営を行っておりイベント、展示会場として利用されている
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徳島県庁(徳島県立文書館):徳島県
1930年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐野利器
外観はスクラッチタイル貼りで、正面の車寄せ等に細かな装飾が見られる
1986年に新庁舎が完成したことで役目を終え、文化の森総合公園に移築された
現在は正面部分に左右の両端部分を繋ぎ合わせた状態であり、かなり小規模に縮小されてしまった
さらに公園内でもあまり陽の当たらない場所にひっそりと佇んでおり、かつての威容は影を潜めている
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佐古配水場:徳島県
1926年完成のレンガ造
設計は中津喜平
眉山の麓にあるポンプ場
水道が敷設される以前の徳島市では伝染病が蔓延し、毎年多数の死者が出ていた
1909年に市長の一坂俊太郎が徳島市近代化の事業として水道の敷設を発表
17年の歳月と市の年間予算の3倍の巨額を投じ、佐古配水場が完成
これにより伝染病患者は激減し、徳島市の近代化の大きな一歩となった
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須崎警察署 佐川分署(旧青山文庫):高知県
1886年完成の木造建築
設計者は不明
中央にバルコニーを設けた擬洋風建築
1930年に老朽化が問題となり、改修されて図書館として利用されることとなった
最大の特徴は何と言ってもその白さである
2010年には改修工事が行われ、白のペンキも塗り直された
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畠中家住宅:高知県
1887年完成の木造建築
設計者は不明
2階建ての母屋と蔵、それに2つの小屋から成る日本家屋
最大の特徴は櫓時計で、当主の畠中源馬が内部の部品から全て手作り作成した
時計は120年もの間稼動していたが、2004年に源馬の孫にあたる畠中秀雄氏が他界し、管理者が居なくなったため停止
翌年から遺族が協力し、3面ある時計の一面のみを観光シーズン時などに限り稼動させている
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因みに、畠中家住宅は一般住宅であり、内部公開などは行っていないので注意
戸畑市役所(戸畑図書館):福岡県
1933年完成の鉄筋コンクリート造
設計は福岡県営繕課による
外壁にレンガ風タイルを貼り付けた帝冠様式の建物
終戦後は区役所として使用されていたが、2014年に改修工事が行われた
外観はよく保存されているが、内部はほとんど原型を留めていない
現在は図書館として一般に公開されている
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福岡県公会堂貴賓館:福岡県
1910年完成の木造建築
設計は三条栄三郎
第13回九州沖縄八県連合共進会の開催に伴って建設された
外観からは分かりづらいが木造建築で、向かって左側の八角棟が特徴
内部も各部屋に美しい装飾が見られる
現在は一般に公開されており、レストランなどのテナントが入っている
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因みに、九州沖縄八県連合共進会は各県の産業などを紹介する博覧会
特に1910年に開催された第13回はまるで宮殿のような見事な建築物が多数建てられ、訪れた多くの人を迎えた
現在それらの建物は全て失われ、この貴賓館が残るのみである
旧門司三井倶楽部:福岡県
1921年完成の木造建築
設計は松田昌平
三井物産門司支店の社交クラブとして建てられた
接客用の洋館と、それに接続する和館から成る
洋館は現在一般に公開されているが、和館は非公開
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大阪商船 門司支店(北九州市旧大阪商船):福岡県
1917年完成の木造、一部コンクリート造
設計は河合幾次
瀬戸内航路の運行を主とする大阪商船の支店として建てられた
外壁に明るいオレンジのタイルを貼り付け、角部分には八角塔がそびえる
もともと北側は海に面しており、建物から直接乗船が可能であった
現在は展示施設として利用されている
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帝国麦酒門司工場(門司麦酒煉瓦館):福岡県
1913年完成のレンガ造
設計は林栄次郎
帝国麦酒の工場事務所として建てられた
建物はゴシックスタイルを基調としたレンガ建築
通常は内壁に使用される鉱滓煉瓦で外壁が覆われている
現在は工場の歴史についての展示施設となっている
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日本生命保険 九州支社(福岡市赤れんが文化館):福岡県
1910年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
尖塔やドームを有するなど小規模ながら変化に富む建物
生命保険会社の社屋として建築された
1969年に重要文化財に指定された
現在は福岡市教育委員会が管理し、一般に公開を行っている
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九州帝国大学 工学部第一新館(九州大学本部 第一庁舎):福岡県
1925年完成のレンガ造
設計は倉田謙
九州帝国大学は1900年に帝国議会で可決された「九州東北帝国大学設置建議案」によって設置が決まる
資金難により設置は難航したが、古河財閥や福岡県からの援助によって1911年に設立された
全体的に装飾は控え目で、スマートな印象を受けるが、通風孔や正面入口付近にはしっかりと装飾が施されている
現在は大学本部事務局として利用されている
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余談であるが、九州大学内には近代建築が多数現存するにもかかわらず、何故か有形文化財に指定されているのはこの建物だけである
旧法文学部本館も見事な建物であったが、2017年2月に解体されてしまっている
建物の保存とそれにかかる費用は切り離せない問題であるが、福岡市内は元々近代建築があまり残されておらず、歴史的建築物の扱いについて再考すべきとの声もある
門司港駅:山口県←福岡です ※BIP編集
1914年完成の木造建築
設計はドイツ人のヘルマン・ルムシュッテル
元々は門司駅と言う名称で1891年に設置され、1914年に現在の駅舎が完成し移転開業した
駅舎はネオルネサンス様式で、一階には戦前からの手水鉢や洗面所など様々な歴史的遺産が保存されている
開業後100年以上経過し、現在は修復工事を行っている
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香蘭社 本店:佐賀県
1905年完成の木造建築
設計者は不明
140年の歴史を持つ老舗陶磁器メーカー、香蘭社の社屋
有田焼の伝統技法を活かした高級陶磁器で有名
1878年のパリ万博で金賞を受賞して以来、世界中の博覧会で50回以上も金賞を獲得している
戦前は正式に宮内庁御用達の認可も受けていた
社屋は販売所、展示場、事務所に分かれており、展示場内部は当時の装飾がそのまま残っている
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旧古賀銀行:佐賀県
1906年完成の木造建築
設計は田中実
九州5大銀行にも数えられた古賀銀行の本店
外壁はシンプルであるが各所に装飾が施され、その威容を保っている
古賀銀行は1920年以降業績が悪化し、1933年に解散した
建物は内装が復元され、現在は各種イベントの会場に利用されている
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武雄温泉 新館:佐賀県
1914年完成の木造建築
設計者は辰野金吾
武雄温泉の経営者が佐賀県出身の辰野金吾に設計を依頼して建設された
本館は朱塗りの楼門をくぐった先にあり、まるで竜宮城のような外観を有する
楼門も辰野の設計であり、本館とあわせて両方が重要文化財に指定されている
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因みに、辰野の初期のデザイン案は門を三ヶ所設けた大規模なレンガ建築であった
しかし温泉地のイメージに不似合いとの理由で不採用となった
旧高取邸:佐賀県
1905年完成の木造、一部石造
設計者は不明
炭鉱王といわれた高取伊好の邸宅
唐津湾を臨む2300坪もの広大な敷地に建てられており、和風の棟に洋風の棟が付属している
この建物の一番の見所は和館内部に設けられた能舞台である
個人の邸宅内に能舞台が設けられているのは非常に珍しく、おそらく国内で現存するのはこの建物のみである
この他にも暖炉が和室に設けられているなど、近代和風建築としてこの上なく貴重な建物である
建物内の撮影は禁止であるため注意
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大日本帝国海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール):長崎県
1923年完成の鉄筋コンクリート、一部レンガ造
設計者は不明
第一次世界大戦での海軍の活躍を記念して建設された
第二次大戦後はアメリカ軍に接収され、外壁をペンキで白に塗られてしまう
内部も青のペンキで塗られ、娯楽施設として32年間使われた
その後、佐世保市に返還され市民文化ホールとして現在も利用されている
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2013年にペンキを全て剥がして本来の姿に戻す作業が行われれた
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旧自由邸:長崎県
1878年完成の木造建築
設計者は不明
1863年幕末に開業した日本初の西洋料理店
明治天皇をはじめ、ロシア皇太子、イタリア王族等も訪れた
1984年に建物の一部をグラバー庭園内に移築
現在は旧自由邸として喫茶店に利用されている
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旧香港上海銀行長崎支店:長崎県
1904年完成の石造
設計は下田菊太郎
イギリスの香港上海銀行の支店として建設された
長崎県内の石造り建築では最大規模の建物
1987年に建物を取壊して国際交流会館を建設することが発表された
これに対して市民らが猛反対し、保存が決定
現在は記念館として一般に公開されている
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雲仙観光ホテル:長崎県
1935年完成の木造、一部鉄筋コンクリート造
設計は早良俊夫
長崎県雲仙市に存在する老舗ホテル
自然の美しい雲仙に建つ最新設備が整った豪華絢爛なホテルは開業当初から国内外の評価も非常に高かった
終戦後はアメリカ軍に接収され、1950年に返還された
その後は「新しくノスタルジア」をコンセプトに2003年に開業当初の姿に戻すべく大改修が行われた
2007年には近代化産業遺産にも登録され、現在も輝かしい歴史を刻み続けている
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余談であるが、ハンガリー文化使節団のメゼイ博士は特にこのホテルと雲仙の自然を気に入っていたらしく、後に新聞のインタビューで絶賛している
「雲仙の自然は実に素晴しい。南欧チロルの山の美にリビアの海の美を加えたようなものだ。崇高な世界美というものは、東洋的美と西洋的美が一体となったものだと思うが、雲仙でこれを発見することができた。東洋的であり、西洋的であり、しかも何ら不自然さがない。」
別府市公会堂:大分県
1928年完成の鉄筋コンクリート造
設計は吉田鉄郎
鉄筋コンクリート建築としては大分県内最古である
建物の完成した年に行われた博覧会では地下食堂で宴席が催された
2014年に復元工事が行われ、外装タイルの貼替え等が行われた
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二十三銀行本店(大分銀行赤レンガ館):大分県
1913年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
東京駅の設計で知られる辰野金吾の設計
建材にはイギリスから輸入したレンガが使用されている
1945年の大分空襲で直撃弾を受け、外壁以外が全て焼失
1949年に修復され、1966年まで大分合同銀行の本店として利用された
現在も大分銀行の支店として現役で利用されている
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竹瓦温泉:大分県
1938年完成の木造建築
設計者は村上利作
竹瓦温泉は海岸近くに湧いた温泉に漁師が建てた簡素な小屋が始まりである
竹瓦の名称はこの小屋の屋根が竹で葺かれていた事が由来
利用客の増加に伴って現在の建物が建てられた
建物外観は寺社風で、正面入口には唐破風屋根が設けられている
2階の大広間は90畳もの広さがあり、現在は公民館として利用されている
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京都帝国大学理学部附属物理学研究所(京都大学大学院理学部附属地球熱学研究施設本館 ):大分県
1924年完成のレンガ造
設計は永瀬狂三
京都帝国大学が火山、地熱、温泉の研究のために別府市に建設した施設
当時の別府市市長が温泉都市として充実を図るために研究施設の積極的誘致を行っていたため、建物の建設に関しても別府市から援助があったという
建物はL字型の構造を有し、中央には塔屋が建つ
全体的に直線的なデザインであるが、正面入口付近は優雅な曲線が用いられている
現在は年に一度、建物と研究内容の見学会が行われている
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長崎次郎書店:熊本県
1924年完成の木造建築
設計者は保岡勝也
1874年創業の書店
外壁はスクラッチタイル貼りで、2階の庇の上部にギリシャ雷紋の装飾が施されている
2013年に経営者の体調不良のため閉店し、その後経営者は他界した
しかし歴史ある書店を守りたいと、経営者の親戚の「長崎書店」社長が屋号を承継
翌2014年より1階で書店を再開し、住居であった2階も喫茶店として改装した
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八千代座:熊本県
1910年完成の木造建築
設計は木村亀太郎
地元の有力者達によって町の繁栄を願って建設された
完成後は歌舞伎をはじめ映画上映や小学校の学芸会、クラシックコンサートなど様々な催し物で利用された
しかし終戦後はテレビなどの登場により舞台の需要が激減、1973年に閉館となった
その後は老朽化で屋根が裂けるなど荒廃が進んだが、高齢者が中心となって募金活動を行い改修工事が行われた
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宮崎県庁:宮崎県
1931年の鉄筋コンクリート造
設計は置塩章
ネオゴシック様式の県庁舎で、外観からは権威的な印象を受ける
宮崎県の県庁舎としては2代目で、国内の現存する県庁舎では4番目に古い歴史を持つ
内部の議場は折上げ格子天井で和風の意匠が見られるが、建物全体としてはどこか南国風の雰囲気を感じさせる
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宮崎神宮徴古館:宮崎県
1909年完成の木造建築
設計者は佐々木岩次郎
細部は異なるが、慶應義塾大学の三田演説館と酷似した外観
外壁全面をなまこ壁とし、窓は洋風である
現在は非公開で中に入る事はできない
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余談であるが、宮崎神宮は1940年に皇紀2600年を記念して新徴古館が建てられた
鉄筋コンクリートの寺社風建築で、終戦後は道場として使われた
近代和風建築として見事な建物であったが老朽化が進み、2006年に解体された
https://i.imgur.com/CHFgZzo.jpg
宮崎農工銀行(宮崎県文書センター):宮崎県
1925年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐伯組による
一見レンガ建築のように見えるが、レンガ風タイルを貼り付けた鉄筋コンクリート建築
中央に細かな装飾が集中しており、それ以外は比較的シンプル
内部は改装によって原型を留めていないが、外観は非常に良い状態で保存されている
https://i.imgur.com/X0gZXjs.jpg
鹿児島県庁(鹿児島県政記念館):鹿児島県
1925年完成の鉄筋コンクリート造
設計は曾禰中條建築事務所による
ロの字型の構造を持つルネサンス様式の県庁舎
純洋風の外観を持ちながらも屋根は和瓦葺き
1993年に新庁舎が完成したため移築、改修工事が行われた
現在は正面部分のみが保存され、県政記念館として一般に公開されている
https://i.imgur.com/Fe0VQbs.jpg
鹿児島市役所:鹿児島県
1937年完成の鉄筋コンクリート造
設計は大蔵省営繕管財局工務部による
国内で4つしかない県庁所在地に残る戦前の市役所である
垂直性を強調するような装飾が中央部分に見られるが、それ以外は非常にシンプルな外観
1998年に国の登録有形文化財に指定された
https://i.imgur.com/QuRE7c6.jpg
鹿児島市公会堂(鹿児島市中央公民館):鹿児島県
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は片岡安
当時皇太子であった昭和天皇の御成婚を記念して建設された
地下1階地上3階建てで、外観は正面の窓部分などにイスラム風の意匠が見られる
また、内部の扉なども同じ意匠
現在は一般に公開され、イベントなどの開催に利用されている
https://i.imgur.com/3Cs6477.jpg
>>33
イスラム風が当時流行してたのかね
興業館(県立博物館考古資料館):鹿児島県
1883年完成の石造
設計者は不明
鹿児島県の産業振興を目的に建築された
第2回九州沖縄八県連合共進会では会場としても利用された
1945年の鹿児島大空襲で米軍機から直撃弾を受け、内部が全て焼失
現在は立ち入り禁止である
https://i.imgur.com/E1pooE0.jpg
旧大宜味村役場:沖縄県
1925年完成の鉄筋コンクリート造
設計は清村勉
沖縄県内に現存する最古の鉄筋コンクリート建築
台風の影響を考慮して八角形の平面形状を取り入れるなど、地域の気候を考慮した設計がなされている
現在は大宜味村教育委員会が民具置き場に利用しているが、一部は一般に公開されている
https://i.imgur.com/DmO5xyb.jpg
https://i.imgur.com/SNxXdwy.jpg
俺の卒業した高校もなにげに戦前の建物だったな。
階段が人の足ですり減っててぐにゃぐにゃしてた。
以上です
各県ともごく一部の建物しか紹介できなくて申し訳ない
おつ パート3で完結か
>>88
一応これで完結です
見ていただいてありがとうございました
おつおつ
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コメント一覧 (1)
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- 2017/09/13 22:39
- 門司港駅は山口じゃなくて福岡だわアホか