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    1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 14:31:24.95 ID:S7HEEzxT0

    色んな意味で泣ける話集めようぜ。

    362 名前:躯 ◆jk0cn7Uk1o 投稿日:04/05/23 19:43 ID:YasGQFUA
    オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
    当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
    いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
    それをばあちゃんに見せては
    「ここでモンスターが出るんだよ」
    「ここに止まったら三回休み~」
    ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
    それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
    やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
    家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
    「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
    先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
    遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
    開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
    モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
    妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
    最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
    「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
    人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
    ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

    2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 14:47:58.58 ID:N7IUHMEb0

    私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
    母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
    友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
    ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
    私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
    すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
    とても食べられなかった。
    家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
    私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
    「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
    母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

    それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
    母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
    中を見ると弁当のことばかり書いていた。
    「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
    後悔で涙がこぼれた

    78 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 16:40:55.61 ID:5kgyyElgO

    >>2
    これはいつみても嫌だ

    162 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 20:14:08.48 ID:wR8tLL0TO

    >>2が強烈過ぎて後読む気無くなった

    13 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:19:08.27 ID:N7IUHMEb0

    俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
    すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
    「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
    貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
    母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
    どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
    これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
    前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
    ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
    母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
    去年俺は結婚したんだけど、
    結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。
    泣いたね、、。
    初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

    15 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:21:36.48 ID:N7IUHMEb0

    なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
    どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
    何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
    「どうすればいいの?」って聞いてきたが
    「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
    さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
    そしたら「・・・ごめんね」と一言。

    そんな母が先日亡くなった。
    遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
    俺の寝顔が写ってた・・・。

    涙が止まらなかった。

    70 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 16:19:47.08 ID:7r+C5YfAO

    >>15
    これはやばい…

    546 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 00:40:55.43 ID:TT7TzszU0

    >>15
    泣いた

    24 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:28:21.61 ID:uDaXQgOz0

    私には、兄がいました。
    3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
    ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
    勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
    バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
    苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
    たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
    とても、強かったので、大苦戦してました。

    ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
    「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
    私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
    なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
    そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

    葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
    お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
    でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
    だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

    私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
    ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
    そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
    兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
    それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
    その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
    お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

    今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。

    25 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:29:55.64 ID:N7IUHMEb0

    「沖縄に行かない?」
    いきなり母が電話で聞いてきた。
    当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
    「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
    「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
    「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
    急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

    それから半年後に母が死んだ。癌だった。
    医者からは余命半年と言われてたらしい。
    医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
    父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
    沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

    叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
    パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
    絵日記には
    「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
    ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
    ・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。

    自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
    というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
    母はそれをずっと覚えていたのだ。
    そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

    自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
    もう恩返しする事が出来ない・・・
    涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。

    26 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:29:59.31 ID:jXrJxHlT0

    俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
    それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
    親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
    俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
    そしたら・・・

    病室のベットの上にお母さんがうつってた。
    『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
    お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
    今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
    10分くらいのビデオテープだった。
    俺、泣いた、本気で泣いた。
    次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
    みんなにバカにされるくらい勉強した。
    俺が一浪だけどマーチに合格した時、
    親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
    そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
    また、よく見てみたら。
    ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
    お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
    俺また泣いちゃったよ。
    父親も辛かったんだろうな、
    親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
    就職決まった時、
    親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

    32 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:34:21.84 ID:N7IUHMEb0

    ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
    そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
    酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
    持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

     親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
    何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
    話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

     横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。

    149 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 19:25:06.22 ID:VoYNWkivO

    個人的には>>32がウルッときた

    40 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:43:59.07 ID:N7IUHMEb0

    この前妻に先立たれたんですよ、この前と言っても随分前だけどね。
    で、生まれて初めて一人で乳児を育て始めたわけですわ。正直最初は乳児を育てるのって簡単だと思ってたのよ。みんな普通に育児してるからさ。
    あのね、俺が間違ってた。あれは男一人でやるもんじゃない。女性だね、お母さんが愛情込めてやるものだよ。
    最初に寝かせつける時さ、めちゃめちゃびびってお腹そろ~ってさすって頭そろ~っと撫でたのよ。
    10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって手を止めちゃったのさ。
    そしたら娘がさ「もっと撫でて!」って感じでぐずるの。
    同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
    だからお腹トントンしたのさ。えぇ、そりゃもうトントンしましたとも。全てを忘れてトントンしたよ。
    ちょっと強すぎるんじゃないか、とか実はそろそろミルクやる時間だとかオムツも確かめないといけない事とか色々忘れてね。
    だって娘が撫でろって言ったからね。
    そしたらエライ事になった。
    もうすごい号泣。すごい喧しさ。耳元でシンバル鳴らされたくらい。空港の隣に住んでる人でもきっと驚く。
    それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
    正直「男なら女房の忘れ形見くらい一人で育てるぜ!」なんて見栄張らないで素直に娘と一緒に妻の後を追えばよかったと思ったよ。
    心の底から一人で育てると決めた事を後悔して今後の事を不安に思ったね。
    でも会社行って同僚に「赤ん坊の世話なんて簡単だな!専業主婦なんてただの暇人だよ。」とか言っちゃってんの。
    ホント俺ってダメ人間。
    誰か助けて下さい。

    44 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:46:08.83 ID:N7IUHMEb0

    この前娘の尻に赤い染み見つけたんですよ、初めてね。
    で、生まれて初めて娘の初潮に気付いたわけですわ。正直最初はそんなの簡単だと思ってたのよ。みんな普通に気付いてるからさ。
    あのね、俺が間違ってた。あれは男親が処理するもんじゃない。女性だね、母親でなくてもいいからとにかく女性がやるものだよ。
    最初に娘に知らせる時さ、めちゃめちゃ怯んで娘の肩そろ~って叩いて「あのさ」って静かに囁いたのよ。
    10秒くらいかけてさ。でなんか言いにくくなって下向いちゃったのさ。
    そしたら娘が俺の視線に気付いてさ「もっと早く言ってよ!」とか怒るの。
    同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
    だから謝って生理用品買いに行ったのさ。えぇ、そりゃもう買いましたとも。全てを忘れて買ったよ。
    俺は結構ごつい外見してる事とかレジのお姉さんが結構若くて綺麗な事とか夜用と昼用がある事とか色々忘れてね。
    だって娘が家で恥ずかしがりながら俺を待ってたからね。
    そしたらエライ事になった。
    もうすごい血まみれのゴミ箱。すごい血まみれ。俺の方が貧血になるくらい。 赤ん坊一人の血の量くらいあるかもしれなかった。
    それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事睨んでるの。ホント頼むから紙に包んで捨てなさい。
    正直「男ならなんでも対応できるぜ!」なんて見栄張らないで素直に職場の若い子とかに聞いておけばよかったと思ったよ。
    心の底から一人でパニクった事を後悔したね。
    でも会社出て友達に話した時に「娘もこれで一人前だな!欲情すんなよ」とか言われて顔で笑って腹で密かにむかついてんの。
    ホント俺ってダメ人間。
    これから思春期迎える娘、俺一人で平気なのかなぁ。

    47 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:48:21.62 ID:N7IUHMEb0

    この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
    で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
    あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
    最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ~って握ってそのままそろ~っと耳に当てたのよ。
    10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
    そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
    同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
    だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
    高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
    だって娘が聞けって言ったからね。
    そしたらエライ事になった。
    もうすごい合格。すごい「サクラサク」。満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
    それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
    正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
    心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
    でも妻の実家言って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
    ホント俺ってダメ人間。
    娘よ、たまには帰ってきて下さい。

    48 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 15:50:32.81 ID:N7IUHMEb0

    この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
    で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
    あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
    最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ~って踏み出して左足そろ~っと揃えたのよ。
    10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
    そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
    同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
    だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
    娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
    だって娘がしっかりしろって言ったからね。
    そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。
    もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
    それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
    正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
    心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
    でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。
    「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
    僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
    もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい

    85 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 17:25:43.54 ID:N7IUHMEb0

    私の父は無口で頑固で本当にこわくて
    親戚中が一目置いている人でした。
    家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
    その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

    私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
    ずっと黙ったままやっと口を開くと
    「ビールは何を飲むんや?」でした。
    その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
    その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
    なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
    当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
    イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。

    2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
    なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
    紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
    なんで冷たく言っちゃったんだろう?
    あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
    残されてた・・・
    その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
    「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」って書いてた。
    おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
    押入れいっぱい詰められていた。

    86 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 17:27:55.67 ID:N7IUHMEb0

    私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
    特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
    なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
    そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

    小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
    あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
    現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。

    しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
    すごく苦しかった。
    でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。

    気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
    一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
    ベッドの傍に、継母はいなかった。
    私は父に「あの人は?」と訊いた。
    父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
    私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
    そのまま力尽きて下流まで流された。
    その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

    私は次の日に継母のいる病室に行った。
    継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
    彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。

    87 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 17:30:04.88 ID:N7IUHMEb0

    葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
    私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
    そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
    ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に

    「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
     ○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」

    継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
    いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
    いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
    そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
    愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
    私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。

    日記を読んではじめて、私は
    「お母さん!」
    と大声で叫びながら錯乱状態になり、
    声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
    ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

    年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
    数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。

    118 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:18:22.36 ID:c/c7aL9m0

    ちのばーちゃん
    優しくて、綺麗好きで、山中にある小さなパーマ屋さん
    (美容院といえるほどのものでもないw)で働いていた働き者のばーちゃん
    兄妹で遊びにいくと『ひろ君(仮)とゆきちゃん(仮)が来たからビフテキにしようね』
    と必ずでっかいステーキを焼いてくれた。
    私の幼稚園の迎えにいつもいつも来てくれていた。
    私の好物だった牡丹餅をいつも作ってくれた。
    私の名前の漢字(小学生には小難しい)を教えてくれた。
    米の研ぎ方やだご汁の作り方を教えてくれた。
    優しくって、でも毛の長い絨毯のとこでお菓子を食べると怒るんだw

    そんなばーちゃんがちょっとおかしくなってきたのが私が中一の頃だ。
    同じ話を何度も繰り返し、いま自分が何処にいるかわからなくなり、
    私たち兄妹にお小遣をやった事を忘れて繰り返し渡す。
    これが呆けってやつ?と思いつつも、なんかまだよく理解できていなかった私は
    家にばーちゃんが来る度に「ここは何処だったかねぇ」「家に帰らんと…」
    と繰り返されるのがうんざりで、半ば恐怖でもあった。

    120 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:20:31.37 ID:c/c7aL9m0

    それからばーちゃんの認知症は進んで、ついにはドアの開け方も、靴の履き方も、
    ボタンの掛け方も解らなくなってしまった。
    それで、介護…というか祖父の手伝いをしに、よくばーちゃんの家に行くようになった。
    でもそん時まだ高校一年生だった自分はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
    同級生にばーちゃんの介護してる奴なんかいなかったし、
    何より、支離滅裂な話を繰り返されるのに嫌気がさしていた。

    で、ある日。いつもみたいにばーちゃんのトイレの世話をしてた時だ。
    はいはい終わったらティッシュで拭いてね、で、立って、ズボン履くよ、ってばーちゃんの背中を支えた
    そしたらさ、ばーちゃんがちっさい声で言うんだ。
    「ごめんねぇ、もうばーちゃんわけが解らんようになってねぇ…」
    小さい、泣きそうな震える声で言うんだ。ごめんねぇって何回も。
    全部ばーちゃんが悪いんだねぇ、ごめんねぇ。お小遣もやれなくなったねぇ。ごめんねぇ。ありがとねぇ
    ってさ。もうね、心臓わしづかみにされたみたいに苦しくなった。
    違うよ、ばーちゃん。私嫌々やってたんだよ。めんどくさいって嫌な顔して車に乗ってきたんだよ
    内心、ばーちゃんなんか早くいなくなればいいのにって考えたことあるんだよ
    謝んないでよばーちゃん。ばーちゃんが悪いんじゃないんだよ。
    謝んないでよばーちゃん。本当は本当に大好きなんだよばーちゃん。
    ばーちゃん。ばーちゃん。大好きだから。大好きだからやってるんだよ。

    ばーちゃんのズボン掴んだまんま泣きじゃくった。

    121 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:26:42.40 ID:c/c7aL9m0

    俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
    特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
    誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

    高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
    家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
    「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

    会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
    モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
    何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
    「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
    それが最後の言葉だった。

    「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
    スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
    母の炊き込みご飯が食べたくなる。

    122 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:31:12.63 ID:c/c7aL9m0

    401:774RR:05/02/0216:51:33ID:45EEXjH9
    aa-2b146d046f12080696d3fa6d1e3ee4b3

    初めて動物園に行った時の写真だ。
    母はそれを肌身離さずいつも持っていた。

    403:774RR:05/02/0216:52:21ID:45EEXjH9
    aa-f2c17b1963f25bb9b12fd793db187259

    123 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:33:28.34 ID:c/c7aL9m0

    404:774RR:05/02/0216:53:03ID:45EEXjH9
    aa-390ab8a6d4ac278a0c53cbf5dd966db1

    126 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:35:37.66 ID:c/c7aL9m0

    405:774RR:05/02/0216:54:35ID:45EEXjH9
    aa-ecc13f23ba396b0bb871a4d5cf0fc4c0

    127 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:37:47.02 ID:c/c7aL9m0

    406:774RR:05/02/0216:55:18ID:45EEXjH9
    aa-43b41c4b0647824d59fe795c3daa0a94

    129 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:39:57.37 ID:c/c7aL9m0

    407:774RR:05/02/0216:56:35ID:45EEXjH9
    aa-0a808b6e54379be3d55cd258539555da

    408:774RR:05/02/0216:57:27ID:45EEXjH9
    aa-40aebdc54d8fe15f3a52a0a5b55f77dc

    130 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:43:37.98 ID:SQ0Ys2Pm0

    409:774RR:05/02/0216:58:10ID:45EEXjH9

    aa-2529bdb92766aeef51604af0cfbc0338

    410:774RR:05/02/0216:58:59ID:45EEXjH9
    aa-e22a3eab82224cfa4ee6768067338677

    131 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:45:50.32 ID:SQ0Ys2Pm0

    411:774RR:05/02/0216:59:40ID:45EEXjH9
    aa-28e4c5cd9a263d06d852c36d3289054f

    132 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:48:36.31 ID:SQ0Ys2Pm0

    412:774RR:05/02/0217:00:22ID:45EEXjH9
    aa-1b25744c7f68b1b556f541ac16332964

    413:774RR:05/02/0217:01:04ID:45EEXjH9
    aa-8238cfe6c03a643a5f314c928f90296a

    133 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:51:04.95 ID:SQ0Ys2Pm0

    414:774RR:05/02/0217:01:46ID:45EEXjH9
    aa-d2a2ee5726132d5912aaef6a783b5d88

    415:774RR:05/02/0217:02:28ID:45EEXjH9
    aa-2ef2f03ea3e94519ec628b118e80f708

    134 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:53:32.21 ID:SQ0Ys2Pm0

    416:774RR:05/02/0217:03:12ID:45EEXjH9
    その後 カーチャンは二度と目を覚まさなかった。
    脳の記憶が薄れていく中、カーチャンは懸命に
    動物園の時の記憶を漏れの為に最後まで
    残してくれていたのかもしれない・・・

    カーチャンの枕の下には動物園の写真があった。
    その写真のネガはもうなく、動物園に行った時の
    たった1枚の写真だった。
    おれは棺おけの中に動物園の写真を入れた。

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    139 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 18:59:41.47 ID:SQ0Ys2Pm0

    一昨日、姪が5歳の誕生日を迎えた。
    毎年姪の誕生日には決まって実家近くの居酒屋で誕生会をしている。
    そこは姪の誕生を一番心待ちにし、残念ながら姪をその腕に抱くことなく逝ってしまった俺の親父の行きつけの店だ。

    親父はいまどき珍しいほどの職人気質を絵に描いたような古風な男だった。
    無口で厳格で特に俺にとってはこわい父親だった。
    俺たち兄妹が幼い頃、たまの休みに遊びに連れていってくれたデパートの屋上で
    乗り物に乗った俺たちが「お父さん!」と手を振っても、
    照れくさそうに口をへの字に曲げて不細工な笑顔を作るような、愛情表現の不得手な親父だった。

    妹が産婦人科の医師からおめでたを告げられたその翌日、
    酒の飲みすぎで体を壊していた親父は5年間断っていた酒を飲むために、
    以前行きつけだった居酒屋に入ったらしい。
    そこでいい加減酔って気分良くなった親父は帰り道、
    あと家まで100メートルくらいというところで事故に遭い、
    すぐに病院に運ばれたがそのまま他界した。
    事故に遭って道路に横たわった親父は、
    純綿のフリルのついたおくるみが入った、綺麗に包装された箱を大事そうにかかえていたそうだ。

    親父の葬儀のとき、最後に会ったことを因果に感じてか居酒屋の大将が弔問してくれたので、
    その数日後、俺はお礼がてら居酒屋へ初めて入った。
    長い付き合いだけあって、大将は俺たちの知らない親父の一面をよく知っていた。
    意外だったが、俺のことも自慢げによく話していたという。
    なにより大将の話の中で一番印象に残ったのは妹の体のことだった。
    妹はかつて、卵子が通る卵管というところに問題があり、
    産婦人科からも通常の妊娠はまず難しいだろうとの見解を示されていた。
    その事実を知った父親は、俺たちの前では
    「まぁ、子供を産むことだけが人生じゃない。旦那と2人で幸せに生きていくってのも人生のひとつの在り方だろう。」
    と半ばぶっきらぼうに言っていた。

    141 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 19:02:43.91 ID:SQ0Ys2Pm0

    しかし、大将の前では違っていたと言う。
    飲みすぎを気遣う大将の静止も聞かず酒をあおり、
    「あの子が何をしたっていうんだ!俺の娘には親になる資格がないっていうのか!」とひどい荒れ様だったというのだ。
    その後、長い不妊治療の末、妹がようやく妊娠できたことを知った親父は、
    それでも俺たちの前では「良かったな。」と口をへの字にした不細工な笑顔で言った程度だった。

    そして最期の夜。ずいぶん久しぶりに大将に会った親父は、すこぶるご機嫌だったらしい。
    15分に一度おくるみの入った箱を目の前に突き出し、「こいつでくるんだ孫をもうすぐ抱っこしてやれるんだ」
    と繰り返し言っては目じりを下げ、酒を飲んでいたようだ。
    店を出るときに足元のおぼつかない親父に「だいじょうぶか?」と声をかけると、
    「だいじょうぶだよ!俺はもうすぐおじいちゃんになるんだから!」
    と理由ともつかないことを言っていたらしい。

    俺は久しぶりに人前で泣いた。
    別に『男は人前で涙を見せるもんじゃない』という親父の教えを頑なに守っていたわけではないのだが、
    大将の話を聞いて本当に久しぶりに人前で泣いた。
    本当に不器用だったんだなと思う。照れ屋だったのかもしれない。
    俺も親父の愛情を読み取れるほど勘がいいわけでも器用でもなかった。

    そして来月、俺もようやく親になる。親父のように愛情をたっぷりと注げる父親になりたい。
    できればもっと上手くその愛情を示したいけど。

    長文スマソ。その割りに泣けるのは俺だけだな・・・。

    187 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 21:14:33.83 ID:KjCPIKMs0

    秋もだいぶ深まってまいりました。ディズニーランドのスタッフの皆様、いつも私たちにステキな夢をありがとうございます。

    今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていただきました。
    実はこの日は、一年前に亡くなった私達の娘の誕生日、そして命日でした。
    身体がとても弱かったために、生まれて間もなくこの世を去ってしまい
    主人と二人、ずいぶんと長い間、深い哀しみにおりました。
    助けてあげられなかったこと、何一つ我が子にしてあげられなかったこと
    いまでも悔やんで仕方ありません。
    生まれてきたら、このディズニーランドに連れてきてあげたいという私たちの夢も
    果たすこともできず、主人と話し、この日、娘の供養のために来ることができました。

    事前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知り、娘に食べさせてあげたいと思い
    ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入りました。本当は8歳以下でないと注文することが
    できないものでしたが、お店の方に事情を話すと、快く注文を聞いてくださいました。
    そして隣の4人掛けのテーブルに子供用のイスまで用意してくださって、「3名様、こちらにどうぞ」と
    席を移してくださったのです。

    「本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね」と、まるで我が子がここに一緒に
    いるように私たちをもてなしてくださり、主人も私も感激で胸がいっぱいになり、涙があふれました。
    娘を亡くしてからはじめて、「親子3人でいる」ということを味わわせてくださって、本当に感謝しております。
    娘が生きていてくれたらどんなに幸せだったろうという思いでいっぱいです。

    お店の方々にとても親切にしていただき、そしてかわいいお子様ランチも食べることができて
    娘もさぞ喜んでいたと思います。思いもよらぬ皆様の温かなおもてなしのおかげで、とても良い想い出ができましたし
    娘のためにも、とてもよい供養ができたと思います。
    親子3人で楽しいひとときを過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。あの時のお礼を言いたくて手紙を書かせていただきました。
    娘は天国へ行ってしまったけれど、私たちのかけがえのない宝です。これからも愛し続け、一生ずっと一緒に生きて行こうと思います。
    また娘を連れて遊びに行かせていただきます。ステキな夢を見れる日を楽しみにしています。
     
    スタッフの皆様、日ごとに寒さが加わってまいりますので、お体を大切に、これからも私たちのために頑張って下さい。

    193 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/30(木) 22:58:59.98 ID:mmV8vnsA0

    もう、画面が見えない・・・

    235 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 01:43:56.14 ID:2sr/mIgU0

    泣いたってレス多いな
    みんなの心の優しさにほっこりした

    257 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 08:36:45.44 ID:O91jZiqXO

    50:おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 03:00:46 ID:QAt0Hee6
    ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
    俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
    俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
    女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
    単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
    冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
    おまえらも数えてみ?
    あと何日カーチャンに会える日があるか。

    261 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 08:46:18.10 ID:rT1aWlBi0

    第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、
    ある暑い日の出来事でした。
    私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、
    貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。
    留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。
    ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、
    私の顔をマジ、マジと見つめていた。
    「あたし、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。
    おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
    たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
    それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
    おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」
    顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。
    私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
    復員局からの通知書があった。
    住所は、東京都の中野であった。
    私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
    「あなたのお父さんは---」
    といいかけて、私は少女の顔を見た。
    やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開いて、
    私のくちびるをみつめていた。

    262 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 08:48:44.20 ID:rT1aWlBi0

    私は、少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
    「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」
    といって、声がつづかなくなった。
    瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
    涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
    それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
    私の方が声をあげて泣きたくなった。
    しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、
    係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
    それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
    私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
    紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
    少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。
    やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、
    小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
    涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
    肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、
    下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。
    私は、声を呑んで、しばらくして、
    「おひとりで、帰れるの」と聞いた。
    少女は、私の顔をみつめて、
    「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。
    おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。
    だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」
    と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
    私は、体中が熱くなってしまった。
    帰る途中で、私に話した。
    「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。
    だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」
    と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。

    263 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 08:57:17.92 ID:PoJ9fqOTO

    半年ほど前、漏れのじいちゃんが入院した。
    それまでにも何回か入院と退院を繰り返していたが、
    今回はやや長くなりそうだということで、お見舞いに行った。病室は6人部屋の一般病棟。
    その中にまだ小学校に上がってないくらいの女の子もいた。
    じいちゃんと他愛もない話を2,30分ほどして漏れはコーヒーを買いに席をはずした。
    自販機のそばにあったベンチでコーヒーを飲んでいた漏れは、ふと近くにあった部屋を覗き込んだ。
    そこはいわゆるプレイルームってやつでTVがあったり、おもちゃや本がおいてある部屋だった。

    その部屋にさっきじいちゃんの病室にいた女の子が座ってた。
    漏れはなんとなくプレイルームに入って、その女の子に声をかけた。
    「こんにちは、さっき病室にいた子だよね。名前はなんていうの?」
    女の子は小さな声で「ユカ」と答えた。どうやら折り紙を一生懸命作っているようだった。
    「ユカちゃんか。僕は○○○だよ。よろしくね」
    ユカちゃんは折り紙をやめて漏れのほうを見て小さい声で「よろしくね」って答えてまた折り紙をはじめた。

    そのときはそれで終わり、漏れはプレイルームを後にして病室に戻った。そしてその日はそのまま家に帰った。
    じいちゃんの入院は長くなるとのことだったので漏れの家族が一週間おきに輪番でお見舞いをすることになった。
    4人家族だからおよそ一ヶ月にいちどのお見舞いになる。

    そして漏れの当番の日。
    着替えなどを持って病院に行き、じいちゃんと話をして、またコーヒーを買いにいった。
    プレイルームをのぞくとそこにはユカちゃんがひとりでいた。

    漏れは部屋のドアを開け声をかけた。
    「ユカちゃん、こんにちは。僕のこと覚えてる?」
    「うん」
    そういったユカちゃんは立ち上がり、漏れのそばに近づいてきた。
    そして「これあげる」と漏れにあるものを渡した。

    266 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 09:00:12.85 ID:PoJ9fqOTO

    それは小さな折鶴だった。漏れはそのまま部屋に入り、色々な話をした。
    病気で幼稚園にいけなくなったこと、ピアノのお稽古が嫌いなこと、来年から小学校にあがること。
    折り紙は看護婦さんが教えてくれたらしい。
    漏れは夏にとある国家試験をひかえていたのでユカちゃんに「ユカちゃん折り紙が得意だったら、お兄ちゃんにいっぱい鶴を折ってよ。夏に大事な試験があるんだ。」てお願いした。
    たぶんユカちゃんは「試験」の意味も分かってなかったと思う。

    でも、最高の笑顔で「うん」て答えてくれた。
    「約束だよ、指きりしようね」漏れは指切りをして、部屋を後にした。そして、それがユカちゃんを見た最後の時だった。

    次の当番の日、お見舞い道具一式を持ってじいちゃんの病室に行った。
    そのとき漏れは約束のことなどすっかり忘れていた。じいちゃんに着替えを届けて、話をして、帰ろうと思ったとき一人の女性が声をかけてきた。
    「○○○さんのお孫さんの方ですか?」
    見たこともない人に声をかけられた漏れは少し驚いたが「ええ、そうですが。あなたは?」と答えた。

    するとその女性はこう答えた。「ユカの母です。」その表情に漏れは何かいやなものを感じた。漏れの予想通りだった。
    ユカちゃんは漏れが帰ってから二週間後に亡くなったそうだ。
    ユカちゃんのお母さんは一通り話を終えると持っていた紙袋からあるものを取り出した。
    それは透明なビニール袋にいっぱい入った折鶴と手紙らしきものだった。

    お母さんはそれを渡しながらこう言った。
    「○○○さんが来た次の日から妙に張り切って折り紙を作るようになったんです。
    それに○○○さんのおじいさんに字を教えてくれって頼んだらしいです。
    おじいさんが理由を聞いたら『手紙をかくんだ』って。」
    漏れは袋を開けて中の紙を取り出した。
    案の定手紙だった。たどたどしい字で「がんばってね、ユカ」とだけ書いてあった。

    それを読んで漏れは病院の待合室で人が大勢いるにもかかわらず大声で泣いた。お母さんも一緒に泣いた。
    しばらく泣いた後、お母さんは一言「ありがとうございました」といって席を立った。

    漏れはこの夏、5歳の女の子の力一杯の応援を背に試験を受ける。ありがとう、そしてさようなら。

    267 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 09:02:10.57 ID:PoJ9fqOTO

    俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
    いきなり倒れて入院した。

    検査をして入院が決まったが
    俺は内容を詳しくきかされなかった。
    夏頃から受験勉強もあって
    かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

    俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教大学出身
    俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ったものだ。
    実際に受験となると、ハードルは高かったけれど
    立教を目指してがんばった。
    冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
    飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
    かーちゃんは俺に色々話をさせた
    学校 進路 夢
    思えば何であのとき気がつかなかったんだろう…

    涙が…ちょヤバ…
    最後の模試の結果が出た。
    努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
    俺からすれば奇跡に近い判定
    おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
    俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
    得意げに模試を見せた
    かーちゃん「がんばってるのね
    タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
    その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
    俺の手を握りながら…楽しそうに

    268 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 09:04:48.90 ID:PoJ9fqOTO

    それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
    大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
    俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
    母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい
    一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
    俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
    かーちゃんが急に苦しみだした
    俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
    家には俺しかおらず、付き添って行った。
    意識が飛びそうになるくらい
    混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
    病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
    最期になるかもしれないのでついてあげて下さい
    俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
    血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
    かーちゃんはいつもみたく手を握った
    病人とは思えないくらい強く 俺は子供みたいに泣いていた…
    かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
    俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
    「うけてきなさい」
    そしてかーちゃんは俺から手を離した

    270 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 09:08:38.06 ID:PoJ9fqOTO

    そんなの無理に決まっている。
    かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
    間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
    「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」
    俺はかーちゃんのてをもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
    そこからどうやって来たかはおぼえていない。走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して
    何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
    昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
    俺は中庭でそれを広げた時
    何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
    それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
    おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
    それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
    フラフラと地元まで帰った…

    病室に入ると、かーちゃんは居なかった
    看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
    数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
    俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。
    担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
    かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
    看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
    逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
    帰り際に、一枚のメモをもらった。
    病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。

    274 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 09:13:16.57 ID:PoJ9fqOTO

    葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
    結果は合格
    俺は泣いた
    合格も嬉しかったけれど
    何より心で叫んだ
    かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
    お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
    何で…こんな時にいないんだよ…

    かーちゃん…

    俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
    たくさんの話をした。
    端から見たら変な人に見えるだろう
    でも俺はこの18年間のごめんなさい ありがとう を全部語った。

    313 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 10:47:20.71 ID:E4fvNJdM0

    関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
    関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる

    たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
    あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる

    はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
    はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる

    話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
    話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる

    待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
    自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる

    やきもちをやくと、しばられるのはいやという
    やきもちをやかないと、もう愛はないのかという

    そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
    そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる

    愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
    大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる

    墓に供え物をすると 君は無視する
    僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている

    333 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 11:38:44.84 ID:E4fvNJdM0

    93年だったか94年だかに弟が小3の時に車に跳ねられて乗ってた自転車の
    カゴからGBが転げ落ちて、アスファルトで削られボロボロになったんだよ。
    弟が病室でボロボロになったGB見て泣きながら電源入れたんだよ。
    カチッ・・・ピコーン。それでも起動すんのな、GB。

    それを修理に任天堂に送って数日後、任天堂の人から電話があったらしいのな。
    「あまりにも凄い事になってるから、原因を聞きたい」とかなんとか。
    母が「息子が事故にあって」って言うと修理費はいらんと。
    結局こっちが負担したのは送る時だけの送料だった訳だよ。
    その時は「すげーなー」位の感想だったんだが、就職して社会とか
    商売ってのが少しずつ判りだしてから、子供相手の商売ってこう言う事
    なんだなと思った。どこぞの偉いさんは、お子ちゃま向けと言ったが
    子供相手に商売するって事は、子供の後ろにいる親に商売するって事なんだよ。

    この一件で一番驚いたのはメモに直筆で「○○君へ、車には気をつけてね。横井」と
    あった事なんだよ、もしあの横井さんならなんて皮肉なんだろうと思う。

    634 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 14:08:46.43 ID:7gibjbMW0

    >>333
    ちょっと意味が解らない轢いたのが横井さんだったのか?

    638 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 14:15:51.53 ID:SnyxWCd/0

    >>634
    GBを開発したのが当時任天堂にいた横井軍平さん
    97年に自身が追突事故に巻き込まれて亡くなってる

    336 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 11:47:47.08 ID:E4fvNJdM0

    つい先日じぃちゃんが死んだ。
    父方のじぃちゃんで親戚中わんわん泣いた。

    んで昨日じぃちゃんの荷物整理してたら古い100円硬貨がドッサリ出てきたのよ。
    しかも製造年が全て同じ年。
    何の年か分からず困ってると親父登場で一言「・・・それ俺の生まれた年。」

    その夜深夜にトイレで目覚めると居間に明かりが。
    親父がむせて咳しながらタバコ吸ってんのよ。
    「むせるぐらいならタバコ止めろよww」と冗談言おうとしたが言えなかった。

    葬式でも涙を見せなかった親父が例の100円玉並べて泣いてんのな。
    俺正直涙を全く見せない親父を冷たい人間だと思ってた。強い人間なんだと実感。
    トイレなんか忘れて俺ももらい泣きしながら寝たよ。

    んで今日起きたら何事もなかったかのように親父が「これ、じぃちゃんのお守りだ。」って例の100円玉くれた。
    何気なく見たら親父大事そうにその100円玉財布に入れてんのな。

    俺も大事に財布に入れてるよ。

    親父みたいな強い大人になりたいと思った。

    338 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 11:50:10.03 ID:E4fvNJdM0

    小学校6年くらいの時の事
    親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
    親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
    その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
    帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
    公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、
    「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
    カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
    一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんて
    メロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
    十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
    『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップを
    カバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
    「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
    『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
    そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
    机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
    あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、
    ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
    親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
    もちろんメロンのカップで。
    もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。

    347 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 12:06:10.84 ID:EOmLx+UX0

    近所に昔からある古い駄菓子屋がある
    経営してるのは、お婆ちゃん一人だけ(お爺ちゃんは5年ほど前に病気で亡くなってしまった)
    いつもニコニコしていて、とても優しいお婆ちゃんで
    お金が無い子にはコッソリ駄菓子をあげていた(漏れも昔もらった)
    そんな感じで近所の評判がとてもよかった
    ある日、お婆ちゃんが893に罵声を浴びせられてた
    なんでも亡くなったお爺ちゃんに少し借金があったらしく、コツコツ払い続けて
    完済したはずなのに更に80万請求され、払わなかったら立ち退いてもらうと脅されたらしい
    お婆ちゃんのピンチにまわりが黙ってられるはずもなく、3丁目の人々が一致団結
    集会を開くまでに至り、893が来たときに駄菓子屋の前に整列、そして猛抗議
    漏れは学生だったので様子を見守ってたが、あれは圧巻だった、30人ほどが声張り上げてるんだもの
    893もはじめはなんか言ってたが、すぐに戦意喪失、スゴスゴと引き上げてった
    お婆ちゃんは泣きながら、ありがとう、ありがとうとずっと言っていた
    そんなお婆ちゃんは今日もお店でニコニコしている、長生きしてもらいたい

    415 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 16:49:48.94 ID:yMtIrH6q0

    学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
    本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
    結局日帰りにしてしまった。
    母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
    父が会社から帰ってきた。
    口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
    一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
    しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
    父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
    「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、
    「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。

    駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
    小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
    3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
    でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
    その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
    ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
    様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
    手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
    結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。

    430 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:24:27.22 ID:8ZHCVvefO

    >>415
    なんでトーチャンってあんなに不器用なんだかな

    でもそんなトーチャンになりたい

    421 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:12:34.53 ID:rT1aWlBi0

    うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
    その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
    難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
    嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
    ドン底だった。
    バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
    何もかもが嫌になった。
    嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。

    ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
    頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
    「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
    手話だった。
    そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。

    それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
    娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。

    あれから三年。
    娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。

    422 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:15:22.37 ID:rT1aWlBi0

    いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。
    その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、仕事もあったのに
    毎日病室に訪れ付き添った。結婚の約束もしていたんじゃないかな。
    食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、
    がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、彼女がさすってあげたり。
    そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんて
    まったく想像つかなかった。「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚
    して、幸せな家庭築くんだろーな」なんて、見舞いにいくたび
    幸せな想像しかできなかった。普通にうらやましかった。

    しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。みるみるやせて、
    目ばかりぎょろぎょろになって、身内のわたしでも正視できなかった。
    はやく終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。
    でも彼女はずっとそばにいた。従兄弟のやせ細った手を握って、
    抗がん剤の影響で、ぼろぼろに禿げたあたまにかぶる毛糸の帽子を
    作ったり。わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで
    病室に入っても、 彼女の後姿ばかり見ていた気がする。
    従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、あれ食べに行こうとか
    今度の携帯の最新機種を買いたいとか、来ない日のことばかりしゃべった。

    彼女は笑顔で、「絶対いこーね」「わたしあれ食べたい」とか、いってた。
    気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。
    今、思い返せば、彼女はほかにどうすることもできなかったんだと思った。
    彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、
    きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。

    424 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:19:00.54 ID:rT1aWlBi0

    年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。
    従兄弟は最初の意識不明に陥った。
    医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、一時的に抑える効果しかない。
    苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったらこのまま死なせる」ときっぱり。
    両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と延命を望んだ。
    横で、彼女はだまって、ふるえていた。
    薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。
    彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、
    新薬は2人に時間をくれた。
    「癌が治った」とはしゃいでいたけど、一時的だというのは
    本人が何よりも知っていたと思う。
    最後のときをすごす2人に、両親も親戚もなにもいわず見守った。

    春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。
    あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、彼女と従兄弟の母親が
    押さえつけ、抱きしめた。「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」
    彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、手足をさすった。
    医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、
    彼女は従兄弟を抱いた。
    何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて
    「人を愛する」ってこういうことかと思った。

    彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。
    毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。
    従兄弟が死んで数ヶ月あと、勤めていた会社をやめたことを聞いた。

    数年たって、墓参りにもこなくなった。
    最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。
    寂しく思った反面、ほっとした。幸せになってほしいと思う。

    428 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:22:04.84 ID:rT1aWlBi0

    姉の結婚式のとき。
    姉と一緒に写真を撮っていたら、不意に、メールが届いた。

    件名「ほしい」
    内容「ちちも しやしん」

    親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
    でも、時折チラチラとこちらを見る父。
    「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、「写真は苦手なんだけどなー・・・お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」
    と言いながら寄ってきた。そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん」と言ってたくせに、

    後日
    「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
    と、メールが来た。

    551 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 00:50:54.96 ID:bMo9p1HnO

    >>428
    萌えた
    何そのかわいいお父さんw

    435 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:32:24.75 ID:rT1aWlBi0

    俺には母親がいない。

    俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。産まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

    耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
    普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
    耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
    その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。

    自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。だから俺は父親を憎んだ。
    そして死んだ母親すら憎んだ。
    なぜこんな身体に産んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。

    ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
    その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
    そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。

    俺にとってはもう一人の親だった。何度も悩み相談にのってくれた。
    俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

    そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
    内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。長い愚痴のような相談の途中、多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。
    先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。先生は泣いていた。
    そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

    436 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:36:00.36 ID:rT1aWlBi0

    ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
    俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

    「君は不思議に思わなかったのかい。君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」 たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・

    「君の父親は僕にこう言ったんだ。『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』驚いたよ。
    確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
    小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
    だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・でもそれは決して簡単な事じゃない。
    その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
    健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
    全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
    不可能だ。僕はそう伝えた。その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
    君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
    だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

    聞きながら涙が止まらなかった。
    父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

    俺が間違っていた。
    父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。誰よりも俺の悲しみを知っていた。そして誰よりも俺の幸せを願っていた。濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。

    そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。
    耳が聞こえないことに負けたくない。父さんが負けなかったように。幸せになろう。そう心に決めた。

    今、俺は手話を教える仕事をしている。
    そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
    でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。そして遺影を見たまま話し始めた。

    441 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 17:51:00.78 ID:mv7j/nJ50

    俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
    見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていてそれほど持たないだろうと言われ、
    入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。

    俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
    母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
    当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
    母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、
    その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、
    気が向いたら見るから」とぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、
    見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

    しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
    まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
    普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
    人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

    今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
    祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

    448 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 18:05:57.33 ID:S4QjzGqL0

    426 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/09/12(金) 01:11:00.79 ID:Pj8tDg/X0
    私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。

    だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。

    息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。

    「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」

    ごめんね。

    あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。

    子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。

    頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。

    息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。

    親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。

    この前の、子供の日。夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。

    「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」「今からでも第二子は遅くない」「今の医療なら、なんとかなるやろ?」

    困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。

    うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。ああ、仕方無いが、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思ってた。

    450 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 18:08:06.14 ID:S4QjzGqL0

    427 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/09/12(金) 01:13:31.56 ID:Pj8tDg/X0
    その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。

    「ロクな大人の ロク って何さ?」「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」

    「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」

    「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」

    「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」

    「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」

    一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時

    「母さん、おれを産んでくれてありがとう。一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」

    照れくさそうに言って、ちまきを2~3個引っ掴んで、

    「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」飛び出していったよ。

    次の週

    「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」

    今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。

    でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。

    えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。誰かに聞いてもらいたかったんだ。

    464 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 18:26:47.64 ID:yMtIrH6q0

    992名前:名も無き冒険者[sage]投稿日:2006/11/26(日)17:08:21
    1000なら明日は学校でいじめられない。

    993名前:名も無き冒険者[sage]投稿日:2006/11/26(日)17:16:47
    1000じゃなくてもお前がいじめられてたら助けてやる

    472 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 18:38:35.61 ID:mv7j/nJ50

    「乳母捨て山」の話聞いたことありますか?

    年老いた親を、子どもが背負って山に捨てるというやつです。
    大昔、貧しさから本当にその風習があったそうです。
    そしてこんなことがありました。

    背負われている間、親は山の木の枝を折って落としましました。

    やせこけた腕を一生懸命のばして、一本一本、折り続けました。

    山奥に着き、自分を捨てて去っていく我が子に、親は言いました。

    「目印に木の枝を折ったから迷わずに下るんだよ」

    親ってこういうものです。

    493 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 19:20:25.24 ID:yMtIrH6q0

    811 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/10(木) 23:37:59 ID:GY0PjiOT
    私が小学校5年の父の日。父に買い物に誘われた。
    普段から父とは仲良しだったので、喜んでついていった。行き先は御徒町。

    どこに行くでもなくプラプラと歩いていたら露店でバッグ類を売っていた。
    覗いてみると旅行用の大きな、でも薄っぺらい、お人形がたくさん描いてあるバッグがあり、手にとって見た。

    「買うか?」
    「いいの?でも今日は娘の日じゃなくて父の日だよ?」
    「父の日だから子供に買ってあげるんだよ」

    この会話をはっきりと覚えてる。
    いいのかなーと思いながら、ニコニコ顔の父に買ってもらいました。

    自分が親になった今、父の気持ちが分かります。
    娘の笑顔が嬉しかったんだろうなぁ。
    流行遅れでボロボロのバッグは、未だに捨てられません。
    いや、一生とっとくんだろうな私。

    494 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 19:26:59.11 ID:yMtIrH6q0

    608 :おさかなくわえた名無しさん :04/11/04 20:59:11 ID:ZadZ+zyI
    今日さ、友達の買物につきあってデパート行ったわけ。
    遠方に住んでる両親に送るプレゼント選ぶとか言って夫婦茶碗とか見てんの。
    ようやく決めて会計する時に、10日に着くように送ってくださいとか頼んでて。

    で、10日ってその子の誕生日なんだけどさ。
    なんで自分の誕生日なのに親宛でプレゼントとか贈ってんのw
    と聞いたら友達が照れくさそうに笑って

    『あ、これね、産んでくれてありがとうのプレゼント』

    だってさ。
    自分で稼げるようになってから毎年贈ってるらしい。
    なんか家帰ってからじんわり涙でた。

    495 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 19:32:37.98 ID:mv7j/nJ50

    三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪めるほどの苦痛に耐えながら死んだ。

    体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち(伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。

    葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。祖父が生前用意していた物だそうだ。

    手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由が書かれていた。

    20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓ったのだそうだ。

    自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。

    だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。

    幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。孫の成長を見届けること画できたのだからもう思い残すことはない。

    あとは神様との約束を果たすだけだ。だから家族は悲しまないで欲しい。自分は満足して一生を終えるのだから。

    そう綴られていた。

    孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。

    その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。もちろん、兄弟もみな泣いた。

    うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。

    544 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 00:34:57.61 ID:M8IYRB+mO

    コピペじゃなくてすまんが、ちょっと前に中国で大きな地震があったよな。それに関して新聞に載っていた話。

    倒壊した建物の瓦礫の下から、赤ん坊が救出されたらしいんだよ。五体満足で。
    何で無事だったかっていうと、母親が四つん這いになってうずくまった腕の中にいたんだと。腕の中っていうか、腹と床の隙間っていえば分かりやすいかな。
    母親は身を呈して自分の赤ん坊を守ろうとしたんだな。ここまでならまぁそんなに珍しい話じゃないかもしれない。
    そのお母さんは携帯電話を握り締めていたんだって。助けを呼ぼうとしたんじゃないかって思うだろ?違うんだ。
    携帯電話の画面は、メール作成画面になってたんだ。

    『お母さんは、あなたのことを心から愛しています。何があっても、それだけは忘れないで。』

    作成中のメールにはそう書かれていたんだって。
    瓦礫の僅かな隙間で打ったんだろうって。

    早くに母親を亡くして、つらいことの多い人生になるだろう。
    でも、どんなにつらいことがあっても、忘れないで。お母さんは、あなたを愛していたよ。一緒にいたかったよ。幸せにしてあげたかったよ。一緒に生きたかったよ。ごめんね。愛している。

    俺はその子が幸せになることを心から祈るよ。

    580 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 04:07:08.93 ID:e8KXPqJ+0

    194 :おさかなくわえた名無しさん:2008/01/15(火) 15:55:19 ID:Y8fUZdE8
    昼食に寄ったファミレスでの話し。
    長文すんまそ。

    俺の隣の席にお母さんと3~4歳ぐらいの男の子が座った。
    あーうるさかったら嫌だなーと思いながら、自分の
    オーダーを待ってた。
    すると、その隣に座った親子の会話が聞こえてきた
    母「○○は、お子様ランチでいい?」すると、子が
    内緒話をするように母の耳に手を当てて(丸聞こえな訳だがw)
    子「そいでいい」
    母「もう少し声出してもいいよ。」
    子「そいにする(笑顔)」
    全ての子供がうるさいと思った俺謝れと自分に言ったよ。
    で、料理が運ばれてきて食べてると
    子「楽しいねお外でごあんは楽しいね」
    と母とニコニコお行儀良く料理を待ってた。
    親子の所に料理が運ばれてきて、
    子「かあしゃんいたあきますするよ」と母を促しててホノボノ。

    続く

    581 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 04:10:09.97 ID:e8KXPqJ+0

    195 :おさかなくわえた名無しさん:2008/01/15(火) 16:06:55 ID:Y8fUZdE8
    俺は食事が終わりコーヒー飲んでそろそろと思った時、隣の席から
    子「ごちそうめちた」って元気な声が聞こえた。
    こうやって、子供育ててるってスゲーななんて思ってたら、
    母「今日はデザート半分こしようね」とデザートをオーダーしてた。
    最後までちょっと親子を見てみたいと思い、ゆっくり新聞読みながら
    コーヒーを飲んだ。
    親子の元にデザートが届き、チラ見すると子が「あんまとめした」
    とウェートレスにお礼してて、キューンとなった。
    母「きれいだね。楽しく食べようね」
    子「あんまとめした。かあしゃんあんまとめした」
    と母親にもお礼を言ってた。
    すると、母親が「帰ったら、とうちゃんにもありがとうって言おうね」
    子「うん、とうちゃんあんまとめした」
    ってデザートに拝んでて、あー躾って素晴らしいなと思ったよ。

    ここらへんまでしか見てないけど、今日ほど結婚したいと思ったこと
    は無かった。
    長文スンマソ 読んでくれたら「あんがとめした」

    654 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 15:15:40.35 ID:gVOi4UG40

    あゆみ結婚おめでとう。
    今のお前はまだ5歳です。
    昨日は「お父さん大好き」
    今日は「お父さん大嫌い」
    と言われました。
    明日はなんて言われるかな(笑)
    そんなあゆみがどんな立派な大人になって
    どんな人と結婚したのか見れないのはとても残念です。
    あゆみの横にいる旦那さんは良い人かな?
    お父さんに似てたりして(笑)
    あんまり長く書いても仕方ないのでまだ見ぬ旦那さんへお願いがあります。
    約束は1つだけ。
    ・あゆみより先に死なない事。
    これだけです。
    結婚式で不謹慎と怒られるかもしれませんが
    嫌いになって別れても、浮気して別れても構いません。
    でも絶対に死なないで下さい。
    私の妻と同じ思いをあゆみにさせないで下さい。
    これだけを是非皆さんの前で誓って下さい。
    お願いします。
    あゆみがもしお母さんに似てたらちょっと恐妻家?かもしれませんが(笑)
    あゆみを支えてあげて下さい。
    あゆみも旦那さんを助けて幸せな家庭を築いて
    いつまでも仲良く人生という長い道を歩んで下さい。
    5歳のあゆみはよく笑っています。
    この笑顔をいつまでも忘れないで欲しいと心から思います。
    父より
    PS
     孫が出来たら1度はお墓の前まで連れて来て下さい。

    684 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 18:06:02.95 ID:gVOi4UG40

    人の一生を時計一周24時間に例えたお話がある。
    君達は夜中の0時に正にこの世に生まれた。この世に生を受けた。
    人の寿命を70歳くらいと考えたら、3年を一時間として、
    朝6時、もしくは7時。君達はいまやっと朝を迎えたくらいでしかない。
    大学をでて、社会にはいってちょっと経ってもまだまだ朝9時でしかないんだ。
    社会ではまだまだ青くて到底使える人材でもない。

    楽しみに満ちながら君たちの成長をみてきた君たちのお父さんやお母さんは
    君たちが自分の時計で朝の2時や3時の頃、もう既に昼の2時や3時になっていたんだ。
    今はどうだろう。もう夕方5時、いや6時を過ぎているかもしれない。
    今から彼らはやり直しがきくだろうか。あと6時間も無いのだ。人生は6時間も無いのだ。
    日は沈んでしまったのだ。

    では君達はどうだろう。みんなまだまだ朝6時や7時じゃないか。
    やり直しなんていくらでもきく。
    何回やり直したって、朝8時くらいでしかないじゃない。
    一番悲しいことは、ここで自分の時計を無理やり止めてしまうことなんだ。
    可能性はまだまだ秘められているのに、まだまだ一日はこれからなのに、
    太陽の燦々とあたる昼に向けて準備をする時間でしかないのに、
    自分の時計を止めてしまうことなんだ。

    親は望んでいるだろうか?友人は望んでいるだろうか?
    君たちの輝かしい未来を、本当に今から始まる君たちの未来を、
    止めてしまうことを望んでいるだろうか?
    君は望んでいるだろうか?

    どうか、一番悲しい選択だけはしないで。
    君たちへの最後の言葉です。頑張っておいで。

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       コメント一覧 (7)

        • 1. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
        • 2021/10/12 16:16
        • 父が引き出しの中に置きっぱなしにしてた免許証入れ。
          何気なく開いてみたら、薄いプラスチックのポケットの中に
          若い女の人の古い写真が何枚も入ってた。

          自分が2歳の時に死んだ母親の写真だった。
          再婚すれば良かったのに、しなかったわけが何となく分かった。

          父の仏壇にお花と一緒に置いてあげたよ。
          位牌が二つ仲良く並んでるのが、ちょっと寂しい。
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        • 2. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
        • 2021/10/12 16:35
        • オヤジが娘の生理処理した話はさすがに嘘だろ 学校で教えるし友達にだって訊けるし
          女の子は雑誌なんかで情報収集は結構してる
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        • 3. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
        • 2021/10/12 17:42
        • 阪神淡路大震災後のパヨク撃退JKの話は今も泣く
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        • 4. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
        • 2021/10/12 17:52
        • 母親や家族の行いに対してブチギレて、その相手が逝った後に後悔してんの見てるとツバ吐きかけたくなるくらい腹立つ
          何後悔してんの?てめぇが選んだ親孝行だろが。最低最悪の振る舞いして何悦に浸ってんだよ、地獄に堕ちろって思うわ
          自分が生きてる意味を見出した時からずっと両親に対して優しく接してる。人の死を見続けるとどんなに頑張っても後悔すると理解したからな
          結局、子が出来る親孝行は親を看取って独りで逝かせないことくらいしかない。看取るときにごめんねじゃなくてありがとうと言わせるのが親孝行だ。
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          • 6. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
          • 2021/10/12 20:31
          • >>4
            何コピペに対して顔真っ赤にして長文書いてるの?w恥ずかしいよw

            ちな自分はコピペに対して普通に大泣きしたわ
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          • 7. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
          • 2021/10/13 07:21
          • >>4
            思春期の過ちだろ、彼らはその罪を背負って生きてる
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        • 5. 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします
        • 2021/10/12 18:45
        • 古っと思ったら2008年かよw
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