感動とかじゃなく、ただただ悲しいコピペあゆ?
火曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、
母親が仕事を休んで付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろうな、俺は。
|
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った
>>16
泣いた
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
>>24
きっつ
かーちゃん系はずるいからやめろ
50 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/04/04(火) 23:14:26.71 i8UE+cve0
そういうのすごくよくわかる!寂しい一人暮らしだと、
会社や家族以外の人とのふれあいが結構うれしかったりするんだよね。
俺の場合は、その日一日は本当ついていなくて、会社で他人のミスが自分に
降りかかってきて上司にめちゃくちゃ怒られるわ、いつもの定食屋が混んでて
自分の注文忘れられ、担当のお客には怒られ(超理不尽な理由で!)、
ありえない量のサービス残業押し付けられてもうさんざんな状態で、
帰るころには夜12時を回ってた......
こういうときは気分転換にいつもと違ったルートで帰るといいと思って
寄り道がてら見知らぬラーメン屋に立ち入ったら、
そこで偶然中学のときのクラスメート数人とばったり出会ったのよ。
特に盛り上がった会話はしなかったけど、一人暮らしの寂しい俺にとって
こういう偶然の旧友との出会いって、なんか元気でるんだよね。
おかげでどん底から抜け出せたよ。52 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/04/04(火) 23:19:42.96 jfiemV9s0
>>50
ラーメン屋にクラスメート数人って、何人くらいいたの?56 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/04/04(火) 23:28:11.46 i8UE+cve0
>>52
よくよく思い出してみると、結構な人数いたかも。
女子とかも、こんな子そういえばいたなーって子もいたな。 懐かしかった。59 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/04/04(火) 23:34:12.54 jfiemV9s0
>>56
OK それ同窓会だ65 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/04/04(火) 23:39:16.31 i8UE+cve0
>>59
ありがとう 今週中に死ぬ
>>55
知らない方が幸せなことってあるんだな
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれたある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた
俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれたそんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった
>>70
つらすぎる
>>70
つらいけど救いがあるじゃないか
いい話でもある
というかいい話じゃないか
13 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/09(月) 22:38:24.84 ID:tRIe3NEw
成人式の為に買ってもらったスーツを着て
かっこいいと言われ、何枚も写真を取られ
車で会場まで送ってもらい
「友達と飲むだろうけど、イッキなんてしたらいかんよ?
遅くなるだろうから気をつけて帰ってらっしゃい」
そう言われた後一人で会場を一周し、中に入ることが出来ず
友達と飲みに行くことになっている手前、そのまま帰ることも出来ず
夜まで時間つぶすためにその足でスロット店へ行き
親からもらったお年玉を使い切るのに2時間も持たず
銀行から下ろした8万も消え
どうしようもなくなって、夕方頃に家に帰り
人が多すぎて友達と会えなかったと言う俺に
母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもの作らなきゃねと言い
俺は震えて声も出せないほど泣いた
あーあ
連休に実家かえろっと
>>81
J( 'ー`)し「コロナ怖いから来ないで」
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
>>124
個人的にはこれが1番心に残っている
>>124
優勝
これが本当に嘘偽りのない実話だという哀しさ
>>124
これ被告は執行猶予判決出たんだけど結局その後琵琶湖に飛び込んで自殺したっていうのがさらに悲しい
66 :彼氏いない歴774年:2010/11/17(水) 00:56:24 ID:cBn69G5s
「うおおおおぉぉぉ(ブッブババババ※屁)よっしゃあああぁぁぁぁぁ!!」
って寝起きに階段降りながらやってたら、階段下の玄関に弟の会社の人が立ってた。
一緒に釣りに行くんだって。
150: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/11/19(月) 15:08:36.48 ID:0WVlORm/0>>149
くそわろた
漏れが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな~い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。「知らねーよ。眠いんだから出て行け」
と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」
といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。
それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、漏れは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…
「沖縄に行かない?」
いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。
親孝行しないとなって思わされるスレだったわ
俺天然パーマなんだけど先週の日曜日の話。
最近俺が彼女と別れたのを知ってか知らずか友達が男2女2(友達・友達の彼女・彼女の友達・俺)で遊園地行こうと言い出した。
俺はそんなに気が乗らなかったが仕事始まってから友達に全然会ってなかったし、気分転換になるかもと思って遊びに行くことに。
遊園地に着いて遊んでると、友達が別行動にしようと言い出した。
知らない子なので最初は気まずかったけどそのうち気軽に話せるようになり、だんだん楽しいと感じるようになった。
話してるうちにその女の子とは思ってたより気が合うし可愛いし付き合ってもいいと思った。いや、正直付き合いたいと思った。
3時くらいになって遊園地が物凄く混んできたので俺はその女の子に「(はぐれないように)手繋ごっか?」と言った。
彼女は男と付き合ったりした事が無いらしく俺がそう言うと何だか恥ずかしそうにしてた。
でもここで2人モジモジしてはぐれても困るので俺から彼女の手を繋いだら爆発した。
まぁさすがに爆発したのは嘘だけど、手繋いだのはガチで嘘。
でも4人で遊びに行った事だけは本当に嘘。
ただ昔彼女がいたってのはマジで嘘。
俺が天パーなのは本当。
誰か助けてくれ。
>>163
これ好き
>>163
怒涛の展開やめろ
母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であったついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
>>174
なにこれ
軍人?
>>174
特攻隊の遺書か
俺思うんだ・・・。俺、死ぬ前に小学生の頃を
一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊んだ空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり~」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…
そして死にたい
>>177
つら
>>177
安楽死が合法化されて、フルダイブ式のVRマシンが開発されたら、こういう世界を体験しながら安楽死したい
大学生で禿げてる俺は一度だけ合コンに誘われた。
イケメングループからメンバーが足りないから頼む!と言われたので仕方なしにだった。
けれど、だんだんわくわくしてきて服を買いに行ったりモテ術の本を読んだりした。
親に「俺今日合コンだから遅くなるよ!」というと親は「あんまり飲んじゃだめだよ」とうれしそうだった。当日、予定の場所に行くと誰もいない。イケメンに電話すると「もうみんな店にいるから早く来い」という
遅れて登場も悪くない、と思いながら店に入ると地獄が待っていた。
「うっそ~!!ほんとに禿げてる!!」
「な?な?俺が言ったとおりだろ?」
「うわ~キモイwww」
俺は何が起こったのかわからなかったが、どうやら最初からネタにするつもりで呼んだようだった。
そのうちイケメンの一人が俺にヘッドロックをかけ、
「ほらこの頭見ろよ!すげー!!」
とやってきたので俺は手でそれを振り払った。すると今度は
「何本気できれてんだよ」「ハゲって最低」「空気嫁よ」
俺はもう参加する気力も切れる気力もなく店を出た。誰も引き止めなかった。家に向かって歩いていると雨が降ってきてびしょぬれになった
もう情けなくて情けなくて声もあげず泣いてた。
家に入ると母親に向かって怒鳴った「お前のせいで禿げたんだぞ!!」
母親も泣いた。俺も泣いた。
名前:受験番号774 投稿日:05/02/09 15:15:42 ID:axbB3/xP
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、
おごってもらったのが白木屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
>>211
これ2005年のコピペなのか
あれから15年たって今や白木屋すら贅沢になって鳥貴族が流行り、それすら厳しくなってストロングゼロ買って家飲みがブームになるなんてなぁ…
ほんと貧しくなったよなこの国は
>>211
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだった
あの頃は浪人生でバイトもロクにできないお前に良くおごってやったっけ。
良い大学出て良い会社入る事だけが幸せか?俺は目の前で得れる金しか興味ないって
言うと、苦笑いしながら哀れんでたな、おごって貰ってる身分で。
お前が入社した頃はまだ景気も良くてバイトの俺のが稼いでたな。
あれから十年たった時も、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だった。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に来るのは俺と一緒のときだけだとお前言っていた。
俺が頼んだ安いツマミには一切手を付けず、ジョキのビールさえ飲まず
お前は瓶ビールだけを飲んでたな。何が入ってるか判らない、これは本物の酒と食べ物
じゃないと訳の判らないことを言っていた。一流企業に入社して残業が大変なのか
ノルマが厳しいのか知らんがちょっと神経質、いや精神病気味に見えて心配したもんだ。
>>219
アンサーコピペあって草
惨めさは変わらんが
>>220
確か数年後コピペもあったはず
>>224
読みたい
>>230
仕事帰り、信号待ちでふと目をやると若者ふたりが騒いでいる。
どうやら後ろに見える白木屋から出てきた友人同士のようだ。
ふたりとも、顔を赤くして悩みのなさそうな笑顔を浮かべている。そんな光景が俺を10年前の白木屋に連れ戻す。
向かいに座った友人は30代にしてフリーターを続け、先の見えない人生を送っていた。
思えば、彼は俺が貧乏学生の頃にメシをよくおごってくれた。
それは彼にとって自己顕示欲を満たすためのものだったかも知れないが、それでも
貧しかった当時の俺には本当にありがたかった。
だが俺はその頃仕事が軌道に乗り、ちょっとした「勝ち組」気分に浮かれ目の前で
現実に打ちのめされたような友人を見下し、侮辱し、突き放してしまった。
彼はヨレヨレの千円札3枚をテーブルに置くと「はは、そういえば仕事があった…」
と呟くように言い、恥じるような、堪えるような表情で席を立った。それから彼には会っていない。もっていた携帯も解約されたようだ。
若者コンビがこちらを指さしながら変わらぬ笑顔で騒いでいる。
これからの人生はきっと平坦ではないだろうけど、それでも今を楽しむことに罪はない。
俺はきっと10年前のあの日を後悔している…信号が青になり、我に返った俺はアクセルを踏み込む。
ガヤルドのエンジンから強いトラクションを感じつつ鋭く加速する。
白木屋の看板と若者コンビはあっと言う間に遠ざかる。
目の端に映るミラーの中で点になったのはあの頃の俺達だった。
>>231
しんみりしちゃうけどこれでもかってぐらい蛇足だなwww
>>231
個人的には短編小説としてみれば好き
コピペだとくどい
小学生だった私は、弟と母親の3人暮らし。
父親は腕のいい職人だったけど、女作って家族を置いたままどこかへ行った。
残された母親は、女手一つで頑張ってくれた。
私達は貧乏で身なりが汚かったので、よく苛められた。そんな、ある時家庭訪問をやる事で先生がうちにも来ることになった。
私は母親に「恥ずかしいから先生に来てもらうの嫌だ。」
って言っら、酷く叱られた。
「貧乏なんてちっともはずかしくないんだよ。そんな事を言うなんて、もううちの子じゃない。」
って。
「だってお母さん、うちは先生に出すお菓子も買えないよ。」
「大丈夫よ、そんな事子供が気にしなくても。お母さんは、こう見えてもおはぎ作らせるとうまいんだ。おばあちゃんから習ったんだから。」
「ほんと?」
「本当さ。先生には美味しい手作りのおはぎを出すから安心しな。」家庭訪問の前夜から母親は小豆を水に浸し、次の日は朝早くから煮込んでいた。
私と弟はわくわくしながら見ていた。
出来上がったおはぎをみんなで味見したら、それはもうとてもおいしかった。
あの時の味は今でも忘れない。『先生も喜んでくれる。』
そう信じていた。
ところが先生は出されたおはぎに手をつけなかった。
母親が言った。「先生手作りですけど、どうぞお召し上がりになって下さい。」
「いえ、せっかくですが、今お腹がいっぱいなので貰って帰ります。」先生はそう言って紙に包んでカバンの中にしまった。
それから1時間後、私は土手下の草村で遊んでいて、投げ捨てられているおはぎを発見した。
紙包みからはみだしたおはぎが、無残に散らばっていた。それが私の母の作ったおはぎだという事は、包んである紙を見てわかった。
どうして先生が捨てたのか、いろいろ考えた。
考えながら涙が流れてとまらなかった。母が作ったおはぎが悪いんじゃない。
貧乏が悪いんだ。
>>214
これ確か弘兼憲史のマンガだよな
>>214
先生がわるいんだろう
>>215
捨てるにしても土手にそのままってのは育ちが悪いよね…
ん?ってことは先生も貧乏だったのかな?
貧乏が悪い
雨にも負けるし
風にも負ける
雪にも夏の暑さにも負ける
ひ弱なからだをもち
慾だらけで すぐキレるし 笑顔を忘れて久しい
一日にペヤング超大盛り5箱と
ドクターペッパーとプリングルスを食べ
あらゆることを打算的に 人の言う事は基本的に聞かず そしてすぐ忘れる
年老いた親に鞭打って働かせ
一日中暗い部屋のPCの前にいて
東に病気の子供あれば不謹慎ネタに使い
西に疲れた母あれば小遣いをせびり
南に死にそうな人あればニヤニヤ笑い
北に喧嘩や訴訟があれば全力で煽り
日照りの時はコンビニ行くだけでだらだら油汗を流し 寒さの夏は大喜び
みんなにヒキオタニート社会のゴミと呼ばれ
褒められもせず 苦にされまくり
そういうものに
わたしは
なってしまった
僕は小学校4年生の時、雑草係だった
雑草係とは月水金の週3日、昼休みに校庭に生えている雑草を抜いてまわる係だ
係を決める日に欠席した僕に、大親友の大内くんが雑草係だということを教えてくれたんだ
僕は内心つらそうな係だなと思った
でもクラスには大好きな高野さんがいたし、先生にも褒められたかったので
僕は雑草係をやり遂げることを決心した。
それからの僕は熱心に雑草係をつとめた。台風が近づいて大雨の日も、炎天下でも
みんなが校庭で遊んでいるその間を這いつくばりながら、雑草を抜き続けたんだ。2学期の中頃、僕は朝会で突然校長先生から表彰された。
校長先生は「この子はお昼休みに校庭の雑草を熱心に抜いてくれている。
私はこれはとてもすごいことだと思う」という。僕は言ってやりたかった。「これは雑草係という係なんですよ 馬鹿じゃねーのww」と。
でもクラスのみんなは笑顔で僕を迎え入れてくれたし、先生もすごいねと言ってくれた。
僕は嬉しかった。
大好きな高野さんがうつむいてるのが気になったけどね。
その日の放課後、先生が僕を職員室に呼んだ。きっと褒めてくれるんだ。
僕はウキウキして行った。先生は僕の正面に座ると言った「積極的に校庭の雑草を抜いてるとは思わなかった。とてもえらいね。でも保険係のお仕事をサボっちゃ駄目じゃない。保険係の集会がある水曜日のお昼休みは係の仕事しよ?保険係が高野さん1人じゃ可哀そうじゃない。」
雑草係なんてなかった
>>223
大内くんワロタ
>>223
大内くん...??
以前、会社の同僚に10万円を貸した。
貸したときから自分の金じゃないと割り切っていたが、
2年くらい経ったある夜、オレのアパートに全額封筒に入れて返しにきてくれた。
「遅れてゴメン、利息を付けたかったんだけど、とりあえず・・・」というので、
「じゃ、10万と500円で完済でいいや」って冗談のつもりで答えた。彼は財布から500円分の硬貨を取り出し「ありがとう、ほんとに助かったよ・・・」
といって笑顔でオレに手渡した。
少し話をしてその夜は別れたが、部屋に戻ってからすごく後悔した。
彼の財布の中に札が1枚も無かったのが見えたからだ。彼の困窮が両親と子供2人を抱えるの父子家庭であるからだということも
知っていたが、 後悔したのは、500円というお金をまるで無価値のように
彼に話してしまったことだ。昼食をよく抜いてた彼。駅まで何キロも歩いて帰る姿もよく見た。
薬局で1袋分の風邪薬を買ってるのも見た。
あのとき余分に500円さえあれば、牛丼も食えたしバスに乗って帰れもしたろう。
子供の誕生日に板チョコじゃなくて、ショートケーキくらい買ってあげられたのかも知れない。
それでも、10万円という大金を貯めて「ありがとう」といって返しにきてくれた。彼とはしばらく付き合いがあったが、オレが転職して、結局、詫びる(?)方法も
わからないまま音信不通になった。
あの夜以来、あまり人前でお金の話をすることはなくなったような気がする。誠実で誇り高い彼の人生に、幸多からんことを事を・・・
普段は友人として普通に接している連中相手でも、みんなで飯を食いに行く時とか特に壁を感じる
俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな「うんそうだねー」って感じで
全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す
俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると
そいつに連絡取ったり待ったりする
俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、
俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く
どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない
食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後のときは
みんな既に食べ始めている
食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、
俺が最後のときはみんな先に帰り始めている
横に並んで歩いている時、俺の両隣りが徐々に迫ってきて遂には俺は後ろへ
追いやられて、みんなの後ろをトボトボ歩く羽目になる
誰かが購買に寄るとみんなついていくが、俺が行くときは誰もついてこない
これらの行為は作為的なものではなく、無意識なものだと思う
みんなが特に俺への接し方に差をつけてるのではなく、
ただ俺の存在や影響力が薄すぎるだけなのだろう
たぶん、俺だけこんな空気な扱いになってることにも気付いてない気がする
みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い
こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う
>>249
やめろやめろやめろやめろやめろ
>>249
これが一番きついわ
僕はワープアなので、なるべく節約します
ローソン100に行っても、おやつはボリュームのあるものばかりを買います
おしゃれなチョコとか、薄いクッキーの上にチョコが乗ってたりするものは、同じ100円でも量が少ないので買わない
おせんべいとかポテチとかを買います
しかし、たまには奮発しようと決心し、ちょっと高級そうなものを買いました
ビーフジャーキーという、今まで食べたことのない夢の食べ物
やっぱり量は少なめだけど買ってみた
家でお茶と一緒に食べると、「なるほど。ビーフジャーキーとは、ちょっとしゃれた味がするな」
と、プチ贅沢を味わった後、「たまにはこんな贅沢もいいな。またいつか買おう」と包みを詳しく見ていると、「ドッグフード」と書いてありました
こんなものを毎日食べている犬もいるんだなと思うと、俺のぜいたくは犬以下かと思い、いつ立ち直れるか分りません
小2で母親が死んで三年経ったとき、テレビでお母さん特集みたいなの見てたら親父が
「なあ、お前新しいお母さん欲しい?」って言ってきた。
俺は親父に彼女ができたんだと思って、本当はいらないって言いたかったけど、とっさに「わかんない」って変なこと言った。
そしたら親父が「いらないよな。そうだろ?俺もいらねえよ。周りは結婚し直せってうるさいけど冗談じゃねえってんだよ。
俺の女房はあいつだけだよ。お前のお母さんもあいつだけだ。そうだろ?」って答えたんだ。
俺はこれ聞いて涙声で「うん」って答えて自分の部屋行って母親の写真眺めながら号泣した。
その一年後、親父はフィリピン人と結婚した。
>>293
草
小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら弟を一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は
閑散とした客が誰一人としていない店頭で一生懸命呼び込みをしながら焼きそばを小さなホットプレートで焼きつづける電気店主夫婦・・・
子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く勇気が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
それから月日は経ち電気屋は無くなった。
>>239
電器店で焼きそばって場違いな取り合わせは改めて見ると悲哀が増すわ
>>239
うーん、悲しいか?全然ピンとこない
>>243
これは悲しいだろ…
電気焼きそばは救いが無いからなあ
小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの
開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら
弟を一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は
客で溢れた店頭で一生懸命列の整理をしながら焼きそばを
小さなホットプレートで焼きつづける電気店主夫婦・・・
子供の目にもあまりにも修羅場の雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く
勇気が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
それから月日は経ち電気屋は焼きそば屋になった
>>266
好きw
>>266
ワロタ
>>266
これで気持ちよく寝れるありがとう
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コメント一覧 (18)
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- 2020/07/22 21:38
- 母親ネタはやめてくれ…
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bipblog
がしました
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- 2020/07/22 21:38
- なんでこういうのって父親じゃなくて母親なんだろ
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bipblog
がしました
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- 2020/07/22 21:40
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母親系のは言い話ではあるんだけど…
もうちょっと子供の立場になって考えてあげられないのかって思ってモヤモヤする -
bipblog
がしました
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- 2020/07/22 21:43
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俺が書いたやつが1個載ってる…。
もう20年くらい前のやつかね。
俺の人生、あの頃と何ら変わってなくて読み返したらまた悲しくなった。 -
bipblog
がしました
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- 2020/07/22 21:52
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焼きそば屋のオチ、初めて見たわ
まとめ方が秀逸すぎるw -
bipblog
がしました
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- 2020/07/22 21:55
- 大体クズが親に酷い事して後悔してるだけじゃねぇか
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bipblog
がしました
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- 2020/07/22 21:59
- 177とか特別今が辛い訳でもないのに気持ちが分かるのなんでだろうな
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bipblog
がしました
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- 2020/07/22 22:03
- 自分の気持ちを言えない優しい後輩女に一目惚れして食事や遊びに行くん何回か行くんだけど、後輩女に「ホントはずっと嫌でした」って言われて、「なんだ、ちゃんと自分の言いたいこと言えるじゃん!」って強がるやつ見たいわ
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bipblog
がしました
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- 2020/07/22 22:25
- >>16は今まで見たコピペで一番きついわ
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bipblog
がしました
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- 2020/07/22 22:49
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片桐親子のような日本人こそ生きていて欲しいんだが…
世知辛いなあ -
bipblog
がしました
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- 2020/07/22 23:01
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野球ごめんねは
弘兼憲史の「人間交差点」の改変って
知ってる人が今どれだけいるのだろう -
bipblog
がしました
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- 2020/07/22 23:04
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スレ249の隠キャへの破壊力が半端ない・・・今まで見た中で1番ダメージが大きい。
泣けるやつは泣くことで心の均衡を保てるが、泣くこともできないやつはただただ苦しくなる。 -
bipblog
がしました
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- 2020/07/23 00:24
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※5
そうか、コピペは多くの人の目に触れ、心に触れ、伝承されたもの。
おおむね、昔に見たことがあるものだったが、懐かしい、昔を思いだし震える。
あなたに幸多からんことを
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bipblog
がしました
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- 2020/07/23 10:49
- 自分で話作って自分で感動して泣いてるやつ
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bipblog
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【推しの子】 有馬かな
俺もお前らと一緒に「カーチャン・・・(´;ω;`)」とか
上から目線で「親のせいにすんなよ」とか言ってみたかったなぁ
bipblog
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