【画像】戦前日本の建物を紹介する ◆1 【北海道・東北地方】
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明治から終戦までに北海道から関東地方に建てられた現存する建物をいくつか紹介していくよ
旧北海道庁:北海道
1888年完成のレンガ造
設計は平井晴二郎
建築資材の多くに北海道産のものが使用され、中央部に八角形のドームが立つ
1909年に札幌大火が発生し、庁舎も炎に包まれ内部はそのほぼ全てが焼失
しかしレンガの外壁は損傷が無かったため、1911年に中央のドームを撤去して復旧された
そして1968年に北海道開拓100周年を記念してドームが復元され、当初の姿を取り戻した
https://i.imgur.com/JvvZxzm.jpg
https://i.imgur.com/gkBaAbQ.jpg
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旧函館区公会堂:北海道
1910年完成の木造建築
設計は小西朝次郎
正面にバルコニーを設けており、玄関周りにはコリント式の柱が配されている
内部は2階の大広間が見所で、ヴォールト式の天井を有している
1974年に重要文化財に指定され、現在は一般向けに公開されている
https://i.imgur.com/SB41odA.jpg
https://i.imgur.com/Fjn3A1w.jpg
北海道帝国大学林学教室(北海道大学 古河記念講堂):北海道
1909年完成の木造建築
設計は新山平四郎
北海道帝国大学は1876年に設立された札幌農学校が前身となっている
1907年に東北帝国大学農科大学として帝国大学に昇格し、1918年に北海道帝国大学となった
建物は木造建築で、左右にマンサード屋根を設け、中央には時鐘が取りつけられた小塔が立つ
現在は非公開であり、内部に立入る事はできない
https://i.imgur.com/vPAGYO6.jpg
網走監獄庁舎(博物館網走監獄):北海道
1912年完成の木造建築
設計は司法省による
明治維新後、内乱などによる政治犯が続出し、全国の監獄はほぼ満員となっていた
さらにロシア帝国の脅威も無視できず、北海道開拓は絶対の課題であった
この二つの課題を解決すべく、政府は1881年に釧路に集治監を設置
ここに連れて来た囚人を開拓のために勤務させ、北海道防衛の足掛かりとした
1890年に中央道路開通作業を行うため、囚人を移動させて網走監獄を設置
その後1912年に擬洋風建築の庁舎が建てられ、1923年には正門も設けられた
現在は博物館網走監獄として一般に公開されている
https://i.imgur.com/yWQb9Vh.jpg
https://i.imgur.com/CvIC3iM.jpg
因みに、擬洋風建築は西洋化を急速に進める政府の命によって日本の職人たちが独自の技術で完成させた和風とも洋風とも違う独特な建築様式
明治から大正にかけて多く建てられた
旭川偕行社(中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館):北海道
1902年完成の木造建築
設計は陸軍臨時建築部による
偕行社は戦前に陸軍の社交場として設立された組織
建物は木造2階建てで、正面には陸軍の紋章である五芒星が描かれている
終戦後アメリカ軍に接収され、返還後は放置されて見るも無残な姿となっていた
1968年に復元修理を行い、1994年から美術館として利用されている
https://i.imgur.com/cIP659u.jpg
大日本帝国陸軍第七師団北鎮兵事記念館(北海道護国神社 平成館):北海道
1935年完成の鉄筋コンクリート造
設計は曾田久三郎
第七師団にまつわる装備品や戦利品が展示された建物
終戦後、各地で占領軍による日本軍勝利の記念品などの処分が進んでいた
記念館はその情報を聞き、館内の重要文書等を別の場所に密かに移し変えた
1962年に処分されたと思われていた第七師団歴史などの貴重文書が発見され、これを皮切りとして一般市民からも密かに保管していた戦利品が次々と寄贈された
現在、かつての展示品は陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する北鎮記念館に移され、建物は慰霊大祭の会場等で使用されている
https://i.imgur.com/GGE1eeZ.jpg
旧日本郵船小樽支店:北海道
1906年完成の石造
設計は佐立七次郎
日本郵船は日本の三大海運会社の1つ
2階の大会議室は壁に金唐革紙が使用されている
この金唐革紙は和紙に金箔を貼りつけて作成される日本の高級壁紙
第二次世界大戦後に建物はアメリカ軍に接収された
返還後に改修工事を行ったが、貴賓室や会議室などは接収時に米兵が金唐革紙にタバコを押し付けて穴を開けたり、壁に汚れをつけるなどしていたため新しい金唐革紙の壁紙を作成することとなった
金唐革紙の製作技術は既に失われており、日本画家などが中心となって技術を復活させ、復元は無事成功した
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https://i.imgur.com/GizLxqb.jpg
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余談であるが金唐革紙は製作技術は復活したものの、現在これを製作できる人物は4名のみである
また、青森銀行記念館の2階の天井にも金唐革紙が残っているが、これは明治の創業時からのものであり非常に貴重なものである
金唐革紙はその美しさから海外からの評判も良く、バッキンガム宮殿などにも日本の金唐革紙が使用されている
三井北海道別邸(北海道知事公館):北海道
1936年完成の木造建築
設計は萩原惇正
別邸と表記されているが個人の邸宅ではなく三井財閥の迎賓館である
ハーフティンバーを用いた美しい外観を有する
終戦後アメリカ軍に接収され、返還後は北海道知事の公館として利用されている
一般に公開されており、事前予約により見学が可能
https://i.imgur.com/I283ebe.jpg
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札幌麦酒会社 精麦工場(サッポロビール博物館):北海道
1890年完成のレンガ造
設計は北海道庁建築課による
札幌製糖会社の工場を札幌麦酒会社が買収し、ビールの精麦工場として増改築を行った
建物は4階建てで、ステンドグラスや屋根に同社のシンボルである五稜星が見られる
現在は一般公開されており、博物館のほかビヤホールとしても利用されている
https://i.imgur.com/uCU7GR7.jpg
豊平館:北海道
1880年完成の木造建築
設計は安達喜幸
北海道開拓使によって高級ホテルとして建造された
明治天皇の札幌行幸の際の宿泊所として初めて利用され、その後は要人の宿泊や祝賀会などにも利用された
終戦後はアメリカ軍に接収され、1947年に札幌市に返還された
現在は一般に公開されている
https://i.imgur.com/s2jClTe.jpg
https://i.imgur.com/aqAK7xJ.jpg
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野口喜一郎邸(和光荘):北海道
1922年完成の木造建築
設計は佐立忠雄
日本酒「北の誉」の酒造元である野口家の邸宅として建てられた
建物正面はアールデコを基調とした洋館
背面には仏殿と呼ばれる和館が付属している
2015年より期間限定で一般公開を開始した(※要予約)
https://i.imgur.com/HpAfenY.jpg
旧弘前市立図書館:青森県
1906年完成の木造建築
設計は堀江佐吉
左右に配置された八角形の棟が特徴の建物
青森県出身の建築家である堀江佐吉などが中心となって建設された
1989年に弘前市の市制100周年記念事業の一環で郷土文学館として一般に公開
現在は1階と2階部分のみ公開されており、3階は非公開である
https://i.imgur.com/OBDjEBM.jpg
因みに、設計者の堀江は青森県において洋風建築を多く手がけ、かつては1000を超える作品が存在した
しかしながら戦災や天災、取り壊し等が相次ぎ、現存する堀江の作品は10棟ほどである
うちの会社の社屋も明治と大正
使いにくし夏熱く冬寒い
メンテナンスが大変そう
>>39
文化財登録されてるからめんどい
現役で利用しながらの保存は大変ですね
今は外観を保存したまま内部を新しくするリノベーションが流行っているそうです
まあ これだけ維持できるのだから その辺はしっかりしてるのかな
大寶館:青森県
1915年完成の木造建築
設計は小林昌徳
大正天皇の即位を祝して建築された
中央の洋風の意匠は見事だが、特にドーム屋根が目を引く
完成当初は物産陳列所であったが、後に図書館となり、現在は郷土人物資料展示施設として利用されている
https://i.imgur.com/S4AbKpJ.jpg
第五十九銀行本店(青森銀行記念館):青森県
1904年完成の木造建築
設計は堀江佐吉
第五十九銀行は1897年に設立され、現在の青森銀行の前身に当たる
建物は洋風だが、外壁は瓦を貼りつけて漆喰で仕上げるなど日本の技術が取り入れられている
1965年に建物の立替が発表されたが、地元市民の強い反対によって保存が決定
その後は青森銀行記念館として一般向けに開放されている
https://i.imgur.com/9JZDKaM.jpg
https://i.imgur.com/e4GVELM.jpg
藤田謙一別邸 洋館:青森県
1919年完成の木造建築
設計は堀江金造
弘前出身の実業家である藤田謙一が東京から庭師を招いて日本庭園と洋風庭園を作らせた
洋館は洋風庭園内の高地に建てられており、八角形の塔屋や玄関先まで下ろされた屋根が特徴
内部も細部まで意匠を凝らした贅沢な造りとなっている
現在は藤田記念庭園として庭園、建物共に見学可能であり、洋館には喫茶店が入っている
https://i.imgur.com/C9UsqpV.jpg
因みに日本庭園内にあった和館は1952年に失火により全焼している
現在の和館は北津軽郡にあった菊池邸を移築したもの
こちらも職人の技が光る見事な和風建築であり、必見である
秋田銀行本店(秋田市立赤れんが郷土館):秋田県
1912年完成のレンガ造
設計は山口直昭
建物は1階が白の磁器タイルで2階が赤レンガの外壁となっている
2階の貴賓室が特に見所で、暖炉や扉の装飾などが非常に美しい
建物は1969年まで使用され続けたが、1981年に秋田市に寄贈された
現在は秋田市立赤れんが郷土館として一般向けに公開されている
https://i.imgur.com/T75cI8y.jpg
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康楽館:秋田県
1910年完成の木造建築
設計は山本辰之助
洋風の外観を持つ芝居小屋
内部は花道や桟敷などを備えた和風芝居小屋の構造
移築や復元を行っておらず、現在も現役の芝居小屋としては日本最古である
2002年に重要文化財に指定された
https://i.imgur.com/JxMTXJ8.jpg
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岩手県公会堂:岩手県
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一
1923年に昭和天皇(当時は皇太子)の御成婚記念として建設された
完成当時の公会堂は県会議事堂、多目的ホール、西洋料理店、賓客等の宿泊所として複数の機能を備えていた
西洋料理店はフランス料理レストラン「公会堂多賀」で、会館時から現在も営業している
長年補修などが行われなかったことから老朽化が問題となり、一時は取り壊しも議論された
しかし2006年に国の登録有形文化財に指定され、2009年に耐震、復元工事が行われた
https://i.imgur.com/mHSjEMc.jpg
岩手県公会堂のレストラン多賀ですが、年度当初に廃業となってしまいました。
公会堂は一般開放していますので、旧盛岡銀行と併せて(中心街、徒歩10分の距離です)機会がありましたらご覧ください。
>>131
それは知りませんでした
廃業とは残念です
盛岡銀行本店(岩手銀行赤レンガ館):岩手県
1911年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
建物は3階建てのレンガ造で、辰野式の意匠が見られる
正面入口が設けられた棟は3階建てで、屋根部分には六角形のドームが乗る
また、左側には小塔、右側には切妻の棟が見られ、凹凸に富んだ外観を有している
岩手銀行中ノ橋支店として2012年まで利用され続けたが、同年6月に中ノ橋支店移転により改修工事が行われた
現在は記念館として一般に公開されている
https://i.imgur.com/C2N7gdC.jpg
旧登米警察署:宮城県
1889年完成の木造建築
設計は山添喜三郎
木造2階建てで外壁を下見張りとし、中央部分にはバルコニーが設けられている
建物は1968年に新庁舎が完成した後は商工会が使用していたが、1988に警察資料館として一般向けに公開された
https://i.imgur.com/N7lC1Mt.jpg
大日本帝国陸軍歩兵第四連隊兵舎(仙台市歴史民俗資料館):宮城県
1874年、若しくは1876年に完成した木造建築
設計者は不明
建物は2階建てで外壁は漆喰で仕上げられており、角部分に隅石が配されている
1875年に榴岡に歩兵第四連隊が置かれることとなり、1874年に兵舎が建てられた
さらに2年後に兵舎が増築され、合計で7棟の兵舎が存在した
終戦後に7棟全てが占領軍に接収され、1956年までアメリカ軍が使用した
1977年に公園整備のために6棟が取り壊され、残りの1棟は民俗資料館として一般に公開された
https://i.imgur.com/B11XgEN.jpg
山形県庁(文翔館):山形県
1916年完成のレンガ造
設計は中條精一郎、田原新之助
初代県庁舎が山形市大火で焼失したため、1916年にレンガ造の二代目県庁舎が完成
建物はレンガの外壁に花崗岩の石貼りであり、庁舎中央に立上がる時計塔が特徴
内部も大理石の柱や漆喰による装飾などが見事であり、庁舎建築の最高傑作とも言われる
新庁舎の完成に伴い、しばらくは事務所として使用されていたが1984年に重要文化財に指定され、約9年の歳月をかけて修復を行い一般に公開した
https://i.imgur.com/TaXyJmm.jpg
https://i.imgur.com/8IT652X.jpg
https://i.imgur.com/q4zYqYI.jpg
旧米沢高等工業学校:山形県
1910年完成の木造建築
設計は中島泉次郎
旧制高等教育機関の一つで、工業に関する専門教育が行われた
建物は中央の両端に階段室が突き出しており、そこから両翼が長く伸びて全長は94mにもなる
現在は資料館として一般向けに公開されているが、内部の見学は要予約
https://i.imgur.com/24fjsdD.jpg
余談であるが現在の米沢駅のデザインはこの建物をモデルとしている
済生館(山形市郷土館):山形県
1878年完成の木造建築
設計は筒井明俊
済生館は1873年に私立病院として設立された
1904年には山形市の運営となった
建物は正面が3階建となっており、1階部分は中庭を囲むドーナツ型である
現在は山形市郷土館として一般に公開されている
https://i.imgur.com/ngi5Bmq.jpg
https://i.imgur.com/i0W4KWt.jpg
郡山市公会堂:福島県
1925年完成の鉄筋コンクリート造
設計は荻原貞雄
1924年に郡山市の市制施行を記念して建築された
外観は1階部分の連続半円アーチの柱廊と2階部分に連窓がデザインされており、角の時計塔が目を引く
2005年には改修工事が行われ音響、照明設備が一新された他、建設当初のステンドグラスなども復元された
https://i.imgur.com/TSqLPvr.jpg
天鏡閣:福島県
1908年完成の木造建築
設計は木子幸三郎
宮家の一つである有栖川宮(ありすがわのみや)の第四王子である有栖川宮威仁親王の別邸として建てられた
建物は屋根に八角塔が乗る特徴的な外観を有し、内部には撞球室などが備えられている
また、室内のシャンデリアなどは当時からのものであり、細かな装飾が施されており大変美しい
年中無休で一般公開が行われており、建物内には威仁親王ゆかりの品々が展示されている
https://i.imgur.com/XcsDdiT.jpg
https://i.imgur.com/fooMcQ4.jpg
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コメント一覧 (7)
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- 2017/09/11 15:58
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クソアメリカが接収しやがって!!
いつか復讐してやるからな!!
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- 2017/09/11 16:55
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和洋折衷良いよなあ
北海道は本州と比べて和風の建物の歴史無いんだし観光の為にもモダンな街作りを心がけるべき
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- 2017/09/11 17:29
- 大寶館は青森じゃなく山形
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- 2017/09/11 21:10
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よい話題なのにコメントが殆どない。
女がどうたら、ユーチューバーがなんたらの鼻くそのような話題はコメント殺到するのに。
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- 2018/01/01 10:35
- 住みたい
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- 2019/05/15 00:48
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