将棋の方
関西の研修会にいたから関東のことはわからないけど
研修会どのクラスまでいったの
同時期にいたのは
畠山弟
増田
久保
矢倉
安用寺
山本
今泉
といったところ
>>9
増田 山本知らんけどあと知ってる
>>22
増田裕司は確か奨励会の幹事やってた
畠山弟もやってたけど
山本真也は俺が最も尊敬する棋士の1人
というのも俺は中2から奨励会を3回受けて落ちたわけだけど
最後の高1の時は同い年が既にプロで勝ちまくってるのに
今から奨励会受けてるようでは・・・
という気持ちが少なからずあった
だから落ちたのかもしれない
山本も同い年なんだけどやっぱり高1の時は落ちたんだよね
俺は山本もこれで諦めるんだろうなと思ったけど
数年後に山本が棋士になってることを知って猛烈に感動した
アイツは諦めなかったんだなって
増田 裕司(ますだ ゆうじ、1971年2月7日 - )は、将棋棋士。奈良県御所市出身。森信雄門下。棋士番号は225。
小学校6年のとき、柔道の奈良県大会で3位となった[1]。しかし、その後、将棋にのめり込むようになる。
「村山聖の師匠」としても知られる森信雄の二番目の弟子である。2009年の澤田真吾、大石直嗣の同時プロ入りもあって森一門は大所帯となった。一番弟子村山の死去により、増田は一門における筆頭格の弟子となっている。
2008年5月18日に入籍、森信雄一門による披露宴を行った。
奨励会入りは14歳、三段リーグ入りは21歳と遅かった。三段リーグには11期・5年半在籍したが、成績が芳しくない状態が続いた。年齢制限となる満26歳の誕生日を迎えて四段昇段を達成できなかったものの、1996年度後期リーグを勝ち越し退会を回避。翌1997年度前期リーグでは最後に3連敗したものの12勝6敗の成績を収め、26歳で四段昇段(プロ入り)をする。
基本的には居飛車党であり、相矢倉と角換わりといった本格的な居飛車戦法を指すことが多いが、中飛車、四間飛車といった振り飛車戦法も指す。 序盤の定跡や棋理にこだわらない棋風であり、先手番で自分から角交換にいく角換わりを指したり、陽動居飛車(飛車を振って、相手が飛車先の歩を突いた後、また飛車を定位置に戻し、相居飛車にする)や角頭歩戦法も得意[3]。 勝負どころの局面になると一手一手の駒音が高くなるという、気合い重視型の棋士でもある。 また、上座に座った格上の後輩棋士と揉めて、対局開始が遅れたことがある[4]など将棋の対局に限っては厳しい面をみせる。
引用:wiki
山本 真也(やまもと しんや、1971年10月24日 - )は、将棋棋士。大阪府東大阪市出身、北村文男七段門下。棋士番号229。
小学1年生の時、父親に教わったことをきっかけに将棋を覚え、小学5、6年頃には関西将棋会館や後に師匠となる北村文男が天王寺で開設していた道場に足を運ぶようになった。
中学2年の時に天童市で行われた全国中学生選抜大会に出場、ベスト16で川上猛に敗れる。それから間もなく奨励会へ入会。6級から5級に上がるのに1年4か月、初段から二段にも1年4か月、そこから更に三段リーグ入りに2年3か月を要する苦労を経験する。第22回(1997年度後期)で年齢制限の26歳を迎えるも、勝ち越しによる在籍期間延長の恩恵を受け、翌第23回にも参加。そこで1位の成績をおさめ、プロ入りを勝ち取った。
2009年度の第68期順位戦C級2組で、在籍11期目で初めて降級点を取り(2勝8敗)、フリークラス宣言をしてフリークラスに転出した。
引用:wiki
かなり昔だなー
いま仕事何してるの?
普通に会社員
対局中に起きたエチハプニングある?
>>23
ハプニング自体経験したことないわ
奨励会とは違うん?
>>24
奨励会の下部組織と思ってもらえれば
こういうスレが伸びないところが低知能なびっぷら
>>25
そんなもんでしょ
将棋ブームとか言っても実際には藤井ブームだもん
将棋の地位が上がったなんて俺は思ってないよ
棋士目指すやつってやっぱ皆記憶力すごいの?
>>26
対局の再現なんてアホでも出来るよ
そろばん教室通えば頭の中にそろばんができるのと一緒だと思う
棋力すごいんだろうね。ヘボ将棋を指して励んでる俺からすると雲の上だわ
>>27
昔の話だよ
▲7六歩 スッ…
>>29
△8四歩
碁会所に比べて将棋指せる場所少ないよね
なんで将棋ってダーティなイメージあるんだろ?
昔は将棋好きだったけど、今は考えるのがだる過ぎてあかんわw
>>35
いらっしゃいませ
ダーティーまではいかないと思うけど
小池重明とか真剣師のイメージが残っている?
殺人者なのはともかく、あの手の人格者は今の世の中だと排除されに行くようなもんだなwww
>>36
40年前に既に時代遅れの頑固者だったもんね
友達の息子が奨励会にいるよー
プロになれますように
将棋倶楽部24で何点くらい?
>>39
最高が2700いかないくらい
もう10年以上やってないけどね
アナルに銀を突っ込むと両金取りになるって本当?
>>43
突っ込む向きによるね
「戦争は…終わる事はない」←あたり
>>44
「私は棋士という職業が無くなることを願っているんだ。おかしいかね?」
棋士という職業がなくなったら路頭に迷う奴ばっかだよ
全然伸びないな
シャンドラの灯をともせ!が埋められたから
ここを野球その他雑談スレにするかラグビーの話もしたいし
元々あのスレが潰れて暇だったから立てたスレだし
いや面白いけど何聞いていいのかわからん
もう少し自分語りはダメなんか?
>>49
自分語りは不評かと思ったんだけど
棋士を目指すきっかけは谷川浩司
谷川浩司はエビやカニが食べられないと聞いて
自分もエビとカニを食べるのをやめた
中2から高1まで3回奨励会を受験して落ちた
とりあえずこんなところ
自分語りがしたくてスレ立てたわけではないからどうしたものか
質問にはなるべく答えるつもりではいるけど
30で熱く語っちゃったのが恥ずかしい
「木村さん凄いですね」ってみんなから言われてうんざりして
オッサンがみんな木村応援じゃないことを知ってほしかったのも立てた理由
だから王位戦直後に立てたかったけど立たなくて一旦諦めた
んで暇だったから立ててみたら立っちゃった
わたしゃ一基ファンだから王位戦初戦の前夜祭行ったよ
木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は222。千葉県四街道市出身。竜王戦1組通算10期、順位戦A級通算5期。
プロ入り前
幼稚園のころ、近所に住む友人から将棋の駒の動かし方を教わる。小学校のころ、将棋教室の席主に佐瀬勇次八段(当時)を紹介され、そのまま入門した。小学6年の1985年の春、第10回小学生将棋名人戦でベスト8。この大会では野月浩貴が優勝、行方尚史が3位であった。同年12月、6級で奨励会に入会。二段(1988年10月)までは順調に昇級・昇段する。しかし、そこから三段昇段までに約2年、さらには三段リーグを抜けるのに6年半かかり、プロ入り(四段昇段)したのは1997年4月1日、23歳のときという遅咲きであった。1994年佐瀬勇次名誉九段が亡くなり、奨励会員の間は、兄弟子であった沼春雄五段(当時)の預かり弟子となった。
プロ入り後
プロになってからの勝率は非常に高く、棋士仲間の間で「勝率君(しょうりつくん)」と呼ばれていたことがある[2]。プロ入り後の勝率が高いのは、持ち時間の違い(奨励会の対局は有段者の場合、1時間半)も一因ではないかと本人は語っている[1]。通算500局以上対局している棋士の中で通算勝率が7割を超えているのが羽生善治と木村の2名だけという状態が長く続いた。
1998年度、初参加の竜王ランキング戦で初戦を落とすものの、昇級者決定戦(敗者復活)で6連勝して5組へ昇級。さらには、2期目の参加となる第57期C級2組順位戦でも最終局を残しての9連勝のち1敗でC級1組への昇級を決め、この年度の将棋大賞の新人賞を受賞。
1999年度は、将棋大賞の勝率1位賞を受賞(0.797)。
悲願のタイトル獲得
2019年、第60期王位戦挑戦者決定戦(6月6日)で羽生善治九段に勝利し、豊島将之王位への挑戦権を獲得した。これでタイトル獲得経験の無いまま7回目のタイトル挑戦が決まり森下卓の最多記録を更新。また、第32期竜王戦では1組3位で本戦に出場し、本戦トーナメントを勝ち抜いた結果、挑戦者決定三番勝負は1組4位で本戦に出場した豊島との顔合わせとなり、同時期に行われる王位戦七番勝負と合わせて「十番勝負」の様相を呈することとなった。
豊島との竜王戦挑戦者決定三番勝負は1勝2敗に終わり、挑戦権獲得はならなかったが、王位戦七番勝負は4勝3敗で豊島からタイトルを奪取。46歳3ヶ月での初タイトル獲得は、有吉道夫九段が持っていた記録(37歳6ヵ月、1973年の第21期棋聖戦にて)を8歳以上更新する初タイトル獲得の最年長記録となった
引用:wiki
>>59
それはおめでとう
西の者はオッサンも豊島応援だった
>>61
渡辺絡みで思い出したけど結局スマホ弄ってたと疑惑のあった棋士は白だったの黒だったの?
仮に白だったら渡辺は何も問われないのか?
>>82
離席自体でっち上げだから完全に白だよ
久保も渡辺明も千田率の千田も
「ベテラン棋士だからこそわかる違和感」を週刊誌のエッセイで訴えた先崎も
「1億%黒」と言った橋本も全員お咎め無し
あの後先崎のエッセイは無くなったけど
週刊現代の三浦の詰将棋は騒動の間も途切れることなく続いてる
それが答えだよ
>>87
そもそも何でその流れになったんだっけ?
三浦気に食わねえし離席多いからでっち上げよう的な?
>>99
棋士は大体どこかの研究会に入ってるけど
三浦はどこにも属してないのに強いから疑われた
事件が起きるまで一番疑われてたのは渡辺明で
その渡辺明が他人を糾弾したから
自分がやってたから事情に詳しいんじゃないか?って
将棋板では「お前が言うな!」って言われてたらしいね
>>102
そう言えば渡辺もAIソフト一致率高いんだっけ
棋士じゃなくても奨励会ではAI使ってそうなやつとかいた?
スクラムもモールもめっちゃ押されてるやん
>>108
奨励会入ってないし
時代が違うし
>>109
違うんかそんなに昔なのか。
AIの指し手と人間の指し方違ったりしてるのわかる?
>>111
今はみんなAIの手を真似してるからわかんない
エルモ囲いとか
わたなべ竜王ってすごい?
>>60
将棋は強いけど人間のクズ
高校行ったからって正しい社会性が身につくとは限らないことは
渡辺見てれば一目瞭然なのに
藤井聡太に高校行けと言った奴らも
無責任な他人の言葉を真に受けて高校行かせた母親も絶対に許されない
お前たちは天才の道を捻じ曲げたんだぞ
因みに渡辺はとっくに竜王じゃない
高卒:米長、中原、渡辺明
高校中退:谷川浩司、羽生善治(通信制で単位取得)
高卒でも正しい社会性が身につくとは限らない
先崎を見て中卒はダメと思ったならわからなくもないが
アイツは実質小卒だからw
昔は顔の良し悪しではなくて、きちんと演技力や役に合うかでしっかり判断されたんだろうな
>>74
女優は顔だけでアイドルは顔どうでもいいんだよね
わけわからん
>>1
駒の動かし方から先の成長はどうやって身につけた?
>>76
うーん自然に?
他人の将棋を見てれば何が悪いのか直ぐにわかった
そこを修正すれば簡単に勝てた
いつも俺が勝つから誰も相手してくれなくなってしばらく将棋やらなかった
中学で将棋部に入って将棋世界か何かで谷川浩司を知って
自分も棋士になろうと思った
無敵囲いってあるじゃない
中飛車にして両方の銀上がる奴
あれやったことないなあ
あと角交換してとりあえず王手の15角
あれも1度もやったことない
棋士になる人たちはああいうの思いつかないんじゃないかな逆に
師匠とは今も連絡取ってるの?
まあご存命かわからないけれど
>>83
研修会には師匠要らないけど奨励会受けたから師匠いたよ
もう亡くなったけど
師匠の葬式で20年ぶりに兄弟弟子に会った
千田率が一番高かったのは羽生善治だけど
「羽生先生がそんなことするわけない」って全く疑われなかったね
もちろん羽生はそんなことしないけど
もしやってたとしても隠蔽されるだろうね
羽生が不正してたら将棋は終わりだもん
俺が現役の頃は将棋ソフト相手に最短手数を競ってた
確か12手が最短だった手順忘れたけど
13手の手順は覚えてる
76歩84歩46歩85歩45歩62銀48飛42玉
44角同歩同歩32玉43歩成まで
初心者だけどオススメの本ある?
>>127
初心者向けの本は読んだことないんだよね
最近の本もわからないので
名著と言われる加藤治郎先生の「将棋は歩から」をおすすめしておきます
少しわかるようになったら谷川浩司の「将棋に勝つ考え方」を

将棋に勝つ考え方―異次元の大局観 (谷川浩司の将棋新研究 1)
何で弟だけ?兄は?
って聞かれると思ったけど聞かれないな
畠山兄は既に奨励会員だったから研修会にはいなかったわけだけど
弟も当時の研修会では断トツに強かった
何でこんなところにいるの?て思ってた
すぐいなくなったけど
畠山 鎮(はたけやま まもる、1969年6月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は192。神奈川県出身。森安正幸七段門下。弟子に斎藤慎太郎、黒田尭之がいる。
棋歴
兄の畠山成幸とともに、将棋界唯一の双子棋士である。奨励会への入会は兄に1年遅れ、三段リーグ参加は1期遅れ(半年遅れ)であったが、3期目の第5回三段リーグ(1989年)で12勝6敗の成績を収めて四段昇段(プロ入り)を決めた。三段リーグから1つの期に四段昇段するのは2名であるが、もう一人の昇段者は同じく12勝6敗の成幸、つまり、双子の同時プロ入りであり、「こんなことがあるのか」と将棋関係者を驚かせた。同成績であるが順位は鎮の方が良かったため、棋士番号は鎮、成幸の順についた。
初参加の第3期(1990年度)竜王戦6組で決勝進出。決勝で兄の成幸に敗れるが、6組からの1期抜けを果たす。次の第4期(1991年度)では、先崎学、兄の成幸、中川大輔らを下して5組優勝し、本戦出場。初戦で丸山忠久に敗れる。
引用:wiki
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コメント一覧 (22)
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- 2019/10/24 13:33
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おれは渡辺ファンだよ
将棋の渡辺君面白いよ?
普及をしないような棋士はどんなに強くてもなぁって感じ -
bipblog
が
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- 2019/10/24 14:06
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羽生のAI一致率なんて、AIが棋士並の強さになる前の棋譜も高かった
単純に羽生の指し手が他の棋士よりAIに近い=強かったというだけの話 -
bipblog
が
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- 2019/10/24 15:00
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渡辺は遠くから見てる分には面白い棋士だけど、
仕事仲間になったら確かにイヤなタイプだなあ -
bipblog
が
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- 2019/10/24 15:00
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スマホの件は三浦がブームに水を差したくないから、といって
大人の対応をしたけど、それが却って憶測をよんでしまった感がある。
訴えた側はペナルティを受けるなりすべきだった。
お咎めなしはほんと悪手。 -
bipblog
が
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- 2019/10/24 15:08
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羽生とか藤井七段なんて今でもAIを軽く凌駕した手を指してるだろ
つかソフトも棋士目指す連中も羽生世代以降は全て羽生を目標にしてたんだし -
bipblog
が
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- 2019/10/24 16:12
- 藤田綾の弟?????????????
-
bipblog
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- 2019/10/24 16:14
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ナベは
ふてぶてしいから
アンチが多い棋士 -
bipblog
が
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- 2019/10/24 16:23
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※6
いや最近はその二人もソフトから勉強して対局してる
今のソフトは完全に人間越えてる -
bipblog
が
しました
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- 2019/10/24 18:24
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※12
だったらもうプロ棋士なんていらなくね? -
bipblog
が
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- 2019/10/24 18:47
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社会性や人格云々で米長を出すのはだめでしょ
竜王戦で4タテ食らった後にホテルの中を全裸で全力疾走したなんてエピソードが出てくるような人だぞ
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bipblog
が
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- 2019/10/24 19:36
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羽生先生は多くの棋士の研究対象になり続け長年研究され続けた上でのあの勝率だから本当にすごい
どうでもいいが公文式で育って気づいたら羽生先生のファンになってた奴って絶対俺だけじゃないだろ -
bipblog
が
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- 2019/10/24 20:47
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ナベは勝つためなら何でもする大山タイプだろ
嫌われて正論 -
bipblog
が
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- 2019/10/24 23:18
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なべは解説が明快だし、将棋も強くて好きだけどなあ
あの事件でケチついたのがもったいない -
bipblog
が
しました
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- 2019/11/10 04:21
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※3
※20
-
bipblog
が
しました
bipblog
が
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