
簡単に説明したい
やってみろ
何も知らん
>>5
歴史の知識がない人にも分かるように説明したい
何人くらい死んだんや
>>7
何人ぐらい死んだか知らない人にも分かるように説明したい
応と仁が戦ったやつ?
よく分からんけど内輪揉めやろ?
みんなでわーわーやってたヤツやん
ブームになった本出てるから
>>12
ブームになった本を読んでも分からなかった人にも分かるように説明したい
まるっきり知識ないから誰と誰が何で何をしたのかからやれ😡
嘉吉の乱で将軍の権威が失墜した
山名氏が勢力を伸ばしたので細川氏と対立始めて跡目争いを名目に戦争始めた
将軍が同族同士討ち戦法してたら規模デカくなり過ぎた的な事でええやろもう
善が誰一人いない
>>29
内乱なんてそんなもんやろ
>>64
家名や一党の栄華を追求するのが当時の武家の在り方やしそういう意味ではみんな善と言える気がするな
>>67
国中滅茶苦茶にしとる訳やから流石に善とまでは言いたくないけど別に悪人って訳でもないわな
>>76
国の感覚が現代人とはまるで違うやろからね
本人らはやるべきことを全力でやってたやつが大半と思うわ
結局両者痛み分けみたいな終わり方しとるけど後のこと考えると損したのは山名側なんけ?
>>30
山名側が損したと解釈してる人にも分かりやすく説明したい
畠山義就とかいう何したかようわからんやつのせいやろ
>>32
畠山義就が原因だと思っている人にも分かりやすく説明したい
呉座勇一についてどう思ってる?答えろ!
>>37
呉座勇一とは別の視点から分かりやすく説明したい
はよ説明せーや
RGかよ
説明したい(説明するとは言ってない)
嘉吉の乱で足利義教が暗殺されて山名宗全が勢力伸ばす所から見ていくと戦乱が起きる流れは掴みやすいで
嘉吉の乱(かきつのらん)、または嘉吉の変(かきつのへん)は、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が、室町幕府6代将軍足利義教を殺害し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。
軍記物語『嘉吉記』には、嘉吉の乱から後の神器奪還までの赤松氏の事情が記されている。
>>40
あれ引き起こした赤松家って結局滅びるんやっけ
>>52
赤松から別所が台頭してあの辺は浦上が出てきて更にその下から宇喜多が出てきてとかそういう下剋上の繰り返しなイメージあるな
赤松自体も南北朝の騒乱で成り上がったアレやけど
>>60
ワイの中では義満のお世話してた人に赤松って人と細川頼之がいたって認識やからちょっとびっくりしたわ
>>79
名和と赤松は後醍醐天皇が隠岐から逃れる時に挙兵して上京を助けた勲功という理解
途中で敵と味方が丸ごと入れ替わるのほんと草
結局両者痛み分けって事でええんよな?
複雑過ぎてややこしいわ
>>49
そもそも両陣営とも1枚岩やないから個々の勢力ごとに違うやろ
大将的な立場やった細川、山名は痛み分けやろな
当然どっちの陣営にも得した奴だっておるし
ラインハルト陣営とブラウンシュバイクの門閥貴族連合が争ったみたいなもんやろ
細川 山名 赤松 畠山 斯波って結局どこも得しなかったんよな
>>82
赤松は得したやろ
旧領回復してんねんで
>>94
正直一族の中で将軍暗殺した奴がいるって家名的に大打撃受けてるのによう復興まで漕ぎ着けたよな
>>110
誰とは言わんが将軍殺したのに幕府を150年間牛耳った奴らもおるし多少はね?
将軍の求心力が低下して逆に守護大名の権勢は強まった
全員この機に乗じて得しようと考えたから止める人間がいなかった
幕府は実質的に崩壊して戦乱の世に突入
歴史って基本的にチーズ牛丼がバイトいって怒られて帰りに泣きながらチーズ牛丼食ってる話と変わらんのよ
主語がチーじゃなくて英雄やから話が大きくなるだけで調べたらだいたい当たり前の話ばっかりやねん
応仁は違うけどな
複数のチーが入れ替わりたちかわり吐きながら何杯も三色チーズ牛丼食ってる
>>105
余計わかりにくくて草
>>105
つまりどういうことばってばよ
>>105
ぐう賢い
IQが20違うと会話にならんって言うけどこれは40くらい違うわ ワイにはわからん
昔の人の思考ってようわからんわ
現代ならこいつに付いていったら得やなとか考えてるんやろうなあってなるけど昔の人もそうなんか?
それとも損得抜きにこの人に一族郎党の命張ってもええって思考なのか
>>102
基本的には損得やろ大穴狙いか手堅く勝負かってだけで現代のギャンブルと変わらん
乗られた側は勝ったら下の連中に応える義務があるしな
佐々木道誉って下剋上でも皇族侮辱でもなんでもござれのカブキなくせに
結局終始足利尊氏側に付いてるのが不思議
応仁の乱は世界最古の無線LANやで
>>135
またよくわからん例えする逸材が出てきたわ
>>135
なるほど…
官能の擾乱の時に高師直らが軍勢を率いて直義派の二人を追い出せ(殺せ)つって実力行使の威嚇に出た
それを幕府として受け入れちゃってから軍勢率いて上京して威嚇というのが常套手段になってもたんだと思う
応仁の乱はそれが大規模に軍事衝突しちゃった
観応の擾乱(かんのうのじょうらん)は、南北朝時代、正平5年/観応元年10月26日(1350年11月26日)から正平7年2月26日(1352年3月12日)にかけて[注釈 1]、足利政権(室町幕府)の内紛によって行われた戦乱。
将軍足利尊氏の弟で幕府の実権を握る足利直義の派閥と、幕府執事高師直・将軍尊氏の派閥が争い、最終的に師直も直義も死亡したことから、生き残った尊氏が擾乱に勝利した。
なお、実態は足利政権だけにとどまらず、対立する南朝と北朝、それを支持する武家や、公家と武家同士の確執なども背景とする。
そもそも応仁の乱って荒れてた時期にあった色々なことをひっくるめて一言にしたクソ雑な括りじゃん
現代日本史で例えたら日清戦争から日露戦争、昭和恐慌を経て太平洋戦争突入と終戦までを「大日本帝国の乱」って呼ぶくらい雑
コメント一覧 (22)
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- 2021/09/04 22:25
- RGのあるある言いたいネタのパクリやんけ!
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bipblog
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しました
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- 2021/09/04 22:39
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応仁の乱は結局複数の本を読んでくしかないね
10種類くらい読んでくとなんとなく分かってくるとうか
筋が繋がってくる感じ -
bipblog
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しました
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- 2021/09/04 22:51
- 結局何も話せてない
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bipblog
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しました
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- 2021/09/04 22:53
- 誰一人言及しないが、最近では細川山名の争いではなく、畠山氏の跡目争いがメインだって言われてるんだろ
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bipblog
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しました
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- 2021/09/04 23:06
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塩野七瀬が「なんでローマ滅んだんですか教えてください」とよく
言われるそうだが「簡単には説明できひんわ」って答えるんだと
その手の話だろ -
bipblog
が
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- 2021/09/04 23:12
- ここで例の近衛文麿の、こないだの戦争で焼けましたエピソードを
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bipblog
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- 2021/09/04 23:21
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それって卒論なん?
調べ学習じゃなくて? -
bipblog
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- 2021/09/05 00:03
- 説明したい(したいだけ)
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bipblog
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しました
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- 2021/09/05 01:34
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レス引き出したいだけやな
んでまとめるやろカスやな -
bipblog
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- 2021/09/05 02:21
- 今日だけで応仁の乱のスレ2つ見たぞ
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bipblog
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- 2021/09/05 07:37
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ニコ動の「【戦国時代解説】戦国への道」って動画がめっちゃわかりやすい
完結してないのが残念だけどNHKのちゃんとした番組のような出来 -
bipblog
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- 2021/09/05 08:13
- 信長の革新的なイメージのある行動が足利義教の影響をもろに受けてるのが面白い
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bipblog
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- 2021/09/05 08:57
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ゆうきまさみのマンガは割と良い感じ。
有る方向からは正しい。 -
bipblog
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- 2021/09/05 09:02
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嘉吉の乱で義教が暗殺されたのが第一の元凶
第二は畠山の家督争い、第三は文正の政変による義政の力の失墜
これで大名同士の争いをコントロール出来なくなって戦争へ -
bipblog
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- 2021/09/05 10:05
- こういうスレ好きだから説明楽しみにしてたのに!騙された!
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bipblog
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- 2021/09/05 11:24
- 戦国時代って結局内戦の内ゲバだよな。
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bipblog
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- 2021/09/05 15:00
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新九郎奔るで読んだ範囲では詳しくわかっている。
何度も読み直したので。 -
bipblog
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- 2021/09/05 15:24
- たぶん卒論書くために情報を集めたかったんだろうな
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bipblog
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bipblog
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